〇風月抄「4月27日」捕虜の運命
 旧日本軍では、敵の捕虜になることは、帝国軍人として最大の恥辱とされていました。昭和初期の「上海事変」で負傷して、意識不明のまま、中国軍の捕虜となった「空閑少佐」は、捕虜となったことを恥じて、戦争後、中国の現場に戻ってピストル自殺をするという悲劇を生んでいます。

 

                 

      (空閑少佐と古賀連隊長の銅像・佐賀市)


 ところで、1865年の今日「4月27日」に、アメリカのミシシッピー河で驚くべき惨事が起りました。

 

    

          (アメリカの南北戦争)

 

    

        (南軍の捕虜)

  

 ちょうど南北戦争が終わって、南北両軍とも、捕虜を送還することになり北軍の捕虜2000人ほどが、「スルタニ号」という船に乗せられて、ミシシッピー河を北上していました。帰郷を急ぐ兵士たちの数が多く、しかも戦争終結直後だったため、その復員業務も錯綜して、現場も混乱していました。

 

  

           (外輪船)

 そこで、定員の数倍の兵士たちを乗せたこの外輪船は、当然のことながらスピードも出ず、エンジンはフル回転して完全に過熱状態にぞの結果、この日の午後2時ごろに、船の第三ボイラーが爆発し、甲板に居た何百人もの帰還兵士が死亡してしまい、さらに爆発が第2第3ボイラーにも移って、船は瞬時にして粉々にになってしまいました。

  

        *捕虜を満載した(スルタニ号)

 

    

           (*炎上するスルタニ号)


 また、運よく逃げようと川に飛び込んば兵士たちも、流れに飲み込まれて僅か100mほどの所に川岸を望みながら、溺死してしまいました。

 その後、数日間に、この河で収容された死体の数は、1450体という記録が残っています。

 このスルタニ号事件は、河川の船舶事故としては、史上最大のものとして記録されていますが、ちょうど南北戦争直後の混乱時でもあり、殆どこの事件の事は知られていないのです。。