〇風月抄「マゼランの最後」

 

**〇風月抄「4月26日」マゼランの最後

 



 マゼラン海峡の名で有名な「フィェルディナンド・マゼラン」は、太平洋の探検に出かけ、東インドネシアから、苦難の旅を続けて、1520年の今日、4月26日にの「グァム島」に到着しています。彼の本来の目的地の「モルッカ」とはだいぶ離れていましたが、とにかくこの島に落ちついて、飢えや病気から救われたのです。このグァムからモルッカに行く途中で、マゼラン一行はフィリッピンのセブ島に立ち寄りました。

 このセブ島の島民はみんな穏やかで優しく、マゼランは彼らをキリスト教徒にするのに成功しました。そして、いったんマゼランが来たことが知れ渡ると、各島々の酋長たちがやってきました。こうして、フィリッピン南部のキリスト教化の地ならしが出来たのです。

 しかし、セブ島からすぐ近くに見える「マクナン」という島の酋長だけがやってきません。それというのも、この島の酋長の「ラブラブ」というのが、セブ島の酋長と伝統的に仲が悪く、マゼランが、セブ島の島民と仲良くなったのを快く思っていなかったからでした。

 そこでマゼランは、ラブラブのもとに使者を出し、「もしこの提案に従わなければ鉄砲で攻撃するぞ」、と威嚇戦術に出ました。するとラブラブは、こっちだって「槍」があるぞと、極めて戦闘的な態度に出ました。これに激怒したマゼランは、早速マクタン攻撃を実行に移すことにしました。

 マゼランは、こんな小さな島の攻撃に、手兵をみんな使うのはもったいないと、手兵150名のうち、僅か10名を従えて出かけましたが、これが彼の誤算でした。こんなちっぽけな島でも彼らはサンゴ礁などの地の利をよく知っているので、マゼラン一行を、鉄砲の届かない海岸におびき寄せて、マゼランが上陸した所を毒矢で攻撃し、あっけなくマゼランを殺してしまったのです。

 時に、1521年の4月26日の出来事でした。。