**風月抄「4月19日」ダーウィン

 1882年の4月19日に、イギリスの博物学者「ダーウィン」が亡くなっています。ダーウィンは実証的な進化論を唱え、宗教家の反対にも屈せず、以後の思想界に決定的な影響を与えました。

 

                    

                  (ダーウィン)       (種の起源・初版本)


 ・・これほど多くの証拠があっては、人間と他の動物とが共通の物から進化したものであることを、どうしても認めざるを得ない。これなしで、人と他の哺乳類が、おのおの別々に創造されたと信じられたのは、不思議なことだ・・

〇「4月19日」阿片の話


 1868年(*慶応4年)の今日「4月19日」に、日本での阿片の喫煙が禁止されました。
 麻薬の阿片(アヘン)は、ケシの実に傷をつけ、そこから分泌する乳液を乾かしたもので、紀元前後からギリシャ人の間で、麻酔剤として使用されていたようです。

 

   

              (ケシの実)


 それが西洋人の東洋への来航にともなって、まず中国にもたらされ、初めは薬用の鎮痛剤として珍重され、特に台湾ではマラリアに特効があるというのでこれを煙草に混ぜて喫う習慣が始まり、台湾から中国の福建省を経て中国全土に広がりました。


 この阿片は連用すると中毒症状となり、肉体的にも精神的にも廃人同様になってしまいます。そこで中国では1720年代にすでに阿片禁止令が出されていますが、阿片を吸う習慣は全く止みませんでした。

 

    

             (阿片屈)

 逆に、禁令が厳しくなるほど、かえって隠れて吸う人が増え、一度この麻薬のとりこになると、それがもたらしてくれる快感が忘れられなくなるのです。この悪習が一番ひどい時には、中国の全人口の10%が阿片を吸うようになっていたそうです。金持ちは贅沢な喫煙室を作り、貧民は阿片屈(あへんくつ)に足を運び、皇帝までもが、阿片を吸っていたので、禁令も何もあったものではありません。

 

 もともと、19世紀の初めに、イギリスは中国との貿易収支に困るようになり、中国からはイギリスには絹やお茶がどんどん輸出されるのに対して、中国からイギリスが買いたいものは「銀」だったのが、その銀も底をついてきたので、イギリス商人が思いついたのが、この阿片だったのです。

 

 この禁令をめぐっては、麻薬を持ち込んでいたイギリスとの間に、いわゆる「阿片戦争」まで起こっています。

 

      

                  (阿片戦争)

  

 阿片戦争は、そのイギリスに怒った清国の大臣「林則徐」が、イギリス商人が持っていた阿片を焼き捨て、密輸業者を処刑したのが原因で始まっていますが、日本はその前例を目の当たりに見ていたので、事前に阿片の害を警戒することが出来たのです。

しかし明治維新前後にはこの阿片の密輸があったに違い合いません、だからこんな禁令が出されたのでしょうから。。