*風月抄「2,26事件」
 
 昭和11年の今日「2月26日」に、旧陸軍で反乱事件が起こっています。   
 昭和7年の5,15事件につづいて昭和11年には、陸軍内部の「皇道派」と「統制派」との抗争による「2,26事件」が起きました。

 

     

                    
 超国家主義者「北一輝」の「尊皇討奸」思想の影響を受けた青年将校たちの率いる反乱軍が、「昭和維新」を掲げて、2月26日の早朝、首相官邸はじめ高橋蔵相邸、斉藤内大臣邸、渡辺教育総監邸などを襲撃した、いわばクーデターともいうべき事件でした。戦時中の学生時代に、よくこんな歌を唄わせられました。

     ♪ 昭和維新の歌       作詞・三上卓

          昭和維新の 春の空
          正義に結ぶ 丈夫(ますらお)が
          胸裡(きょうり)百万 兵足りて
          散るや万朶の 桜花(さくらばな)

 

       

               (反乱軍)


 反乱軍は、圧倒的な兵力と重火器によって、警視庁や霞ヶ関、三宅坂一帯の官庁街を制圧、岡田首相の甥の松尾大佐(首相の身代わりになったといわれる)、高橋是清蔵相、斉藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監、などの政府要人を殺害しています。


       
       (高橋蔵相と斎藤内大臣)   (布告)今からでも遅くない

 
 事件後、戒厳厳司令官の命令によって、反乱軍は投降しそれぞれ帰隊して事件は鎮圧されましたが、事件後、野中、河野両大尉は拳銃で自決し、そのあと、軍法会議の結果、7月5日反乱罪として青年将校、民間人ら17名に死刑判決が下りました。

 

         

        (野中四郎大尉)         (戒厳司令部)

 一方、首謀者たちの命令のままに何も知らずに参加した反乱軍の兵士たちの多くは、その後、満州の最前線にやられて、その多くが戦死し、特に安藤大尉の兵士たちは突撃を強要されてほとんど戦死したそうです。

 

           

               (安藤大尉)


(*ちなみに、兵に告ぐ、の命令の「今からでも遅くない」という言葉は、当時の流行語として有名になりました)

 

    
          (帰隊する反乱軍兵士たち)

 この日の新聞を見てみると、第一面の大見出しに「帝都に青年将校の襲撃事件」とあり、斎藤内大臣、渡辺教育総監ら、政府の要人が射殺されたと報じています。。 

 「二十六日午後8時15分陸軍省発表」
本日午前五時ごろ、一部青年将校らが左記箇所を襲撃せり」
首相官邸、岡田首相即死の誤報)斎藤内大臣即死、渡辺教育総監即死、牧野内大臣宅、鈴侍従長宅、高橋大蔵大臣宅、東京朝日新聞社

 ・・この日の朝日新聞の記事には、これら将校の決起の目的は「内外重大危難の折から、元老、重臣、財閥、軍閥、官僚、政党の国体破壊の元凶を排除し、もって大義を正し、国体を擁護、開げんせんとするにあり。。」という決起の趣意書が記載されていました。