**「2月9日」人肉食の歴史
 今日も鮮やかに晴れ渡って、すがすがしい冬の朝でした。そんな朝なのに、ちょつと不気味な話でごめんなさい!

 今日は2月9日ですね、語呂合わせでいうと「ニク」で、漢字なら「肉の日」になります。その肉といっても牛や豚の肉ではなくて、人間の肉を食べるという、おぞましい「人肉食」の歴史があります。

 

  

           (人食いの祭典)

 

 よく、ニューギニアの奥地にはまだ人食い人種が居る、などといわれていますが、本当に人食い人種が居るかどうかは、はっきりしていません。ただ、文明社会の中にも、いくつかの人食いの記録が残っています。


 1874年の今日「2月9日」に、6人の若者がチームを組んでロッキー山脈の横断旅行に出かけました。然し4月16日に目的地のロス・ピノスに着いたのは「A・パッカー」一人だけでした。

 

     

              (ロッキー山脈)


 ほかのメンバーは一体どうなったのだ?と詰問された彼は、この道中で食料が無くなり、次々に凍死した友達の肉を食べてしまった、と告白したのです。
 そして最後に残ったのが、「パッカー」「W・ベル」の二人だけで、そこで二人は文字通り「食うか食われるか」の大格闘の挙句、パッカーがベルを殺して食べてしまったというのです。そのため、パッカーは17年の刑を受けましたが、刑期を終えて出獄後も元気で65歳まで生きたそうです。

 

      

        (人食い犯のパッカー)
 

その後、1919年に、ハノーバーに居たドイツ人「F・ハルーマン」は第一次大戦後の食糧不足につけこんで、ひそかに人肉を売ることを思いつき、13歳から20歳までの青少年男女合計28人を殺してバラバラにした上で、ひき肉やソーセージを作って販売したのです。その事実が分かったのが1924年のことで、もちろん彼は死刑に処せられました。
 次いで1934年には、ニューヨークの塗装工「フィッシュ」が同じように人肉食で起訴されて死刑になっています。彼は少なくとも15人の幼児を殺してその肉をシチューにして食べていたのです。。