〇『8月23日』 饅頭(まんじゅう)の起源
 落語に「まんじゅうコワイ」という笑い話がありますが、昔から、甘い物といえば饅頭をよく食べたものです。これから暑くなると冷菓の「アイス饅頭」が美味しいですね。冠婚葬祭の引き出物にも饅頭がよく使われます。

 

     

              (紅白饅頭)

 子供の頃、家の近くに二軒の饅頭屋さんがあり、馬糞のようなソーダ饅頭や小豆餡の破れ饅頭、酒饅頭などをよく買って食べていました。その饅頭屋に可愛い女学生が居たのが原因かも・・(^_-)-☆
 「和尚さんが死んだソーダ、ソーダ! 葬式饅頭旨かそーだ、ソーダ!」などと、ざれ言を言っていたのを今でも思い出します・・

 

       
             (塩瀬饅頭)


 軍隊でも、おやつには饅頭がよく出ましたが、昔から日本のお菓子といえば、あめがたとか饅頭でした。その饅頭にも「所変われば品変る・・」というように、各地で饅頭が違いますね。
 紫蘭の郷土・佐賀には、「松露(しょうろ)饅頭」「白玉饅頭」などがありますが、名古屋には八丁味噌が入った「味噌饅頭」があり、信州に行くと、饅頭の中身が小豆餡ではなく、野菜の「野沢菜」が入った「おやき」があります。

 

              

              (松露饅頭・しょうろまんじゅう)

 そんな「饅頭の起源」については諸説ありますが、諸葛孔明(234年の今日8月23日生まれ)が発明したというのがその本流のようです。

 

          

  孔明は、言うまでもなく「三国志」で有名な「蜀」の天才的智将ですが、彼が孟獲を征服して霊神を祀るときに、それまでは人身御供として人間を捧げる習俗があったのに反対して、人の代わりに羊の頭を捧げよ、と命令しました。
  この習慣が後に、麺の中に肉を詰めた饅頭(マントウ)になったので、本来の饅頭は、今のような小豆餡のまんじゅうではなく「肉まん」だったのです。

 ところで、日本の南北朝時代に京都の建仁寺の35世住職「龍山禅師」が留学を終えて帰国するときに、中国から「林浄因」という弟子を連れてきました。浄因はその後、奈良に住んで、まんじゅうを作りましたが、これが「奈良まんじゅう」の始まりです。ただその頃の日本では、仏教の影響で「肉食禁止」だったので、肉の代わりにアンコを入れたのです。

 

         

           (奈良饅頭)

 

        
               「浄因」を祀る林神社


 ところで、この林浄因の孫の孫、つまり浄因の五代目に紹伴という人がいて、家業がまんじゆう作りだったので菓子研究のために、父祖の地の中国に渡り、帰国後、一時、三河の国の塩瀬村に住んで、のち京都に上って烏丸でまんじゅう屋を開きました。これが今も東京にある有名な「塩瀬まんじゅう」の始まりでした。

 

        

              (塩瀬饅頭)

 

                            しらん