「10月9日」 セルバンデス

 1547年の今日「10月9日」に、スペインの小説家「セルパンデス」が生まれています。
 セルバンデスは、初めは軍人や奴隷生活などの辛酸をなめ、リアリズムの傑作「ドン・キホーテ」を書きました。
 自らを戯作者と卑下していたセルパンデスが、彼の分身として誕生させた、ドン・キホーテが、シェークスピアのハムレットと並んで不朽の人間類型にまで成長したことは、彼自身にとって全く意外なことでした。我々は、この世俗的軌道を脱した人物の中に、永遠に若き羞恥心と犠牲的精神の偉大さを見出すべきでしょう・・
 

        
           (ドン・キホーテと従者のサンテ)


・・さて、戦闘の日が到来したとしよう。そしたら彼「戦士」のコメカミを打ち抜いたか、さもなくば腕か脚を不具にした弾きずの治療のために麻布の患者帽がかぶせられるであろう。もし慈悲深い神が無事に一命を保たせたとしても、貧乏は旧態依然というわけだ。
 少しでも裕福になろうとすれば、戦いに次ぐ戦い・・、あなた方はいったい、戦争によって賞を得たものの数が、戦争に斃れた者の数よりもどんなに少ないか、お考えになったことがありますか?・・(ドン・キホーテ)


 子供のころ、サンダーブックという絵本でドンキホーテをよく読みました。
そのころ、♪ドン・キホーテ、ドン・キホーテ、ドンホーテ・・とよく口ずさんだものです。


〇 風月抄 「シカゴの大火」

 

       
            (昭和6年、白木屋の火事)

 

 ♪マッチ一本火事の元、サンマ焼いても家焼くな・・

 

 戦中戦後、カチカチと拍子木をたたいて自治会で火の用心の夜回りをしたことを思い出します。家も財産も何もかも焼き尽くす火事はほんとに怖いですね。


 アメリカのシカゴは、ニューヨーク、ロスアンゼルスに次いでアメリカ第三の大都市ですが、1830年代はディアボーン砦という人口わずか170人の小集落に過ぎませんでしたが、その後、わずか40年で人口33万人の大都市に成長しました。
 しかし、その成長の仕方は全く無秩序で狭い路地裏や行き止まりの小路に掘建小屋が立ち並んでいました。そのため、火事がしょっちゅう起こっていました。

 

   
             (シカゴ)


 ところが、1871年の今日「10月9日」の早朝、5頭の乳牛を飼って細々と生計を立てていたC・オレーリーの牛小屋から出火し、シカゴの第6消防分団が出動して消火に努めましたが、消火作業は遅々として進みません。

 というのは、その前日にも16時間にわたって燃え続けた大火があり、消防隊員は疲労の極に達していたのです。そのうえ、この日は空気が乾燥切っていた上に、強い南西の風が吹いていていました。
 火はますます燃え広がり消防団のほか軍隊まで出動し、さらにミルウォーキーやオハイオからも救援の消防隊が駆け付けましたがどうにもなりません。シカゴは三日間も猛火に包まれて市街地全部を焼き尽くしてから自然鎮火しました。
 そして、これを機会に本格的なシカゴの都市計画が実行されてアメリカ中西部最大の都市になったのです。
 
 なお、この大火の発端になった牛小屋の牛5頭はみんな焼死しましたが、この牛の皮で作った細工物はシカゴ大火記念として珍重され、高値で売れたそうです。いかにもアメリカらしいですね。

 

     

          (阿蘇の黒牛・あ、そう・・)

 

                         しらん