「5月17日」 バルビュス

1873年の今日「5月17日」に、フランスの作家「アンリ・バルビュス」が生まれています。

彼は、ジャーナリストで、反ファシズム・反戦・平和の運動家であり、第一次世界大戦に従軍して戦争の悲惨さを体験し、作家及び実践家として、社会主義のために闘いました。

 


  (バルビュス)


 ・・良心よ、知性よ、反抗せよ!
しかし、君たち自身の中で反抗するだけで充分だと信じてはならない。善意を持つだけで充分だと信じてはいけない。
「地上の地獄は善意で舗装されている」という古い格言は真を穿っている。今後は個人的な空想を捨てたまえ。君たちの観念はどんなものであれ、人生から離れている限り、偽りである。君たちの個性は鎖の環の一つに過ぎない。君たちは自分を縛りつけねばならないのだ・・

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風月抄「南京虫の裁判」  「5月17日」

                                             

    

        (芭蕉)              (高野山の芭蕉の句碑)

 

  東北紀行の芭蕉が奥の細道の中に、宮城県 尿前(しとまえ)の関で、

              のみしらみ馬の尿(しと)する枕元
     
 という俳句を詠んでいますが、それだけ昔はノミやシラミが多かったんですね。ノミはぴょんぴょん飛んで愛嬌ものですが、シラミはなんとも不気味な生き物です。シラミは学生時代に、借りたアパートの布団にいるのを始めみました。千手観音のようにいくつもの手足?があって、布団の縫い代に一列になって隠れていました。体じゅうがかゆくてたまらず、布団からシャツまで熱湯で消毒した記憶があります。

 

 南京虫の方は、幸い、あまりお目にかかったことがないです。ただし、軍隊時代に、明治時代の古い毛布に南京虫が一匹だけ見たことがあります。5ミリほどもある不気味な体つきで、こりゃなんじや?と驚いたことがありますが、幸い刺されはしなかったようです。戦後すぐ、DDTやBHCなどの殺虫剤が流行りましたが、ノミ、シラミ、南京虫など、戦前の虫取りは蠅取り紙か、噴霧器、ペポペコさせて粉を吹き出す蠅取り粉だけでした。

 

    

                    (噴霧器)                      (蠅取り粉)

 ところで、そんな馬鹿なことが…と思われるかもしれませんが、むかしアメリカでホントにあった南京虫裁判についての話です。 
 アメリカ一の大河、ミシシッピー川を最初に発見したヨーロッパ人はスペイン人の探検家「エルナンド・デ・ソト」ですが、彼は1541年5月8日に、アメリカ南部のミシシッピ川に到達しています。彼の探検隊はミシシッピ川下流域を探検しましたが、1521年5月21日に彼はミシシッピ河畔で死亡しました。

 その後100年以上経って本格的にウィスコンシンからミシシッピー川を探検したのはイエジス会のマルケットと毛皮商のジョリエで、彼らがーカンソーまで到着したのは1673年の5月17日でした。
 さて、1800年代後半の西部開拓時代に、このミシシッピー州で世にも珍しい裁判が行われています。原告は同州の有名な弁護士S・プレンティスと裁判官のゴールソン判事で、二人はレイモンドの街に一泊することになりましたが、夜中になるとからだ中がかゆくてたまりません。南京虫の襲撃です。

 眠るにも眠れず腹を立てた二人はピストルを取り出し南京虫退治を始めました。いくら西部開拓試合とはいえ南京虫を相手にピストルを乱射するとは前代未聞の出来事です。 おかげでベットは穴だらけになってしまいました。
 その結果、南京虫の何匹かは彼らの銃弾の露と消えましたが、夜が白むころ二人は一匹の南京虫がウロウロしているのを発見、これを生け捕りにすることに成功しました。それまで殺した何匹かの南京虫には正当防衛が成立しますが、生きている限りこ一匹の南京虫は被告として法廷に連行せなばならない、と彼らは考えて、州の定めにより南京虫の裁判を開きました。。

 そして陪審員が任命され、その中にはあの宿屋の主人も引っ張りだされ、「ゴールソン」検事として2時間に渡って被告の南京虫を糾弾し「プレンティス」弁護士と言う商売柄、南京虫の弁護をかって出ました。弁護人は声涙ともに下る大弁論を4時間も続けて、この可哀想な南京虫の無罪を主張しました。
 その結果、陪審員たちは被告の南京虫無罪として放免しました。ただし、、放免されたその南京虫が、その後どんなふうに生き延びたかは残念ながら記録に残っていません。

 ところで、日本でもむかし南京虫裁判があったようです。然しこれは南京虫が被告と言うわけではなく、被告は泊まった旅館でした。
 2004年に神戸のお寺の住職が鳥取県の三朝温泉にある旅館に泊まったとき、南京虫に刺され、かゆくて葬式などの仕事ができなかったとして、旅館を相手に157万円の損害賠償を求めた裁判です。裁判長は南京虫がいたことを認め、旅館に慰謝料10万円の支払いを命じています。 坊さんはかゆみのために一か月以上も休業したとか。。

 今は殺虫剤の普及で、ノミ、シラミや南京虫などの吸血鬼は殆ど見かけなくなりました。

 

                                                しらん