「1月30日」 ギロチンの起源
(ギロチンの処刑)
西洋では、昔、犯罪人を処刑するのに処刑台で首を斬り落としていました。いわば断頭台ですが、これを「ギロチン」と言います。横に開くのではなく、上下に開閉する窓のことを俗に「ギロチン窓」と言いますが、昔の私の母校や軍隊の兵舎の窓はみんなこのギロチン窓でした。うっかりすると窓が上から首の上に落ちてきてギャフーン!!
(校舎のギロチン窓)
(旧兵舎・引き揚げ者住宅に使われた)
敵や犯罪人を処刑するのに首をチョン斬るというのは別に日本の斬首刑だけの話ではなく、もともとは世界共通の手段でした。西洋ではこの首切り機械を「ギロチン」と言い、「J・ギヨロタン」というフランスの医師がこれを発明したので正しくは「ギヨティーヌ」という名前でした。
それにギヨロタンが発明したというのも正しくありません。もともとこのような首切機械は古くから使われていたからです。
(J・ギヨロタン) (ギロチン)
当時のフランスでは、貴族は苦痛の少ない斬首刑で平民は絞首刑、また平民の重犯罪者には八つ裂きの刑や車裂きなどの残酷な刑罰が課されていました。ですから、今は断頭台と言えばとても残酷な処刑のように思えますが、実は苦痛の少ない、貴族だけに許された名誉刑 だったのです。
(ルイ16世の処刑)
そのギロチンをフランス革命後の国民議会がギヨロタンの勧告に従って、正式に死刑の方法として採用したに過ぎません。 フランス皇帝の「ルイ16世」や王妃の「マリー・アントワネット」も哀れ、このギロチンの刃のもとで首を切られました。
(王妃・マリー・アントアネットの処刑)
ギロチンは二本の太い柱と、それをつなぐ厚いい板で作られていて、その板の上部に三角形の刃がつけられています。地上には十字型の台が置かれ、処刑される死刑囚はそこに首を差し伸べます。死刑執行人が手にする綱によって、その刃が柱の上から落ちてきて首を刎ねるのです。
(本物のギロチン)
こうして見てくると、ギロチンによる処刑は、まさしく恐怖時代の象徴のように思えますが、ギロチンが使用される前の処刑方法はもっと残忍でした。なんと、木を伐るときに使うのと同じような斧で首を切り落としていたのです。
中世から近世にかけてヨーロッパの王様たちは次々に市民裁判にかけられましたが、その市民社会の勃興期に、議会が出した「権利請願」を無視して専制政治を行ったイギリスの「チャルズ一世」は1649年1月30日に「公敵」として死刑を執行されました。
(イギリスのチャールズ一世)
この日カンタベリー主教が立会人になり、王はみずから自分のガーター勲章を主教に手渡して潔く首を差し出し、午後2時4分に死刑執行人は斧でその首を切り落とした、と記録されています。
まぁ、日本でも武士社会では日本刀で首を斬り落としていたのですから、斧と刀の違いだけで残忍さは五十歩、百歩だったかもしれませんね。
しらん