(48)   正田昭の場合

 ところで、確定死刑囚となった正田昭の場合はどうだっただろうか。一審で死刑の判決を受けた後に正田はこう述懐している。
「死刑の求刑が出た時はがっかりして、三日ばかりあまり眠れませんでした。然し母が慰めてくれたので、すぐに立ち直りました。ですから死刑の判決が出ても別に動揺はしません。ただ、母に泣かれて困りました」
 そして一審、二審、三審ともに死刑の判決だった。(*Kは懲役10年)

 しかし、正田の犯罪は果たして単なる金もうけだけの犯罪だったのだろうか。。正田の上告趣意書に、次のように彼の心境が記されている。
「私は進んで破滅を求めたのです。私にとってはもはや破滅だけが、長い間絶望してうずくまっている本当の自分を取り戻す、たった一つの方法だったのです。相手がHさんでなければならぬ理由は全くなかったのです。

イメージ 1 幼い頃、長兄の暴行が始まったあの晩以来、「大人」という人たちを心から憎み恐れました。幼い私が死ぬほど心を痛めているのに大人たち(長兄、母、姉)は少しも私を助けようとはしませんでした。理解しようとさえしませんでした。「大人は薄情で、残虐で、嘘つきでエゴイストなんだ」という拭いがたき不信と憎悪の対象に、たまたまHさんが居られた、というだけでございます」

 一言で言えば、正田は犯行前後人間不信の極にあった。犯罪は破滅のための手段であり、牢獄はむしろ憩いの場であったとも言えるだろう。。
 彼が目の前で、むしろ楽し気に犯罪について語り、その後もニヒリストとしてジャーナリズムに手記を発表したりしたのは、破滅に成功した彼の安心と成功の気持ちを示している。

  このような不信の人を人間の世界に取り戻し、信頼と会いを示してくれたのが、彼の場合はカトリックの信仰であリ、カンドウ神父であった。 
 「もしS・カンドウ神父にお会いできなかったならば、私は人を信頼せず、自分と人との交わりをしないばかりか、自分をひとりの人として認めることさえ出来なかったでしょう。ですから罪の意識も持てなかったでしょう。神父様は他の人とは全然違った人でした。あの方は黙って私に微笑みかけ、微笑みつつ自分のすべてを受け入れ、信頼や愛の定義を教えるよりも、まず信頼や愛を私に投げかけてくれました。」

 カンドウ神父の手で正田が洗礼を受けたのは1955年7月9日、精神鑑定のため入院していた松沢病院に於いてだった。そして9月下旬にカンドウ神父が亡くなった。
 「私が真に泣くことがD来たのは、その時が最初でした。私は窓辺に立って雄大な夕焼空を眺めながら何故ともなくこの大自然の雄大さが、今は亡きカンドウ神父そのものに思えてなりませんでした。」
  ・・・・・
 イメージ 5独房の正田は、房内はきれいに整頓され着衣も清潔で几帳面な性格がのぞいていた。彼の発言は抽象的なものが多く、当時の彼が形而上学に深い関心を抱いていたのを思わせる。
 「以前は大人のやることが生暖かく、偽善にあふれたものに見えたのです。人間は誰も信用できず、すべて猜疑の眼で見て、毎日いらいらして落ち着きませんでした。女なんて金でどうにでもなるし、大人たちは金と地位しか眼中にないので、こっちも金さえ持っていれば容易に対抗できると考えていました。その頃のことを思えばぞっとします。それに比べればここの生活は天国です。」

 正田はしばしば夢について語った。
 「多いのは犯行の夢です。ほとんど犯行前後の乱れた生活の事が多く、天国の夢を見たいのですが一度もありません。それと多いのは自由に外を出歩いている夢です。然し残念なことに夕方には必ず拘置所に戻って来なくてはならないのです。私の夢は色は付いているんですが総天然色ではなく、画面の一部に色が、たとえば太陽が黄色とか、色がついているだけなんです」 

 彼の「夢日記」という作品を見れば、生涯の様々な夢が載っているが、確かに犯罪と逃亡の夢であった。「私は絶えず追われている夢を見る。一種の強迫観念だろう」とか「なぜ逃げる夢を見るのだろう。現実逃避の願望を現しているのだろうか、しかも私は昼間は平静な気持ちで過ごしているのだ。もし夢の方は真実なら、昼間の外観は見せかけのものになる」と書いている。」

 担当看守の話でも、正田は別に変った様子も見せず、判決後取り乱したら興奮状態になったりする囚人が多い中で、彼の態度は不思議な感じに写ったという。

                                                                       つづく

 
イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


                        ナンジヤモンジャの花が咲きました。

  初夏の陽気だというのに、雪が降ったように見えるので、「あれは何じゃ?」という訳で「なんじゃもんじゃ」という名前がついている珍樹です。正式名は「一ッ葉タゴ」で、対馬には自生の群落があるとか。。