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  (42)「帝銀事件」
 

「帝銀事件」・・昭和23年1月。
 小平事件に次いで昭和23年には、銀行員に青酸カリを飲ませて殺害するという驚くべき事件が起こった。 いわゆる「帝銀事件」である。

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  「帝銀事件」は1948年(昭和23年)1月26日、東京豊島区の帝国銀行椎名町支店で起こった。
厚生省の役人を装った犯人が、帝銀椎名町支店の行員たちに、赤痢の予防薬と称して青酸カリを飲ませて12名の銀行員を殺害した大量殺人事件であった。犯人に飲ませられた青酸カリのために行員の12名が死亡し、4人が瀕死の重体に陥ったのである。


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                                                                         (犯行直後の様子)


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(犯人)のモンタージュ写真)


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 目撃者の証言から犯人は四十四、五歳で身長5尺三寸、頭は丸刈りで、一見柔和な顔、上品な言葉使い、医者か消毒係のよな人物だと分かった。

  そして被疑者として8月21日に北海道の小樽で画家の平沢貞道が逮捕された。彼は犯行を否認したが、9月23日になって突然犯行を自供、然し一審の裁判が始まると全面否認に転じた。1950年7月24日死刑判決が出て上告、55年4月には上告棄却の判決が出て平沢の死刑が確定した。

 ←平沢自身による犯行の再現写真


もともと平沢は狂犬病の予防注射の影響でコルサコフ症候群を患っており、誇張の多い言動や、すぐ見破られるような嘘を平気でいう虚言癖があった。


  自分の色紙が一番よく売れるとか、50円のチップを200円、500円の色紙が千円に売れた、などと嘘をつく。戦時中は船底にカキがつくのを防ぐ塗料を発明したから、「今度は俺も大金持ちになるぞ、海軍に150万円で売ろうかな」と友人たちに吹聴して歩いたそうである。

 そしてその嘘をついた本人が、いつの間にかそれを本当のことと信じこんでしまうのである。嘘か真かの区別が本人にも曖昧になってきて、自分までだまされる空想虚言者になっていたのである。
とすれば、取り調べ検事に対して犯行を自白した彼の犯行自体にも虚言症によるうそだったとの疑いが残るのである。

 イメージ 6その後の死刑囚としての平沢は、隠者の風格があったという。
多くの死刑囚が荒れるのと違い、獄中の平沢はいつもニコニコして人当たりがやわらかで、永年の房内生活の苦しみを顔に現す事もなく、面会者とも自分の家でご隠居さんが来客と話しているようだった。適当に手振り身振りを交えて話す様子は恰も歌舞伎の世話物を演じている役者のような感じがしたという。

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そして、常に自分の無罪を信じ、検事が勝手に真犯人にでっち上げたのだという強い信念があり、最後まで潔白な平沢画伯として誇らしげに冤罪を主張し続けたのであった。



 平沢の死刑が確定して以来39年間、三度の自殺未遂を経て、なお彼は刑の執行もされず、一度も出獄しないままで、肺炎のために獄中で死んだ。 享年95歳だった。
 彼の一生は何だったのだろう。。うそかまことか、夢かまぼろしか。。


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                    (ほらほら、坊や・・風邪を引くよー)
        

             「春暁」
                                             春眠暁を覚えず
                     処々に啼鳥を聞く
                     夜来風雨の声
                     花落つること知りぬ多少ぞ

                               (唐 ・孟浩然)