雷  (240) 「放屁論」

 イメージ 1あまりお上品とは言えませんが、平賀源内には「放屁論」という戯作があります。火野葦平にも芥川賞の「糞尿譚」という短編がありますが、汚いものを主題にしていながら、思わず引き込まれてしまう面白い小説でした。

 糞尿同様、話題としてはあまり上品とは言えない「屁」のことを論じた源内の「放屁論」もなかなか面白そうなので、ちょっと覗いてみましょう。
 源内に言わせれば、なんと見えないはずの「屁」にも形があるそうですよー。

イメージ 4・・「漢(中国)にては放屁といひ、上方にては(屁をこく)といひ、関東にては(屁をひる)といひ、女中は都て(おなら)といふ。
その語は異なれども、鳴ると臭きは同じことなり。
 その音に三等あり。
ブツと鳴るもの上品にしてその形丸く、ブウと鳴るもの中品にして、その形いびつなり。 スーとすかすもの、下品にして細長くして少しひらたし。

 これらは皆、素人も常にひる所なり。
彼の「放屁男」のごとく、奇奇妙妙に至りては、放さざる音なく、備らざる形なし。
 そもそも、いかなる故ぞと聞けば、彼の母、常に芋を好みけるが、或る夜の夢に「火吹き竹」を呑むを夢みて懐胎し、鳳屁元年へのえイタチの歳、春の梅匂ふ頃に誕生せしが、成人するに随ひて次第に屁ひりが上手くなり、「屁ひり男」として今や江戸中の大評判となる。まさに「屁は身を助く」とは実にこの事ならん。・・・ 」と、何ともおかしな話が続きます。


 昔は「屁ふり男」という商売があったんですね。放屁の芸で世渡りが出来るとは、なんだか愉快な話ですが、むかし十九世紀末のフランスのパリの劇場(ムーラン・ルージュという)あたりで、自由自在に屁を放ち、しかも音程も調節できてフランス国歌の「ラ・マルセエイズ」などを奏してやんやの喝采を浴びた「放屁男」が実際にいたそうです。

 〇 「屁ふり爺」
 
  日本でも、秋田の民話に「屁ひり爺」というのがあります。そこに登場する爺さんは、素晴らしい音がする屁を出して殿様にほうびをもらいますが、これが日本で最初に登場する「屁の名人」なのかも知れません。要約したものをちょっとお借りして・・

・・「ある所にヘビリジチャ(屁ひり爺)が山に行って薪をとっていると、山の持ち主が来て、誰だおれの薪を切っているのはと言い、屁をふってみろといわれて、「ニシキサラサラ、五葉の松、トッピンパラリのポン」と屁をふった。すると山廻りにきた人が、たいしたものだ、もう一度聞かせてくれと言ったので、前より良く屁をふると、お礼にそこにある薪をとっても良いといわれて、たくさん取って来た。

 隣の爺がそれを聞き、山に行って薪を伐ると、山廻ってきた人が「誰が薪を伐っているのか」と尋ねたので、ヘピリジジ(屁ひり爺)だと言った。すると屁をふって聞かせてみろというので、頑張ってふるといいあんばいに出ず、くそをたらした。そこで山の主にたいそう怒られたそうだ。

 〇同じような「屁ふり爺」の話が佐賀県伊万里地方の民話にも残っています。方言なので判りづらいですが、大意は秋田の民話と同じようなものです。

 ・・むかーし、むかしね。
ほんに優しかお爺さんのおいござったて。(*いたそうです)
そいぎ(そしたら)その人は、よう山に焚物取いに行きよらしたて。
そいぎぃ(そうして)、偶然、その山の山主さんに出逢うて、
「お前、なし(なぜ)、他人のとば切いよっかい」と怒られて「お前は、ほんに屁のふい方の上手ちゅうが、どがんすっとかい、「俺にいっちょその、聞かせてくれんかい」て、山主さんの言わしたて。
 
「そいぎにゃあ(それじゃ)、ごめんなさい」ち言うて、屁ばふらしたぎぃ、「その屁ふりピッピィー」て、ほんに音も良うして、その臭いも白檀の匂いのごと良かったて。
 
 そいぎぃ(そしたら)、その山主さんは
「お前、これから何処でん薪ば切って良かたい。俺も時々来っけん。お前の屁ば聞かせてくれんかい」て言うてその・・、山の焚物取いに行たてよか、と許されて、そいからもう、山主さんに屁どん聞かせて楽しゅう焚物ば取いよらしたてたて。

 イメージ 2そいがだんだん評判になって、殿さんに聞こえたちゅうもん。そこで殿さんもいっちょうその屁ば聞いてみたかて、いう事になって、殿さんの前に呼ばれて屁ばふらしたち。

 最初は殿さんの家じゃけん、畏まっておらしたばってん、一つ・二つ屁ふらしたぎぃ、自分も楽しゅうなって、だんだん面白うもなるし、臭いも良うして、もう白檀の匂いのような屁ばふらすもんじゃけん、殿さん達は楽しゅう屁ば聞かしたて・・
 そうして、「今日は良か屁ば聞かせてもろうて良かった」て言うて、褒美ばたいそう呉れござったそうで。

 そいぎぃ、隣の意地悪爺さんが「屁ぶって褒美貰うないば、俺もいっちょ・・」と思うて、「屁ふり爺でござい」と町ば触れて歩かしたそうで・・


 そいぎー、そいば(それを)また殿さんに聞こえて、お城に呼ばれて、大広間で屁ふらしたばってん、今度は意地悪爺さんやっけん、この前の爺さんの屁のごと良うなしぃ、臭いは悪かし、もう、ビリビリビリと、座敷いっぴゃーその・・だいかぶった(下痢した)もんじゃっけん。
「この無礼者!」ちゅうて、意地悪爺さんは打首にならしたて・・。

 そいけん(それだから)、人真似どますんもんじゃなか・・
その前の屁ふい爺さんの良かったとは、かねがね行いの良かったけん、そがん果報のあったと。
だから、その時ばっかりじゃいかん、毎日毎日の積み重ねが、そがん果報になって戻ってくっとじゃっけんのう。
 
     はい、こいでおしまい、チャンチャン。
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イメージ 3

                                            (何事も、大きいことはいい事だ)

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