「5,15事件」   

 1932年(昭和7年)の今日・5月15日に、国粋主義の青年将校たちによる反乱事件が起こっています。
 
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  第一次世界大戦後、財閥や政党の腐敗を憂うる海軍将校たちによる「5,15事件」が起こった。
 昭和7年のことである。
  青年将校たちは首相官邸に押し入り、犬養毅首相を「問答無用」とばかり射殺し、別働隊は牧野内相官邸、警視庁などを襲った。
 
 首謀者の一人である三上卓(佐賀県出身)は海軍中尉、事件後15年の刑を受けたが、 彼の作詞した歌「昭和維新の歌」は、財閥、政党の腐敗を憂うる当時の若者の間に広く歌われた。 
 
 
 
    ♪汨羅(べきら)の渕に 波騒ぎ
     巫山(ふざん)の雲は 乱れ飛ぶ
     混濁の世に 我れ立てば
     義憤に燃えて 血潮湧く
    
 
     権門上(かみ)に 傲(おご)れども
     国家(くに)を憂ふる 誠なし
     財閥富を 誇れども
     社稷(しゃしょく)を思ふ 心なし
 
 
     ああ人栄え 国亡ぶ
     盲(めしい)たる民 世に踊る
     治乱興亡 夢に似て
     世は一局の碁なりけり
 
   
  学生時代に私たちもよく歌ったものだ、当時の血気盛んな青年の心情にはぴったりの歌だった。
 
 余談だが、友人のK君は学徒出陣で騎兵隊に入隊、その後スパイ学校として有名な「陸軍中野学校」に進み、敗戦間近かに佐賀の部隊に配属された。彼の任務のひとつは、この「三上卓」の動静を調べることにあったという。

(その理由は彼自身にも分からなかったそうだが、戦後、三上卓は「三無事件」という自衛隊のクーデター事件(未遂)にも関連したことがあるらしいから、戦時中も要注意人物だったのは疑いがない。)
 
 5,15事件ののち、昭和11年には青年将校たちによるクーデター「2,26事件」がおこり、次いで盧溝橋事件から日中戦争へと、日本は戦争という泥沼の中に足を踏み込んで行ったのである。