東新宿の業務スーパーに週2回、定期的にまとめ買いに行っている。

その店は常に忙しく、レジは長蛇の列になることが多い。夜、そこのレジ業務を担うアラブ系?の女性の「はい、お客さん、どうぞ~、お客さん、どうぞ~」と並んでいる次の客を促す、外人特有のイントネーションの声が店中に響いている。シャキシャキと手際よく捌いていつも忙しそうだ。

私が店員さんがレジを打っている間に袋詰めをしていく(その方が時間効率がいい)と、それがやりずらいのか、「お姉さんちょっと待って!」とか最初の頃は怒られたりしていたが、ある時、レジが混んでいなかったので袋詰めを手伝ってくれたので、

「お姉さん(お互いに「お姉さん」と呼び合っている)、今日はやさしいね」と言うと

「私、本当はやってあげたい、でもいつも忙しいから、やってあげられるときはやってあげる。」

と言った。それがきっかけで次第に話すようになった。

昨夜行くと、レジを打ち終わった彼女は言った。

「お姉さんはいいねえ~、働かないで使うだけで」

(以前に聞かれたので一応私も仕事をしていることは言ったが)

「いや、一応働いてるよ、今日も、ただ働きしてきたし」
(実際、付き合いでのただ働きも少なくなく、昨日も商工祭りの店番に行った)

「そう?私ね、もう朝から晩まで立ちっぱなしで働いて、もう疲れちゃうの」

ここの店舗以外にも、掛け持ちでどこかの店で働いていると聞いていた。

「ああ~、そう、私も昔、そうだったよ、でもね、ちょっと身体の都合で立ち仕事ができなくなって・・・」

(2,30年前の話だが事実)

まあ、彼女は私の話なんか殆ど聞こえておらず、もう自分が疲れてぐったりしている感じだった。だからいつもへらへらしている私を見ると気楽で羨ましく見えたのだろう。

立ち仕事に関して、断っておくが私は販売の仕事が好きで、身体が許せば続けていたかった、ここで言いたいのはそういう立ち仕事が云々ということではなくて、生活のためだけに働き、そのために自分の労力と時間を切り売りして、何時まで経ってもその負のスパイラルから抜け出せない、彼女は今、そういう状態で疲れ切っているということがわかるという意味だ。

そしてそうではなさそうな人のことが羨ましく見える。

いつもへらへらしてレジに来る私は、働かないで買い物しに来る、気楽な身に映るのだろう。

その気持ちが痛いほどわかる。

今でもそうだが私は昔はもっとそうだった。寝ても覚めても、こんなんじゃだめだ、この生活から抜け出すにはどうしたらいいか、葛藤しながら死ぬほど考え続けた。

そのうち世の中には、はっきりと、いくつもの階層、世界があることに気づいた。

どの世界に生きているか、その一番の要素は自分の意識だろう。

毎日毎日、自分の意識がある世界によって考えていることが全く違う。

例えばどうやったら経営が上手くいくかから、根本的な問題を考え続けている人の世界、生活費のやりくりをどうしようかと1円単位で考えている人の世界、自分の時間の切り売りでなく、お金をどうやって増やすかを考える人の世界、少しでも痩せられるかを第一に考える人の世界、とにかく家庭の日常の幸せを第一に考える人の世界・・・。

私は毎日、自分の体調の悪さとどう闘って、生活資金を得るための仕事ができるか、その思考に追われ、それだけで精一杯だった。具体的には、私は異常にむくみやすい体質で、むくむと体も頭も重く非常に辛いから、むくみを取るためにサウナばかり入っていた。そうすると益々むくみやすくなるのか、サウナなしでは生きて行けなかった。自分の時間は睡眠の次にサウナで費やされた。サウナに悶々といるのは苦痛でしかないし時間も勿体ないが、他に方法がなかった。精神的にもいつも不安定だった。

ゼロから成金になったある人がYoutubeで言っていた。

「自分を変えるには、自分の意識を変えるなんて無理だ。そのためには、自分のいる環境を変えるか、時間の使い方を変えるか、付き合う人を変えるかだ。」

それを変えるには、自分の意識だけ変えようと思っても限界がある。

環境を変えなければならない、行きたい世界に近ずく環境に身を置かなければ。

 

昔ある人から言われた、名言がある。

「自分が幸せじゃない人が、どうして人を幸せにできるんだ?!」

彼女の疲れた顔を思い出す。