東新宿に引っ越してから、新宿駅が近くなったので通勤に使うことが増えた。

今朝、新宿駅に向かいながら思った。

昨日図書館で見かけた、歌舞伎町の魅力について書いた本を思い出しながら・・・。

 

 転居先を探す時、もう新宿に住むのはやめて、杉並区か、武蔵野市辺りの住みやすい街にするつもりだったが、紆余曲折を経て結局東新宿になってしまった、私は新宿から逃れられない定めのようにも感じた。

自分にはもっと、おっとりした気質の地域の方がホッと出来ていいのではとも思うのだが。

 

 でも自分が住むか否かは別として、新宿の街を愛してはいる。

何故か、それは、新宿の持つ多様性が好きだからだ。

新宿の街の魅力って、やっぱり多様性じゃないかと思う。

どんな人種でも受け入れる街、多分日本で一番外国人が多い、欧米人も、アジアも中南米も。そして、年齢で言えば中学生から老人まで、また大富豪からホームレスまで。性的マイノリティも多いし、ホームレスをはじめ普通の社会では生きにくい人も、何の違和感なく受け入れる街。

それでいて卑しい汚さはない。

全ての人種を受入れ、それをエネルギーに変えて発展していく。

 

 普通に親に育てられ、結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築く。子育てしやすい街に住み、休日は子供とレジャーに出かけ、SNSに子供の写真をアップする。家族のある生活・・・そんなことが当たり前であり、幸せのバロメーターでもある。

 そして仕事ができる。"仕事ができる”っていうのは、社会適合性があるということではないかと思う。社会で求められていることに対し、自分が価値を提供できるということ、それが"仕事ができる”というのではないかと思う。

 普通の、いわゆる"住みやすい街”っていうのは、こういう一般常識バロメーターを持った人たちに合わせて作られている。

だから、例えば一生家庭を持たなかったり、前科があったり、ホームレスだったり、外国籍や性別不詳、もろもろの属性や要素を持った、どこまでも孤独な人は、どこか一般社会に馴染めず、"住みやすい街”でも違和感を抱えて生きている。

 この街新宿は、このバロメーターを持たない人、非常識でも、社会の底辺にいる人でも、何の違和感なく受け入れ、ホッとできる場所があるような気がする。

 家族を一番大切にする生活、それが羨ましくなるなんて、そういうことに一番の価値を感じるようになるなんて、若い頃は思いもしなかったけど、本音は羨ましくてしょうがない。

 そして仕事ができなくちゃいけない、常にそういう物差しで測られてる、そう感じるのは自分が常に他人の物差しで全てを測っているからなんだけど。ふと気が付くとそういった常識バロメーターの中で生きている。

 しかしもともと社会不適合人間だったのが無理やり社会に合わせて生きているから、常に自己否定感を感じて生きている。

 朝歌舞伎町の汚い裏通りを自転車で走るたびに感じる。

この街は、"バカみたい、なんでそんな常識に捉われてるの?アンタ。”と私に蔑むように投げかける。心から馬鹿馬鹿しい、とお手上げリアクションをする。

 ホームレスでも、立ちんぼでも、その世界を受入れている。

だから何なのさお姉さん、そうやって一般社会の物差しで生きて、見栄に捉われてればいいじゃん、って、歌舞伎町裏通りの朝の風が私のほほを叩き、目を覚まさせてくれる。