
さて 東京 東銀座といえば、新しい歌舞伎座
地下広場もこのように、天井が格子模様の江戸情緒たっぷりの
「木挽町(こびきちょう)広場」が誕生しすごい賑わいを見せていました

4月2日にオープンのこけら落としでは、第三部の演目は
「勧進帳」
千秋楽の4月28日で松本幸四郎(九代目)さん演じる弁慶が
1100回に達したそうです
「勧進帳」は幕末 七代目團十郎さんが能の「安宅(あたか)」を基に
歌舞伎に仕立てたもの。。。
市川家のお家芸「歌舞伎十八番」のひとつで、もっとも知られた作品です
そして 市川海老蔵さんの第2子 ご長男のお名前も
「勧進帳」の「勧」から、「勧玄」(かんげん)と名付けらたのですね
そして ここ小松空港の入り口にもこのようにいくつかの像が
建てられてありますが これは弁慶の像です
石川県 小松市には、「安宅の関」があることから、
全国から子供歌舞伎を招待し、地元の子供達と競演するイベントを
行なうほど、盛んなのです
もちろん 演目は「勧進帳」
又 今年 本日5月10日~13日まで行なわれる「お旅まつり」は
360年の歴史があり仏壇制作の技術を生かした豪華絢爛な屋台が
8基登場します
ライトアップされた曳山の上で上演される子供歌舞伎に人気が集中!!
期間中毎年20万人もの見物客で賑わいます
私は テレビの報道でしか拝見していませんが
それでも役者顔負けの子供達の可愛らしさや妖艶さを併せ持った
熱演につい見入ってしまいます
地元の人達によって毎年微笑ましく見守られているのですね
小松市。。。
加賀藩 三代藩主 前田利常が奨励した加賀絹の生産によって得られた
豊かな経済力が江戸中期以降の曳山子供歌舞伎に代表される町衆文化を
大きく開花させたといわれており、團十郎さんとの親交もあります
小松空港から車で数分の所にある「安宅の関」です
与謝野晶子の歌碑もあるのですね
源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は、
生来の猜疑心からこれを退けようとする兄源頼朝に追われ
奥州藤原氏を頼って北陸から落ち延びようとしました
頼朝はこれを知って各地に関所を設けます
当 「安宅の関所」は富樫左右衛門
1183年 山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が「安宅の関」に
さしかかります
その際 焼失した東大寺再建のための勧進(寄付を募る)を行なっていると
弁慶が言うと、富樫は 「勧進帳」を読み上げるよう命じました

弁慶は たまたま持っていた何も書かれていない巻物を
「勧進帳」であるかのように装い朗々と読み上げます

尚も疑う富樫は、山伏の心得等と問いただしますが、
弁慶はよどみなく答えました
富樫は通行を許しますが 部下の一人が義経に疑いをかけます
すると 弁慶は主君の義経を金剛杖で打ち据えたのです!!
富樫は弁慶の忠誠心に打たれ、義経一行とだと気付きながらも
関の通行を許してしまった。。。という美談
今も尚日本人の心を打つのですね
こちらの安宅ビューテラスに隣接している『勧進帳ものがたり館』では
約12分の映像で解説してくれます
名物小松うどんも美味しく頂けます

永井柳太郎氏の自筆に、刻まれている文字の意味は
「智」は弁慶の知恵 「仁」は富樫の情け 「勇」は義経の勇気で
日本古来の国民性の美しさを端的に表現している言葉なのです
そして、全国唯一の「難関突破の神様」を祀っている安宅住吉神社

そんな難関突破の神社にほど近い「旧根上町」に
まさに「勇 智 仁」の3つを兼ね備えた方が誕生されました

長嶋茂雄氏と共に、近頃 「国民栄誉賞」を受賞された
松井秀喜氏の故郷です
ハイ 故郷石川県の誇りであり、日本の誇り!!ですね(*^o^*)
1994年に「松井秀喜野球の館」としてオープンした時に訪れた
思い出がありますが、2005年にリニューアルしていたことには
気付かず、バロック風のゴージャスな建物にとても驚きました!!
あらためて 「国民栄誉賞 受賞」誠におめでとうございます

受賞翌日は、「ベースボールミュージアム」に全国から
ナント一日に1900人が訪れたとのことですが。。。
機会をみて又新しい館内にも訪れてみたいと思っております

今後の松井氏の「新たな伝説」にもきっと目が離せないでしょう

ではでは 皆様 ごきげんよう ありがとうございました
