久しぶりに庭いじりした。

冬の間、ほうっておいた庭では

プランターの花々がすっかり枯れてしまっている。


庭は、自分のこころを映す。

気力も体力も満ちているときには

庭は美しい花であふれ、いつまで眺めていても飽きない。

忙しくてこころが殺伐としているとき

同じように、草花は枯れて寒々しい風景に変わってしまう。

庭を見ないように、私はカーテンを引く。


植物を愛でるのは、子育てにも似ていて。

あれやこれや手をかけるのではなく

そのものの生命力を信じて、付かず離れず世話していく。

だけど、目を離してはいけない。無関心になってしまってはいけない。

同じように水をやり、同じように肥料をあげても

見つめてあげていない草花は

なぜか、枯れてゆく。


今回は、明るい色の花が欲しかったので

オレンジと黄色のディモルフォセカ を植えてみた。

これからまた、少しずつ庭を綺麗にしていこう。

やっぱり、やることいっぱいあるんだよね。




穿った見方をすれば

いくらいさめても一向にチカラをゆるめない私を

彼は

無理やりPCから引き離したのではないかと

そんな気がする。


なんにでも

どんなことにも

良い方向の意味を見つけようとするのは

私のクセだけど。





ブログを休んで、本を読み出しているのだが・・・

いかん。


一度本を読み出すと、読み終えるまで頭を上げない性質だから

子供が小さい頃は、なるべく読まないようにしていた。

一度、ついうっかり本を読み始めてしまって、子供が

「おなかがすいたよ~~」と泣きはじめても、「ああ、うん」と生返事。

自分ひとりじゃないから、もう厚い本はとうてい読めない、と思った。


薄い文庫本なら、3時間もあれば充分すぎる。

それでも、主婦にとっては まとまった長い時間。


栞を はさめる人にならないといけないね。

なんでも、集中してしまう。

ぐうたらのくせに。



なんとか合格できたようです。


まったく・・・自分が受験したほうがなんぼか楽だわぃ。



荒川静香のスケートを見ていて

武道を思い出した。


剣道とかなぎなたって、相手に一撃を与えても

必ずしも 「一本!」 にはならない。

心・技・体 がともなって初めて納得してもらえるのである。


彼女のスケートは、派手さはないかもしれないが

心・技・体 が一緒になって、見るものの心を動かしたのだ、と思う。


凛とした風情が、サムライっぽいぞ^^



最近よく見る、カリスマホスト。

彼の名前を聞くたびに、「論語」を思い出す。


巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん) 言葉巧みで表情を取り繕っている者は、却って仁の心が欠けているものである。


巧言令色城崎仁・・・・






テレビを見てて、激安なマグロを売ってるお店があった。

マグロのかたまりのパックが105円!

「えー、これって、どこ?」

そういう私の問いに

コックは 「中落ちでしょ」 と、答えた。


魚の部位をきいたんじゃないのに・・・

職業柄ってやつかしら。



私には何が愛なのかよくわかっていない。

第一、愛という言葉が曖昧で意味がハッキリとしていない。


言い表しにくいことを伝えるときに

「アレ」とか「ソレ」とか

「どうも」だったり

そんな言葉と同じものか?、、とか思ったり。

便利な言葉であることに変わりない。


「愛してるよ」 と一言ですんでしまうときもあれば

なんだか意味のわからない、でも心温まることを、「愛だね」って

言えば納得してもらえるような。


だって、愛としかいえないじゃん?

そう言われれば、そうか、とうなずいてしまう。

だけど、私の心のなかではモヤモヤが残る。

愛かもしれないけど

愛ってんじゃないんだよな、って

愛をよくわかってないくせに

そう思ってしまう。