子供が罪を犯して捕まったとする。
「ボクは本当になにもしていないんだよ」って、必死に繰り返し叫ぶ。
信じ続けることが親じゃない?
そう言われて私は
「いや、私は違う」と答えた。
犯した罪が本当かそうでないのか
それは、本人しかわからない。
私なら、「疑われるようなことをした責任は自分にある」 ことから始まる。
賢い者なら、まずそれを避けることからするべきで
そうしなかった者は、軽率だったことへのペナルティを受ける。
自分の子供が、悪いことをしたと認めたい親はいない。
だが、真実はひとつしかない。
私が信じるのは、その子の良心であって
私の信頼に応えてくれるかどうか、である。
だまされ続けることが親の愛情じゃない
何もかも承知で信じ続けることなんか、私にはできない。
本当にやってないのだね?
その問いにまっすぐに答えてくれる子供に育てる。
信じさせてくれる人間に育てる。
信頼に応える、誠実な人に育てる。
それはね、理想。
信じたいのはやまやまだけど
人間は弱いものだというのも、真実。
たとえ親子であっても
広角的な目で見ていたい。
冷たいと言われようと、それが私の考え方だ。
でもね
罪人になろうとも
一生、繋がっていくのが
親子というものじゃないのかしら。
信じることより、事実を受け入れる覚悟。
それが、親の愛情というものじゃないかと
昨日の問いに、答えておきたい。
途中で
放棄、はできないものなのだよ。
「どうして、いくつもブログを持ってるんだよ?」 と、息子がたくさん並ぶIDを見て言う。
目的に合わせて作ったら、こうなるんだよ
と、訳のわからん説明に、ふぅん、、、と納得せず。
不特定多数の人と語り合う話題と
数人の内輪で語り合う話題と、違うでしょ。
ここはわりと本音に近い感じ。
アッチが嘘のブログというわけじゃない。
発した言葉の波紋の大きさが違う、ということかな。
話すまでもないような、広めることでもないような
そんな話を、ここではしてる。
コソコソ話じゃないけど
あまりたくさんの人に、独り言を聞かせたくはない。
本当に聞かせたくないことは
自分の心のなかのブログに、収めておくけれど。
それは、喉から
ざわざわと寒気が押し寄せて
戦いが近いことを悟る
薬は 飲まない。
水分と ビタミンCを補給
首にタオルを巻いて
さっさと、床に就く。
熱が出るのを 待つ。
決戦は一晩
それで、ケリをつける
次の日までずるずる長引かせない。
熱が出れば
戦っている証拠。
朝までには頭痛も寒気も失せている。
やっぱり、疲れていたんだねぇ
コメント欄とtrackback欄を閉じているブログがある。
以前は、コメントのやりとりをしてたのに。
コメントしたいのになぁ・・・・
そう思いながら、いつものように寄ってみた。
そうしたら
そのときは、コメント欄が開いていて
誰かがコメントを残していた。
ほかの記事も、全部コメント欄が開いてて
コメントが残されてる。
そして、日付がみんな、違っている。
私が気がつかないだけで
ときどき、こっそりと、コメント欄を開けていたんだね。
こういうとき、「やった!コメント欄が開いてる。ラッキー♪」って思って
すかさず、コメントを残していく人もいれば
私みたいに
「また、すぐ閉じてしまうのね」、あなたの気まぐれには付き合わないよ、
と素通りしていく人もいる。
それまでは、コメントしたくてたまらなかったのにな。
だけど、そのとき以来、すっかりコメントしたくなくなってしまった。
あなたの扉があくのを
目の前でじっと待つだけなんて
私には、できないのです。
自分の都合でしか開かないブログには
ただ、見守っているだけ、なんだなぁ。
生協の品物が届いて、冷蔵庫に詰めながら
さて、今夜は何を食べようかと考える。
小学校と中学校の給食の献立表をチェック。
小学校・・・ あきのかおりごはん、さけのホイルつつみやき、とんじる
中学校・・・ 中華おこわ、揚げギョーザ、ワンタンスープ
豪華ジャン。私も食べたいよ~~
さて、てんでバラバラなメニューだけど
こういうとき、大きなくくり で考える。
小学校は、和食。 中学校は、中華。
ということは、今夜の晩御飯は必然的に
かぶらないよう、洋食になるってことだ。
んむー、洋食・・・・・
ポトフにしようかな。
カチンと来る言葉に出会ったとき
すぐに反撃はしない。
ちょっと待て。
ゆっくり、どう料理しようか考える。
たて、横、ななめ
表も裏も眺め回して
それから
相手するほどのもんでもないな、と
無視する。
それを、ひとは
我慢と 呼ぶらしい。
