お母さん私(母)

娘の不登校・ひきこもりと、夫によるカサンドラ症候群や毒親に悩む主婦


お母さん娘(通信制高校3年生)

中2から不登校でひきこもりの娘。

一応週5登校コース在籍。

ほぼ登校していません。

発達障害とPTSDによる抑鬱あり。


お父さん

娘に似た特性があるが自覚無し。


※娘が小学生~中学生の頃の話です。
娘の育てにくさと親子関係の悪化に悩んだ私が、娘の発達障害の診断をきっかけに、育児のやり直しと娘との関係性の再構築を目指した話になります。


今までの話

娘が小学校高学年のある日、突然入院をする事態になりました。



娘はかなり難しい手術をして、ICUやACUで治療を受けつつ、約2ヶ月の入院となりました。


その病院での入院中に、リエゾン回診が始まりました。



それが、娘が人生で初めて精神科に繋がった時です。



娘の育てづらさや自宅で荒れる事等を、私は学校の担任に相談していましたが、そこから特に話が発展する事はありませんでした。



娘が通う学校は学年崩壊しており、他害をする子、授業中立ち歩いて脱走する子が多く、いじめや暴言暴力が日常的でした。



そんな劣悪な環境では、授業妨害もなく発達の遅れもない娘は、学校では全く問題ないと認識されました。


発達面で支援が必要な児童が多かったり、まともに授業ができない事があった娘の学年では、娘を発達面の相談機関やサポートに繋げようとする余裕が、先生方に全く無い状況だったのだと思います。



私は相談先を完全に間違えました。



先生からの
「学校では何も問題ないですよ。家で荒れるのは親御さんに甘えているからでしょう。」
という言葉を真に受けてしまいました。




学校からはどこにも繋げてもらえず、私が娘を医療機関に受診させようとしても、娘は激しく拒否しました。



この頃は、娘の問題行動ばかりに注目してしまい、自分の娘への対応に問題がある事に全く気づけませんでした。


それに、娘の人格やメンタルに問題があるのではとさえ考えていました。



本当に、私は最低な母親で毒親でした。


 


娘の育児がとても苦しくて、愛せないと悩んでいた私ですが。



娘を手術室に見送る時、もう娘が目を開けてくれない可能性もあった為、心から思いました。


「娘が生きていてくれれば、それだけでいい。どうか命だけは助かって欲しい。」




あんなに娘の事で苦しみ、可愛いと思えないと悩んでいたけど。



私には、娘より大切な存在はないのだと心から思いました。



そんなに危機的な状況になって、やっと娘の大切さに気づくなんて、情けないし恥ずかしいですが、それが事実でした。




娘の入院中のリエゾン回診で、定期的に精神科医が娘の病室に訪ねてくるようになりました。



そして保護者である私も、娘の今後を精神科医と連携して娘をサポートする必要があり、病院内の精神科に通院するようになりました。



発達に関する相談窓口や学校経由ではなく、たまたま入院した先で精神科に繋がり、そこから娘の発達障害の診断への道が拓けました。
 

続きます。



不登校・ひきこもり当事者、高田ぶらりさんのブログ



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