===> セルジオ・スタローン <=== シルヴェスター・スタローンSylvester Stallone2014年本名Sylvester Gardenzio Stallone別名義Sly(スライ), Syl(シル)生年月日1946年7月6日(74歳)出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区身長177cmジャンル映画(俳優・監督・製作・脚本家)活動期間1968年 -活動内容1970年 - デビュー1976年 - 『ロッキー』1978年 - 映画初監督1979年 - 『ロッキー2』 1982年 - 『ロッキー3』/『ランボー』1985年 - 『ロッキー4』/『ランボー/怒りの脱出』1988年 - 『ランボー3/怒りのアフガン』1990年 - 『ロッキー5/最後のドラマ』1993年 - 『クリフハンガー』1996年 -『デイライト』/『デモリションマン』2006年 - 『ロッキー・ザ・ファイナル』2008年 - 『ランボー/最後の戦場』2010年 - 『エクスペンダブルズ』2012年 - 『エクスペンダブルズ2』2014年 - 『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』2015年 - 『クリード チャンプを継ぐ男』2018年 - 『クリード 炎の宿敵』 2019年 - 『ランボー ラスト・ブラッド』配偶者サーシャ・チャック(1974年 - 1985年)ブリジット・ニールセン(1985年 - 1987年)ジェニファー・フレイヴィン(1997年 - )著名な家族フランク・スタローン・シニア(父)ジャッキー・スタローン(母)フランク・スタローン(弟)セイジ・スタローン(息子)主な作品『ロッキー』シリーズ『ランボー』シリーズ『コブラ』『デッドフォール』『クリフハンガー』『デモリションマン』『ジャッジ・ドレッド』『コップランド』『エクスペンダブルズ』シリーズ『大脱出』シリーズ『クリード』シリーズ[表示]受賞テンプレートを表示シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone, 1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家。身長177cm。1970年代から2010年代のアクション映画を代表するスター。アカデミー賞には、俳優として2度(1976年『ロッキー』、2015年『クリード チャンプを継ぐ男』)、脚本家として1度(1976年『ロッキー』)ノミネートされている。70歳を超えてなお、鍛え上げた肉体で激しいアクションをこなす映画俳優である。左利き。代表作は『ロッキー』シリーズと『ランボー』シリーズ[1]。目次1 生い立ち2 キャリア3 作風4 関連人物4.1 シュワルツェネッガーとの関係4.2 コッポラとの関係5 私生活5.1 家族5.2 思想・信仰6 出演作品6.1 『ロッキー』シリーズ6.2 『ランボー』シリーズ6.3 『エクスペンダブルズ』シリーズ6.4 『大脱出』シリーズ6.5 その他6.6 CM7 受賞とノミネート7.1 アカデミー賞など7.2 ゴールデンラズベリー賞7.3 ハリウッド殿堂8 日本語吹替9 脚注9.1 注釈9.2 出典10 外部リンク生い立ち[編集]ニューヨーク・マンハッタン区のヘルズ・キッチン地区出身。父はシチリアにルーツを持つイタリア系アメリカ人の美容師フランク・スタローンSr(1919〜2011)、母はロシア系ユダヤ人およびフランス系アメリカ人で、元ダンサー・占星術師として著名なジャッキー・スタローン(1921〜)[2][3][4]。弟のフランク・スタローンは歌手兼俳優として、兄の主演、監督映画数作に端役で出演、または主題歌、挿入歌を提供している。1人目の妻とのあいだに生まれた長男のセイジ・スタローンも映画監督、脚本家、俳優として父と同じ道を歩むが、2012年、心臓発作により急逝した。出産時に産科医が鉗子の扱いを誤り、顔面の左側(とくに唇、顎、舌)の神経が傷つけられたため、言語障害(舌足らずな発音)と下唇の下垂という症状が残った。このことは少年期のスタローンを内向的にさせ、空想や漫画、とくに映画へ興味を向けさせた[5]。崩れた容姿と脆弱な性格から、つねにいじめの対象となっていた。このトラウマは現在も残る[要出典]。9歳[5](もしくは12歳)のときに両親が離婚したことをきっかけに、しだいに素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。当初はボクシングジムに見向きもしなかったが、このころに観賞した映画『ヘラクレス』(1958年)の主演スティーヴ・リーヴスの影響により、みずから体を鍛え始めるようになったという[6]。高校卒業後は美容師学校へ進んだが中退し、レザンにある American School of Switzerland に体育奨学金を得て入学し、演劇を学んだ(このころから演劇に興味を持ち始めたとも)。アメリカに戻りマイアミ大学の演劇学部に3年間在籍したが、脚本家を志すため中退した[5][注 1](もしくは2年間在籍したが、授業料の支払いが困難となり中退した)。23歳でニューヨークに戻り本格的に俳優を志した。最終的に『ロッキー』の脚本を卒業論文として、マイアミ大学で学士を取得卒業[7]キャリア[編集]スタローンが初主演した映画は1970年のソフトコアポルノ映画『The Party at Kitty and Stud\'s(英語版)(子猫と種馬のパーティ)』である。当時は極度の困窮生活で、出演はやむにやまれぬ事情だったとスタローンは述べている[8][注 2]。同じく1970年には No Place to Hide(隠れ場無し)という映画に主演した[注 3]。1971年にはオフ・ブロードウェイの小劇場で Score というアダルト劇の舞台に立っている。このようにポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ちた[要検証 – ノート]。1974年に出演した『ブルックリンの青春』(The Lords Of Flatbush)での演技が何人かの評論家の目にとまり、スタローンは妻と愛犬を伴ってハリウッドへ移った[5]。1975年には『デス・レース2000年』に準主役として出演した。ロッキーの銅像(フィラデルフィア美術館)1975年、29歳のとき、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって映画会社に売り込む。脚本が気に入った映画会社は一線級スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞、結局主張は認められた。この作品が『ロッキー』である。もっとも無名俳優の主演作品のため低予算のB級扱いとなり、わずかな上映館でのスタートとなった。しかし徐々に評判を呼ぶことになり、世界的規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)、ついには同年のアカデミー作品賞を受賞する。映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの「アメリカン・ドリーム」を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績が評価された。『ランボー3/怒りのアフガン』のプロモーション(1988年、スウェーデン)その後『パラダイス・アレイ』で監督業にも進出。しかし、さまざまなジャンルに挑戦しつづけるが『ロッキー』シリーズ以外は興行的に成功することがほとんどない状態が続く。1982年の『ランボー』でようやくロッキー・バルボア以外の役をヒットさせることに成功。以降『ランボー』は『ロッキー』と並ぶスタローンの代表作となった。その後は1993年の『クリフハンガー』など、つねに鍛え上げた肉体を駆使した作品でアメリカを代表するアクション俳優となる。2006年、シリーズ16年ぶりの新作となる『ロッキー・ザ・ファイナル』 が公開され、2008年には20年ぶりの新作となる『ランボー/最後の戦場』が公開された。2007年の2月に『ロッキー・ザ・ファイナル』の宣伝でオーストラリアを訪れた際、シドニー空港にて、手荷物のなかにオーストラリアでは禁止されているステロイドが発見され、起訴された。5月15日に行われた審理では代理人が起訴事実を認めたが、スタローンは出廷をしなかった。21日、2500ドルの罰金を科す判決が下った。本人は当初「持ち込んだのは成長ホルモンだけだ」と弁明していたが、やがてはステロイド剤の所持を認めるに至った。しかし、後日になると「あれはテストステロンだ。ステロイドではない」と再度弁明を行った[9]。2009年9月12日、ヴェネツィア国際映画祭にて2010年9月に訪日し、大相撲秋場所を観戦。その際、九重親方に映画出演のオファーを行い話題を呼んだ。また、同年9月28日放送分のNTV系列『魔女たちの22時』や、『おしゃれイズム』にもゲスト出演している。2010年12月7日、一連の『ロッキー』シリーズのボクシング映画製作などが評価され、国際ボクシング殿堂顕彰者に選出された[10]。2015年に公開された映画『クリード チャンプを継ぐ男』で再度ロッキー・バルボアを演じ、その演技が批評家から絶賛され[11][12][13]、2016年の第73回ゴールデングローブ賞では自身初の助演男優賞を受賞した。作風[編集]俳優としては鍛え上げられた肉体を全面に押し出したアクションが売りである。もともと顔面神経麻痺や言語障害があり、決して表現力に長けているとは言えないものの、役作りに対してはストイックに取り組むことでも知られる。『コップランド』では冴えない中年警官を演じるために肉体派俳優の生命線である体重をあえて増量し、『ランボー』ではノースタントで木から飛び降り肋骨を数か所骨折している。スタローンが監督や脚本まで担当した『ランボー/最後の戦場』や『エクスペンダブルズ』などの戦場が舞台になる作品では、人体破壊・肉片が飛び散るなどのゴア表現がかなり見られる。また、素早いカットを多用してスピード感溢れる演出にすることで戦場での緊迫感を醸し出している。関連人物[編集]シュワルツェネッガーとの関係[編集]アーノルド・シュワルツェネッガー(右)と(2012年、コミコン・インターナショナル)ともに極限まで肉体を鍛え上げたアクションスターであり肉体派ヒーローを演じる機会が多いアーノルド・シュワルツェネッガーと頻繁に比較される。当初は互いに牽制しあっていたが、現在では彼ら自身もよきライバルであり親友であるという認識を共有している。80年代後半には著名人が一堂に会す場において撮影された二人がともに納まった写真もしばしば映画誌などに掲載されていた。現在では互いに映画のイベントや宣伝に出演しあい、誕生日を祝いあうほどの仲である。また1993年公開の『ラスト・アクション・ヒーロー』『デモリションマン』では互いに作中で笑いの種にしている。2010年公開の映画『エクスペンダブルズ』では1シーンのカメオ出演ながら初めて両者が共演し、2012年公開の続編『エクスペンダブルズ2』では本格的な共演をしているほか、2013年公開の『大脱出』ではW主演を果たしている。またシュワルツェネッガーがスタントの怪我で入院した際、偶然にもスタローンと一緒の病室であり、スタローンもスタントの怪我で入院していた。コッポラとの関係[編集]『ロッキー』で共演し、長年の親友であるタリア・シャイアを実兄にもつフランシス・フォード・コッポラに『ゴッドファーザーPARTIII』にスタローンを出演、または監督させる約束を取り付けたが、コッポラがいずれも反故にしたため、両人のあいだに亀裂が生まれた。私生活[編集]家族[編集]スタローンは計3回の結婚歴があり、二男三女をもうけている。下積み生活中の1974年にサーシャ・チャックと結婚。俳優・映画監督のセイジ・スタローンら二人の男児をもうけたあと、1985年に離婚。1985年に『ロッキー4/炎の友情』『コブラ』で共演したブリジット・ニールセンと再婚し1987年に離婚。現在の妻は女優・モデルのジェニファー・フレイヴィン(英語版)。1996年に一女をもうけ、1997年に結婚、さらに二女をもうけた。2017年、第74回ゴールデングローブ賞では、長女ソフィア、次女システィーン、三女スカーレットがミス・ゴールデングローブ(授賞式のアシスタント役)に選ばれている[14]。思想・信仰[編集]幼少のころから大天使ミカエルの洗礼名を持つ[15]ローマ・カトリックのキリスト信者である。『ロッキー・ザ・ファイナル』公開の時にはキリスト教原理主義系の番組に出演し、自身の信仰について語った[16]。熱心な共和党員で、政治的な発言も多い。2008年の大統領選挙では同党候補ジョン・マケインへの応援活動を行った。また、その影響が自身の作品に色濃く現れることもあった(『ランボー/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』、『ロッキー4/炎の友情』などの脚本)。一方殺傷能力の高い自動小銃などを一般市民が保持することに対しては批判的であり、2013年には「猟銃にも使えないし、軍に襲撃されるわけでもないのに何に使おうというのか」とコメントしている[17]。出演作品[編集]『ロッキー』シリーズ[編集]公開年日本語題原題役職備考監督製作脚本出演1976ロッキーRocky○○1979ロッキー2Rocky II○○○1982ロッキー3Rocky III○○○1986ロッキー4/炎の友情Rocky IV○○○1990ロッキー5/最後のドラマRocky V○○2006ロッキー・ザ・ファイナルRocky Balboa○○○2015クリード チャンプを継ぐ男Creed○○スピンオフ作品2018クリード 炎の宿敵Creed II○○○スピンオフ作品『ランボー』シリーズ[編集]公開年日本語題原題役職備考監督製作脚本出演1982ランボーFirst Blood○○1985ランボー/怒りの脱出Rambo: First Blood Part II○○1988ランボー3/怒りのアフガンRambo III○○2008ランボー/最後の戦場Rambo○○○○2019ランボー ラスト・ブラッドRambo: Last Blood○『エクスペンダブルズ』シリーズ[編集]公開年日本語題原題役職備考監督製作脚本出演2010エクスペンダブルズThe Expendables○○○2012エクスペンダブルズ2The Expendables 2○○2014エクスペンダブルズ3 ワールドミッションThe Expendables 3 ○○エクスペンダブルズ4The Expendables 4〇[18]『大脱出』シリーズ[編集]公開年日本語題原題役職備考監督製作脚本出演2013大脱出Escape Plan○2018大脱出2Escape Plan 2:Hades○2019大脱出3Escape Plan: The Extractors○その他[編集]公開年日本語題原題役職備考監督製作脚本出演1969白銀のレーサーDownhill Racer○アンクレジットThe Square Root(That Nice Boy)○アンクレジット1970ザ・イタリアン・スタローンThe Party at Kitty and Stud\'s(Italian Stallion)○ポルノ映画ふたりの誓いLovers and Other Strangers○アンクレジットレベルNo place to hide○日本未公開M★A★S★H マッシュM*A*S*H○アンクレジット[19]The Sidelong Glances of a Pigeon Kicker○日本未公開1971コールガールKlute○エキストラ出演ウディ・アレンのバナナBananas○1974ブルックリンの青春The Lords Of Flatbush○クレジットなし1975さらば愛しき女よFarewell, My Lovely○○脚本(ダイアログ監修)ビッグ・ボスCapone○The Prisoner of Second Avenue○日本未公開デス・レース2000年Death Race 2000○刑事コジャックKOJAK○テレビシリーズのゲスト出演マンディンゴMandingo○若きクラウド(出演シーン・カット)ポリス・ストーリーPolice Story○テレビシリーズのゲスト出演 役名(ニックネーム)はロッキー[20]1976爆走!キャノンボールCannonball○1978フィストF.I.S.T.○○パラダイス・アレイParadise Alley○○○1981ナイトホークスNighthawks○勝利への脱出Escape to Victory○1983ステイン・アライブStaying Alive○○○○カメオ出演(クレジットなし)1984クラブ・ラインストーン/今夜は最高!Rhinestone○○1986コブラCobra○○1987オーバー・ザ・トップOver the Top○○1989ロックアップLock-Up○デッドフォールTango & Cash○1991オスカーOscar○Dream On ○テレビシリーズのゲスト出演1992刑事ジョー ママにお手上げStop! or My Mom will Shoot○1993クリフハンガーCliffhanger○○デモリションマンDemolition Man○1994スペシャリストThe Specialist○1995ジャッジ・ドレッドJudge Dredd○暗殺者Assassins○1996デイライトDaylight○1997コップランドCop Land○メン・イン・ブラックMen In Black○カメオ出演(クレジットなし)The Good Life○友情出演(弟フランク主演)1998アンツAntz○声の出演アラン・スミシー・フィルムAn Alan Smithee Film:Burn Hollywood Burn○2000追撃者Get Carter○2001ドリヴンDriven○○○2002D-TOXD-Tox○シルベスター・スタローン ザ・ボディガードAvenging Angelo○Liberty\'s Kids: Est.○テレビシリーズのゲスト出演2003TAXi3Taxi 3○カメオ出演(クレジットなし)スパイキッズ3-D:ゲームオーバーSpy Kids 3-D : Game Over○シェイドShade○2005ラスベガスLas Vegas○テレビシリーズのゲスト出演2009スタローン in ハリウッド・トラブルKambakkht Ishq○カメオ出演2011Mr.ズーキーパーの婚活動物園Zookeeper○声の出演日本未公開2012バレットBullet to the Head○2013リベンジ・マッチGrudge Match○バトルフロントHomefront○○ジェイソン・ステイサム主演サタデー・ナイト・ライブSaturday Night Live○テレビシリーズのゲスト出演2014ゲットバッカーズReach Me○2017Animal Crackers○声の出演This Is UsThis Is Us○テレビシリーズのゲスト出演シーズン2第3話「過去の面影」ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックスGuardians of the Galaxy Vol. 2○デス・ウィッシュDeath Wish○2018年10月19日公開ブルース・ウィリス主演2018バックトレースBacktrace○2019年4月12日公開CM[編集]味の素麒麟麦酒伊藤ハムキリンラガービール受賞とノミネート[編集]アカデミー賞など[編集]賞年部門作品結果アカデミー賞1976主演男優賞『ロッキー』ノミネート脚本賞ノミネート2016助演男優賞『クリード チャンプを継ぐ男』ノミネート英国アカデミー賞1976主演男優賞『ロッキー』ノミネート脚本賞ノミネートゴールデングローブ賞1976[21]主演男優賞 (ドラマ部門)『ロッキー』ノミネート脚本賞ノミネート2015助演男優賞『クリード チャンプを継ぐ男』受賞全米映画歴史研究家協会賞 最優秀主演男優賞 『ロッキー』ダヴィッド・ディ・ドナテロ賞 外国映画部門最優秀男優演技賞 『ロッキー』全米・カナダ映画興業者選出 ドル箱スター第1位男性鑑賞協会選出 男性ベストテン第1位Show West Convention Star Of The Year (1979年・1984年)Hasty Pudding Theatricals Man of the Yearピープルズ・チョイス・アワード Favorite Motion Picture Actorセザール賞 名誉賞ゴールデンアップル賞 Star of the Yearサターン賞 Lifetime Achivement Awardストックホルム映画祭 最優秀男優賞 『コップランド』Home Entertainment 2002 ミレニアム・アクションスターナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 2015 助演男優賞 『クリード チャンプを継ぐ男』[22]ゴールデンラズベリー賞[編集]ゴールデンラズベリー賞とは、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する一種のジョーク賞である。賞年部門作品結果ゴールデンラズベリー賞1984[23]最低主演男優賞『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』受賞最低脚本賞『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』(フィル・アルデン・ロビンソンと共同)ノミネート1985[24]最低主演男優賞『ランボー/怒りの脱出』、『ロッキー4/炎の友情』受賞最低監督賞『ロッキー4/炎の友情』ノミネート最低脚本賞『ランボー/怒りの脱出』(ジェームズ・キャメロン、ケヴィン・ジャールと共同)受賞『ロッキー4/炎の友情』(シェルドン・レティックと共同)ノミネート1986[25]最低主演男優賞『コブラ』ノミネート最低脚本賞『コブラ』ノミネート1987[26]最低主演男優賞『オーバー・ザ・トップ』ノミネート1988[27]最低主演男優賞『ランボー3/怒りのアフガン』受賞最低脚本賞『ランボー3/怒りのアフガン』ノミネート1989[28]最低主演男優賞『ロックアップ』、『デッドフォール』ノミネート1980年代最低男優賞『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』、『コブラ』、『ロックアップ』、『オーバー・ザ・トップ』、『ランボー/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』、『ロッキー4/炎の友情』、『デッドフォール』受賞1990[29]最低主演男優賞『ロッキー5/最後のドラマ』ノミネート最低脚本賞『ロッキー5/最後のドラマ』ノミネート1991[30]最低主演男優賞『オスカー』ノミネート1992[31]最低主演男優賞『刑事ジョー/ママにお手あげ』受賞1993[32]最低脚本賞『クリフハンガー』(マイケル・フランス、ジョン・ロングと共同)ノミネート1994[33]最低主演男優賞『スペシャリスト』ノミネート最低スクリーンカップル賞『スペシャリスト』(シャロン・ストーンと共同)受賞1995[34]最低主演男優賞『暗殺者』、『ジャッジ・ドレッド』ノミネート1996[35]最低主演男優賞『デイライト』ノミネート1998[36]最低助演男優賞『アラン・スミシー・フィルム』ノミネート1999[37]20世紀最低男優賞彼がした全てのことの99.5%に対して受賞2000[38]最低主演男優賞『追撃者』ノミネート2001[39]最低助演男優賞『ドリヴン』ノミネート最低脚本賞『ドリヴン』(ジャン・スクレントニー、ニール・タバクニックと共同)ノミネート最低スクリーンカップル賞『ドリヴン』(バート・レイノルズと共同)ノミネート2003[40]最低助演男優賞『スパイキッズ3-D:ゲームオーバー』受賞2010[41]最低監督賞『エクスペンダブルズ』ノミネート2015[42]名誉挽回賞『クリード チャンプを継ぐ男』受賞このように1980年代から1990年代初頭までの彼の全盛期、暴力的な『ランボー』シリーズ等の主演に対して批評家から酷評を受け続けていた。しかし、そのような酷評とは相反しヒット作を次々と生み出してきた。加えて、全盛期の主演作の多くが、新興インディペンデントのカロルコ・ピクチャーズやキャノン・フィルズ作品であったことも、メジャー寄りの保守的な批評家からの批判を助長させる大きな要因になった。とくにカロルコの大作映画は、シルヴェスター・スタローンの主演作以外であっても、その多くがゴールデンラズベリー賞(またはノミネート)の常連作となっていた。しかし、2015年の『クリード チャンプを継ぐ男』において「名誉挽回賞」の候補となり、受賞を果たした[42]。批評家からの視点で、(スタローンの主演作のなかで)映画史的に唯一と言ってもいい高い評価を受けている『ロッキー』の1作目は、メジャーの老舗ユナイテッド・アーティスツの作品である。ハリウッド殿堂[編集]ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星型プレート(映画部門)があり、グローマンズ・チャイニーズ・シアターの入り口前に手形・足形・署名入りのブロックプレートが埋め込まれている。 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム グローマンズ・チャイニーズ・シアター 日本語吹替[編集]ささきいさお勝利への脱出(1980年作品)が初吹替、おもにテレビ朝日版『ランボー』シリーズ、『エクスペンダブルズ』シリーズ(劇場公開版・DVD BD共に)のほか『ロッキー』シリーズの4がテレビ朝日版、5はビデオ版を担当。声質がスタローン本人に近い。また、WOWOWにおける旧作放送時の追加録音や『クリフハンガー』など当時担当していなかった作品がBSにおいて再放送される際の新録版にも起用されている。テレビの洋画劇場全盛時代はソフト版は玄田、テレビ版はささきというパターンができていたが、玄田がアーノルド・シュワルツェネッガー本人から公式に認められたことを機に差別化のため、2003年の『シェイド』あたりからソフト版を含めささきがスタローン吹替のフィックスとなっていた。2010年代より、スタローンとシュワルツェネッガーの共演作が出てきたことで、玄田はシュワルツェネッガー、ささきはスタローンと棲み分けがなされることになった。エクスペンダブルズシリーズ3作品とランボーシリーズに関しては、2008年の最後の戦場と2019年制作のラスト・ブラッド(日本公開は2020年6月26日)も担当しており、シリーズ全作品を担当しているおもな作品はロッキー4・5、ランボーシリーズ、ナイトホークス、デモリションマン、スペシャリスト、ドリヴン、コブラ、デイライト、エクスペンダブルズシリーズなど羽佐間道夫1970年代 - 1980年代後半、デビュー初期の作品を数多く担当。『ロッキー』シリーズにおけるロッキー・バルボア役は当たり役のひとつとなり、シリーズ全6作に加えスピンオフ作品の『クリード チャンプを継ぐ男』、『クリード 炎の宿敵』も担当しており、配給会社が変わっても踏襲された。特にTBSの洋画番組ではスタローン作品を多く当てた。スタローンの吹替つながりで、ささきのコンサートにゲスト出演したこともある。おもな作品はロッキーシリーズ、ランボー1・2、オーバー・ザ・トップ、コブラなど玄田哲章『デス・レース2000』などデビュー初期作品から当てている。1980 - 1990年代はソフト版だけで言えばフィックスとして有名なシュワルツェネッガーよりも当てている数は多い。しかし、スタローンの代表作『ロッキー』に関しては、当時、ビデオ版が制作されておらず、日本テレビで放送された『ロッキー3』のみ音源がある。(ビデオ版としてはVHSの5のみで、ささきいさおが担当している)2000年代に入ると、スタローンに声を当てることが少なくなった。アーノルド・シュワルツェネッガー本人から公式に認められたことやスタローンとシュワルツェネッガーの共演作が出てきたこともあり、2005年の『ドリヴン』(日本テレビ版)を最後にスタローンを担当していなかったが2019年の『バックトレース』で14年ぶりに担当した。作品によっては、テレビ、ビデオ版含め玄田版しか存在しないものがある。(ビデオ・テレビ版共に玄田であるもの)おもな作品はランボー1〜3、ロッキー3(テレビ版)、ロックアップ、デス・レース2000年、クリフハンガー、コップランドなど。このほか、大塚明夫や銀河万丈、楠大典が声を当てた作品もある(『クリフハンガー』、『ランボー』、『D-TOX』、『ナイトホークス』など)。また日本テレビ版の『ランボー』は、1作目のみ渡辺謙が吹替えを担当している。脚注[編集][脚注の使い方]注釈[編集]^ Q. Moonblood および J.J. Deadlock という筆名を持っていたが、この名で脚本を発表することはなかった。^ この映画は『ロッキー』のヒット後、ロッキーのあだ名にちなみ Italian Stalion(イタリアの種馬)と改題しリリースされている。^ この映画は Rebel(反抗者)という題名でも知られ、1960年代後半のニューヨークでスタローンら過激派学生グループが FBI に追われるというストーリーである。1990年にこのフィルムは再編集され、A Man Called... Rainbo(レインボーと呼ばれた男)という、『ランボー』をもじった題名でリリースされた。出典[編集]^ ランボーの孤独な闘いが再び始まる…午後ロー『ランボー/怒りの脱出』放送 | cinemacafe.net^ Stallone explained all this on Inside the Actors Studio in 1999.^ \"Cinéma. Stallone est de Brest « même » !\", Le Télégramme de Brest, October 6, 2009^ Stewart, Will (2009年4月11日). “Rambo-ski - Hollywood star Sylvester Stallone\'s Russian secret”. Daily Mail 2009年4月11日閲覧。^ a b c d Block, Alex Ben (2006年12月20日). “The Untold Story: \"Rocky\" Underdog Origin a Studio Myth” (英語). HOLLYWOOD TODAY. 2010年5月14日閲覧。^ 『シルベスター・スタローン物語』バンブーコミックス[要ページ番号]。^ アクターズスタジオ・インタビュー。^ “Playboy Interview - Sylvester Stallone” (英語). Playboy.com (1978年9月). 2010年5月14日閲覧。 “it was either do that movie or rob someone, because I was at the end -- the very end -- of my rope.” - 「(経済的に)本当に切羽詰まっていた。その映画に出演するのでなければ、もう泥棒でもするしかなかった。」^ 町山智浩『アメリカは今日もステロイドを打つ』 10-11頁、ISBN 9784087805161。^ 「ロッキー」スタローン氏も殿堂入り サンケイスポーツ 2010年12月10日閲覧^ “エイドリアーン!ロッキー新章『クリード チャンプを継ぐ男』超大ヒット新記録樹立!アカデミー賞候補の声も”. 2015年11月27日閲覧。^ “Film Review: ‘Creed’”. 2015年11月27日閲覧。^ “Sylvester Stallone May Finally Win Oscar for Playing Rocky Balboa in “Creed””. 2015年11月27日閲覧。^ “スタローン3人娘、ミス・ゴールデングローブに”. 映画.com. (2016年11月18日) 2016年11月16日閲覧。^ http://www.imdb.com/name/nm0000230/bio^ http://www.lifesitenews.com/ldn/2007/jan/07011201.html^ http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0201J_S3A200C1CR8000/^ 『エクスペンダブルズ』第4弾シルヴェスター・スタローンやっぱり復活!(シネマトゥデイ、2018年1月16日)^ “MASH wiki”. 2018年6月18日閲覧。^ Police Story (TV Series 1973–1987) - IMDb 2019年11月15日閲覧。^ “The 34th Annual Golden Globe Awards (1977)”. 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(2016年2月28日) 2016年3月13日閲覧。外部リンク[編集]ウィキメディア・コモンズには、シルヴェスター・スタローンに関連するカテゴリがあります。公式ウェブサイト (英語)Sylvester Stallone (@TheSlyStallone) - TwitterSylvester Stallone Official Facebook - FacebookSly Stallone (officialslystallone) - Instagramシルヴェスター・スタローン - allcinemaシルヴェスター・スタローン - KINENOTESylvester Stallone - インターネット・ムービー・データベース(英語)[表示]表話編歴シルヴェスター・スタローン[表示]表話編歴ロッキー[表示]表話編歴ランボー[表示]表話編歴エクスペンダブルズ[表示]表話編歴ゴールデングローブ賞 助演男優賞[表示]表話編歴放送映画批評家協会賞 助演男優賞典拠管理 BIBSYS: 90940341BNE: XX1649012BNF: cb126403949 (データ)CANTIC: a10889693CiNii: DA08238006GND: 118812076ISNI: 0000 0001 1699 7544LCCN: n77002638MusicBrainz: 97c791de-e3b4-4421-b12c-4f80addc7937NARA: 10582242NDL: 00457435NKC: jn20000701697NLA: 41317095NLI: 002341654NLK: KAC200507199NSK: 000228017NTA: 070090106SNAC: w6640ctcSUDOC: 073938130Trove: 1054945VIAF: 113742283 WorldCat: lccn-n77002638