願望を特定しても大丈夫、といった趣旨のことを書きました。
実体験に書いておりますように、
私は理想の条件をこと細かくリストアップして、
ほぼそれを満たしたパートナーに出逢えましたし
ピンポイントで「ここ」と設定した海外の都市に移住することもできました。
また、特定の相手がいる願望は実現できるのかには、
それは可能といった趣旨のことも書きました。
今回はそれとは対照的な内容を書いてみます。
個人的な話になりますが、私にもいっぱしに願望がありまして
数年前まで具体的に「○○な私」と設定していたのですが
どうも、どこかうっすらと違和感があったんですよね。
自分の中ではすでに○○になっているはずなのにも関わらず。
違和感があったということは、
○○な私になれていかった、というか
本当になりたいものではなかったのだと気づきました。
理性(エゴ)が勝手にそうなれたらいいと判断していただけで
私の意識の深いところでは、本当には望んでいなかったのでしょうね。
○○な私になったつもりでもつねにどこか違和感があったり
いつまで経っても現実に顕れなかったりしたら
理性(エゴ)が変な勘違いをしている可能性があります
その場合どんなに「いや、私は○○なんだ」と自分に言い聞かせても
違和感がつのるだけです。
ちなみに最近の私はどうしているかというと、
理想のパートナーを願っていたときや、
海外移住を願っていたときほど細かくは願望を特定していません。
言葉にすれば、
「必要なものはすべて持っていて、ベストな状態の私」
といったところでしょうか
これなら理性(エゴ)の勘違いをスルーできるし、
理性(エゴ)では思いもよらない「必要なもの」が手元にやってくるかもしれません。
100% or moreをすでに持っている自分を全面的に信頼している感じですね