何度も何度も書いております

想定の法則のオーソリティ、ネヴィル・ゴダード氏のおっしゃいます

 

願うものはすでに存在している

 

あなたはすでになりたいものになっている

 

※私の個人的な翻訳です

 

という言葉について改めて、

 

いままでのブログと重複しますが

 

おさらい的な感じで書いてみようと思います。

 

 

とにかく、「願うものは実現している」

 

これが世の中の真実なので、

 

何かになりたい、何かが欲しいと思えば

 

○○な私

 

○○を持っている私

 

などということにしてしまえばそれで終了、

 

あとはオートマティックにその意識と現実が調和してくるのですが

 

すぐに実感がわくわけではないので

 

多くの方々が混乱してしまうのですねチーン

 

 

たとえば、

 

やりがいのある天職に就いている私

 

最愛の伴侶と幸せに暮らしている私

 

理想通りの間取りの家に住んでいる私

 

etc...

 

と想定したところで、その瞬間に現実がそうなるのではありません( ´_ゝ`)

 

何も変わっていない現実を見て「そんなことあるわけないか」と

 

取り消してしまうので実現しないのです。

 

 

なぜ簡単に取り消してしまうのかというと

 

私たちが目に見えている現実のみに

 

振り回されてしまう生き物だからですが

 

目に見える現実が真実ではないのです

 

……というと、実に怪しいですよね〜滝汗

 

 

怪しいですが続けますウインク

 

この世の真実とは、自分の意識の中にある、

 

○○な私

 

○○を持っている私

 

という部分であって、目に見えている現実ではないのですね。

 

言い換えれば

 

いったん自分にそのような定義・属性を与えれば

 

誰でも願望を実現しているということです。

 

願望は実現していることが前提ともいえますね。

 

 

だから私たちはすでに願望を実現しているのですが

 

それを知っても最初のうちは何も変わっていない現実を見て無理に

 

「いーや、それでも私は○○なんだってば!」

 

「現実がどうであろうと私は○○を持っているんだってば!」などと

 

自分に言い聞かせるようなことをしてしまうかもしれません。

 

でも、別にそれでもOKです。

 

願望が実現していることを取り消さなければいいのですから真顔

 

そのうち時間が経てば、無理に自分に言い聞かせることもなくなり、

 

「○○でないこと」「○○がないこと」に自然に注意が向かなくなります。

 

 

そしてこれはちょっと不思議な感覚ですが

 

「○○でないこと」「○○がないこと」に違和感を覚え始める場合もあります。

 

 

私の実体験でいえば

 

「海外に住むことが決まっている」としてから、

 

「海外に住めないかもしれない」と思うことに、

 

違和感を覚え始める時期がありました。

 

その時点ではまだ住むことが現実として確定していませんでしたが

 

だからといって、住めないことも確定していない。

 

「やっぱり無理だろうな〜……」と、なりようがなかったのです。

 

 

「願うものは実現している」という大前提が

 

どうしても腑に落ちなければ無理に理解して実感しようとしないで

 

とりあえず

 

「今は目に見えて実現していない」

 

ということから関心を反らしてみる

 

といいかもしれませんね。

 

仕事に勤しんだり、好きなことをしたりして、

 

普通に生きていればいいんです。

 

私は特にこれといったことはせず、普通に淡々と生きていました。

 

そうすると、目に見える現実にも変化が顕れてくるんですねウインク