肉体の死があればこそ永遠に存在することができる。
なぜなら自分の本体(?)が、三次元物質世界の中で物質肉体に入っているから。
そもそも今の自分はどこにも固定化できる場所がなくて、失楽園後、こちらの世界とあちらの世界を行ったり来たりすることでかろうじてその不安定な本体を保つことができるように取り計らってもらっているらしい。
失楽園以前はしかるべきところにいることができたらしい。
物質肉体に押し込められたから少し安定して自分の本体を保つことができている。
でもここは仮の場所だからいつまでもこの世界に執着して、ここにとどまっていたら本当の意味で永遠の生命が絶たれてしまう。
この仮の場所でするべきこと、つまり「生きる」ということことは、本来の自分を取り戻し、本体の場所と任務に戻るために、本来持っていた振動数を取り戻すことだ。
自分が本来持っていた振動数に気づき、「自分はこうだったんだ!」と少しずつ目覚めていくことが日々の営みとなってくる。
だから自分の内側から習慣的条件反射的に湧き上がってくる「ネガティブな現実味を持っている世界」を「ポジティブな本来あるべき理想世界」に書き変えながら、本来の自分を取り戻していくのが「生きる」ということだ。
これはおとぎ話ではない。そういうのがおとぎ話とされ、「もっと現実を見なさい!」ってずーっと騙しているのだ。
本質はそういう世界ではない。真逆の世界だ。
最近はその真逆感が鮮明にわかるようにあからさまになってきている。
だから前よりも多くの人が気がつきやすくなっている。今がチャンスなのだ。
この三次元物質世界の様々な現象に騙されることなく、迷うことなく、一途に営む。
自分の「第三の目」を覚醒させ、「第六感」で動く。
あれこれ頭で考えない。
まずは「生きる」ことに全く関係のない外界の大騒ぎに振り回されたり、騙されたりしないようにすることだ。