*この記事を最初にUPした時、『samui yoru』を作曲した佐々木孝之さんも、実は沙也加さんのペンネームなのではないか、と書いておりました。

それについては、ツイッターでコーさんからご指摘いただきまして、おそらくこちらの方ではないか、と。

 

 

ちょっと前後のやり取りがわからないのですが、『samui yoru』についての言葉もありますね。

コーさん、教えていただいて、本当にありがとうございました!!

 

案の定でした💦

読者の皆様、大変申し訳ございません<(_ _)>

 

あとは吉法師さんの方・・・。

どうなんでしょうね?

それこそ、信じるか信じないかはあなた次第、ということで😁

 

この件、最後に追記もありますので、ぜひぜひ😊

 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *  

 

この記事の前に、つい先程もう一つ記事をUPしております。

そちらの方もよろしくお願いします😊

 

さて今回の記事、いつものように別テーマの記事の中に「寄り道」として書くはずでしたが、それにしてはあまりに長くなってしまったので、一つの記事にしました。

かつ、聖子さんと沙也加さん、二人に共通した話題であるので、「松田聖子という奇跡」と「ever since~神田沙也加という奇跡」、二つのブログに全く同じ内容を同時投稿するという掟破りなことをやっちゃってます😁

 

そんな個人的なことはどうでもいいんですが(笑)、さて皆さん、吉法師という方をご存知でしょうか?

聖子ファンなら知っている方も多いと思いますが、沙也加ファンの中には知らない方も多いことでしょう。

 

今回、「松田聖子という奇跡」の方で、「聖子ちゃんに歌って欲しい曲」というテーマのブログを書くにあたり、たくさんの聖子さんの曲を考えていた中で、この曲が猛烈に聴きたくなりました。

『samui yoru』。

アルバム『永遠の少女』の収録曲です。

 

 

決してドラマティックな曲ではありませんが、ジワ~ッと沁みてくるような良さがあって、大好きな曲です。

そして久しぶりにこの曲を聴いて、ふと思ったのです。

 

あれ?

この曲の作詞をした吉法師って、もしかして沙也加ちゃんじゃ・・・。

 

すみません、これは私の勘…、いや願望であり、客観的な推論と呼べるものではありません😱

まず前提として「沙也加ちゃんが吉法師の正体だったら嬉しいな」という私の願望があり、その結論を導き出すために都合のよい理由をチョイスして、さらに都合よく解釈する、という強引さ(笑)

 

>これから新たに沙也加さんが言葉を紡ぐことはない、という悲し過ぎる現実。

あれ程の才能があったのに、もうその果実を味わうことができないなんて・・・。

もし吉法師さんが沙也加さんだったら、また新たな彼女の魅力を発見できるのに。

 

そんな思いを、記事に書いてみることにしました。

以前はこの問題にそれ程関心を持っていなかったので、もしかすると私の知らないところで吉法師さんの正体がある程度推論できていたとか、沙也加さんや聖子さんがこの説を否定していた、とかそういう話があるんでしたら、この記事は論外ということになります(笑)

かなり恥ずかしい事態となりますが😅、その時は事実をしっかり受け止めたいと思います🙏

 

では改めて。

吉法師さんは聖子さんの曲で何曲か、作詞家としてクレジットされている方です。

ただし、その正体が謎なんです。

聖子ファンの間でも、その正体は「謎」とされてきました。

まずは吉法師さんが詞を書いた作品をおさらいしてみましょう。

 

1999年『samui yoru』(『永遠の少女』)

2000年『RAIN』(『20th Party』)

2000年『Unseasonable Shore』(『20th Party』)

2000年『A Midsummer Night’s Dream』(『20th Party』)

 

吉法師さんの活動時期は、わずかこの2年。

1999年発売の『永遠の少女』と2000年発売の『20th Party』、この2枚のアルバムの収録作品にだけ関わっているのだから当然です。

 

そして偶然にも、同じ時期に聖子ソングに詞を提供していた方がいたんです。

ALICEさんです。

ALICEさんが詞を書いたのは、次の2曲。

 

1999年『恋はいつでも95点』(『永遠の少女』)

2001年『Misty Rain』(『LOVE & EMOTION VOL.2』)

 

ふ~ん、これは興味深いですね🤔

1999年から2001年にかけて、聖子さん、あるいはスタッフの皆様は、アルバム作りのコンセプトの一つとして無名の作詞家に詞を書いてもらうことを、積極的に進めていたようです。

・・・でも、何故この時期だけはてなマーク

 

言うまでもなく、ALICEは沙也加さんのペンネーム。

これは沙也加さんがデビューした後に公表されたんですよね。

ということは、沙也加さんとは別のもう一人が、沙也加さんと同じ時期に聖子さんに曲を提供していたことになります。

 

可能性として、まずは松本隆さん。

『永遠の少女』では、ALICEさんと吉法師さん以外の作詞は全て担当したし、そもそもこのアルバムをプロデュースしていたのが、松本隆さんですから。

ALICE=神田沙也加であるならば、吉法師含む他の全曲が松本隆さんでもおかしくはありません。

でも、そもそも松本隆さんがペンネームを使う理由が見当たりません。

これは可能性が低いんじゃないかな~?

 

ALICEさんと同時期に、という意味で聖子さんに関わっていた人物と言えば、聖子さんの二人目の夫になられた方。

聖子さんと夫婦だったのが1998年から2000年だったので、吉法師さんの活動時期とピッタリ重なります。

つまり、親子で聖子さんに歌詞を提供していた、ということになりますね。

う~ん、でもこれも流石に無理があるような・・・。

歯科医師の方だったから頭脳明晰だとは思いますが、素人の方がそんなに簡単に作詞ができるものなのかな・・・?(もしかして血の滲むような思いで作詞をしていたとしたら、申し訳ございません<(_ _)>)

あるいは、メチャクチャ文才があったとか?

ただこの理由なら、未だに正体が明かされないのもわかりますよね。

 

他には、プロの方が、何らかの理由で別のペンネームを使用せざるを得なかったケース。

『Romance』、『瑠璃色の地球』の作曲で有名な川原伸司(平井夏美)さんの場合がそうでした。

 

 

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あるいは、理由はわかりませんが、『哀しみのボート』を編曲した萩田光雄(岡本更輝)さんとか、説明するまでもない呉田軽穂さんとか(笑)

このパターンって後に公表されるのがほとんどだとは思いますが、可能性としては有力かもしれません。

 

でも、なんかしっくりこないんですよね。

何故この時期だけ・・・はてなマークはてなマークはてなマーク

だったら、もっと単純に考えてみたらどうでしょうパー

吉法師=神田沙也加だったら?

 

1999年『恋はいつでも95点』(ALICE)

1999年『samui yoru』(吉法師)

2000年『RAIN』(吉法師)

2000年『Unseasonable Shore』(吉法師)

2000年『A Midsummer Night’s Dream』(吉法師)

2001年『Misty Rain』(ALICE)

 

ほら、見事につながった👏👏👏

 

これってつまり、1999年から2001年にかけて、聖子さんが無名の作詞家を積極的に登用していたのではなく、ファンには内緒で、沙也加さんが書いた詞を作品として発表していただけの話ではないでしょうか?

 

要するに、聖子さんが無名の作詞家を使おうと考えたのは、それが沙也加さんだから。

逆に言うと、沙也加さん以外の人に対して、そんなことをしようという発想自体がもともと無かった。

 

そう考えると自然な気がしますひらめき電球

 

・・・もちろん、ツッコミどころ満載なのはわかっておりますよ(笑)

まず、どうしてわざわざペンネームを使い分ける必要があるのか?

そして、どうしてALICEと上原純(2006年『bless you』、『WE ARE.』)の正体が沙也加さんであることは公表して、吉法師については放置なのか?

 

さらには、吉法師=神田沙也加だと仮定した場合、無理があるのは「年齢の壁」です。

 

以前このブログでも、こんなことを書いておりました。

 

作詞は吉法師さん。
出た~、謎の作詞家ですね。
あの織田信長の幼名ですよ。
これから全国に覇を唱えようとでもしていたのでしょうか?にひひ

実際誰なんですかはてなマーク
ご存知の方いらっしゃったら教えてくださいませ。
上原純さんが沙也加さんである事が確定した今、この謎も知りたくてたまりません。
これも沙也加さん?って言いたい所ですが、さすがに厳しいかな。
吉法師さんって、『永遠の少女』収録の『samui yoru』も書いてますからね。
沙也加さん、その時13歳です。
沙也加さん、同アルバム収録の『恋はいつでも95点』をALICEという名前で作詞をしていますが、いくら沙也加さんが天才作詞家だとしても(本気でそう思っています)、さすがに『samui yoru』は無理だと思うのですが、いかがでしょう?
もしかして、松本隆さん?
でも松本隆さんが織田信長の幼名を使うとは思えん(笑)

つまり、それほど吉法師さんの書いた詞は素晴らしいのです。
もしこれが聖子さんだったら嬉しいですけどスマイル
真面目な話、こういう方に歌詞書いてもらいたいですねえ。
やっぱり伝わるものがあるのですよアップ

 

そうなんですよ、『samui yoru』の発売時期、沙也加さんはまだ13歳。

そして『RAIN』、『Unseasonable Shore』、『A Midsummer Night’s Dream』の発売時期が14歳。

『恋はいつでも95点』だったらまだわかるんです。

 

 

 

もちろん普通の13歳が書けるものではないですが、とってもカワイイ曲ですもんね。

でもさすがに他の曲については、年齢的に無理があるのでは・・・。

 

今までは、そこで思考停止していましたパー

でも、吉法師が沙也加さんだったらいいな、という願望を強く持った今なら、負けませんよ(笑)

 

まずは2001年の『Misty Rain』、聴いてみましょう。

こちらはALICE名義ですから、間違いなく沙也加さんの作詞です。

どうぞ~。

 

 

冷たいガラスには

行き場所のない想い

私と瞳向き合って

ただ続く雨音聴いている…

 

どうですか?

メチャクチャ大人っぽい曲ではないですか!!

この時、沙也加さん15歳。

15歳でこれなんですから、13歳の時点だって、沙也加さんなりの「大人の感性」は持っていてもおかしくはないような気もします。

 

そもそも、沙也加さんの言葉を紡ぐ能力を、凡人と比較してはいけません(笑)

沙也加さんの才能って、歌唱なんかだと元々の素材をを更に磨きあげて作っていった感じがしますが、文才については聖子さんの歌の才能と一緒で、初めから才能が爆発していたと思います。

 

それに、曲の印象なんて、歌い手によって変わるでしょう。

女ざかり?の聖子さんが歌っているからアダルトな雰囲気ですが、沙也加さんが歌ったら、また雰囲気が違うかもしれません。

 

 

それではALICE・吉法師の活動時期である、1999年から2001年頃の沙也加さんがどんな状況だったのか、照らし合わせてみましょう。

 

1999年8月、ロサンゼルスの日本人学校に通いつつ、デビッド・グリーンスパン監督の短編映画『ビーン・ケーキ(おはぎ)』にヒロインの小学生役で出演。

この作品のオーディション時、両親のことは明かさずに受けて、見事に合格。

2000年はこれといった動きはなく、2001年5月、グリコ「アイスの実」でCMデビュー。

そして2002年5月、『ever since』で本格的に歌手デビュー。

 

まずポイントとして、『ビーン・ケーキ』のオーディションに「両親のことは明かさずに」受けたことが、挙げられます。

沙也加さん、この時すでに、

 

親とか関係なく、自分自身のことを評価して欲しい!!

 

という気持ちが相当強かったと思われます。

そして、芸能界への憧れ、ママと同じ道を歩みたい、という夢。

それと同時に、文章を書くことが大好きだったこと。

それらの事を考えると、沙也加さんが聖子さんの作品にペンネームを使って詞を書いたのもわかる気がしますね。

将来的なことも見据えて、この3年間は作詞についても勉強していたのではないか、と。

もちろんそれはALICEの話であって、=吉法師の証明になるわけではありませんが。

 

ただ、2002年に沙也加さんが本格的に歌手デビューしてから後、ALICEと吉法師の二人ともに詞の提供が途絶えたのは、偶然とも思えないのです。

沙也加さんには、SAYAKAとして作品を作る、という自分のフィールドができたわけですから。

 

さらに言えば、吉法師、という名前ですよ。

法=法子(聖子さんの本名)ということを考えれば、法子に吉(ラッキー)をもたらす、「吉報」というニュアンスがあるような・・・こじつけかな(笑)

いや、これももっと単純に考えてみましょう。

 

吉法師=織田信長の幼名、つまりは子供。

まだ「子供」である私が作詞しているんです、ということなのかもひらめき電球

 

ALICE・吉法師の使い分けについては、『永遠の少女』の時はカワイイ曲=ALICE、大人っぽい曲=吉法師、で使い分けしたのかな?

ほら、美空ひばりさんが子供の頃、のど自慢に出たけどあまりに上手すぎて「うまいが子供らしくない」って言われて鐘が鳴らなかった、っていう有名なエピソードがありますが、そんなニュアンスもあっての使い分けだったりして。

それで『20th Party』の時は、3曲とも大人っぽい曲だったので吉法師にした、と。

 

でもそれだとALICE名義の『Misty Rain』の説明がつかない。

『恋はいつでも95点』から2年、ALICEも大人になりました、っていうことなのか(笑)

う~ん、やっぱりここは謎です。

 

吉法師の正体が長年公表されてこなかったことについては、どうなんでしょう?

以外とご本人に直接聞いたら教えてくれてたりして(笑)

ただここ数年は、そういう質問もしにくい状況ではあったと思うので、そのままになっていた、とか。

この点についても、やっぱりわからないですね。

 

 

そしてここから先は、何の根拠もない、ただの印象の話(笑)

吉法師さんの歌詞から、沙也加さんの歌詞と何か共通している部分は見いだせないのか、探してみました。

 

まずはALICE・吉法師名義の6曲のうち「雨」の曲が2曲あるのも、雨女である沙也加さんっぽい感じがあります。

先程の『Misty Rain』(ALICE)もそうですし、この『RAIN』(吉法師)もそう。

 

あふれて落ちる涙と 冷たい雨のしずくが

私を 置き去りにして 未来の 川へと 流れていく

 

この辺りのフレーズが、なんとなく沙也加さんっぽいような(笑)

 

 

 

こちらは、沙也加さんにまつわる雨の曲たちです。

 

名曲『Remember rain』。

切ない、でも本当にいい曲😭😭😭

 

 

坂本真綾さんの「雨が降る」のカバー。

沙也加さんの透明な歌声が、哀しい雨にピッタリです。

 

 

雨の桜を歌った『ずるいよ、桜』。

あるいは、この彼女は結局桜を見に行ってないのかな、どうなんでしょう?

桜の歌は数多あれど、雨の情景だったり、心で想像する桜だったり、をテーマにしたこのセンスは、やっぱり素晴らしい!!

 

 

そして以前沙也加さんブログでも紹介させていただいた麒麟・川島明さんへの歌詞提供曲、「where are you」。

♪今の僕じゃ2度と戻れない傘があるのです♪

で始まる雨の歌。

歌詞提供曲であれば、沙也加さんの可能性がさらに広がることを示した曲だと思います!!

 

 

どれも名曲で、やっぱり沙也加さんには「雨の物語」が似合います☔

 

 

そしてもう一つ、沙也加さんの歌詞の特徴を。

 

それは、「ねえ」というフレーズ。

沙也加さんが書く詞には、「ねえ」が良く使われているような気がするのは、私だけでしょうか?

 

ねえ ちょっとおかしなこと言ってもいい?

 

とか。

あ、それは沙也加さん作詞ではないですね😅

 

 

まあ、それを言ったら聖子さんの曲だって♪ねえシュロの葉陰で♪等色々あると思いますが(笑)

でも、その使用頻度が違う気がします。

 

思いつくままに、挙げてみましょうか。

 

ねぇ まだ・・・(『水色』)

笑って 笑って? お願い ねぇ(『上弦の月』)

ねぇ 僕らは(『Bielieve again』)

寂しい夜は 永遠のように ねぇ 思えるのに(『螺旋』)

at last ねえ? やっとあえたね。(『four hours』)

確かめに行こう ねえ いつか(『Marmaid』)

 

な、なんと、1stアルバム『Doll』だけでも、10曲中6曲に「ねえ」が使われているではないですか!!

60%って、結構な確率ですよね。

挙げ出すとキリが無いので止めておきますが、TRUSTRICKのアルバムでも、「ねえ」出現率はかなり高いです。

特に1stアルバム『Eternity』においては、やはり50%(12曲中6曲)と、高い数字を叩き出しております(しおきゅう調べ)😁

 

きっと沙也加さんにとっての「ねえ」というフレーズは、呼吸と同じぐらい自然に出てしまうものではないでしょうか?

 

ALICE・吉法師名義の曲では?

6曲中3曲に使われていますね。

先程の『Misty Rain』での

 

一秒でいいから 

ねぇ 君の彼女になりたい

 

こちらはALICE名義ですから、納得です。

 

そして吉法師名義でも。

 

まずは『A midsummer Night’s Dream』。

この曲、幻想的な感じが大好きです!!

 

ねえ まだずっと あなたの余韻の中

ねえ まだずっと 包まれていたいから

 

 

 

時の狭間の森に 迷い込んで迷子になる 二人きり

そしたらきっとあなたは 私に口づけくれるの

 

この辺りのフレーズも、何となく沙也加さんっぽい気がしませんか?(笑)

 

そしてあの名曲、『Unseasonable Shore』。

 

ねぇ海は何故 たくさん思い出くれるの?

ねぇ人は何故 哀しみを捨てにくるの?

 

決して答えが返ってくるわけではないけれど、つい問いかけたくなるこの気持ち。

ここでの「ねえ」の使い方も、絶妙です!!

 

 

あ~、情景が浮かんでくるいい曲だなあ音譜

でも皆さん、今一度考えてみてください。

この曲の情景を描き出したのが、もし14歳の少女だとしたら・・・。

 

天才としか、言いようがありませんよ👍

 

忘れちゃいけないのが、上原純さんの作品。

上原純名義の2曲は、作曲も沙也加さんでした。

 
『bless you』。
これぞまさしく「神曲」です😭😭😭
優しくて温かくて眩しくて、まるで聖母のような聖子さんを引き出したのは、間違いなく沙也加さんの言葉とメロディですね。
 

 

 

『WE ARE.』。

この曲を聴くと、沙也加さんの裾野の広さを感じずにはいられません。

沙也加さん、こんな曲も作れるんですね。

 

 

聖子さんもノリノリですよ(笑)

 

 

 

ということで、私の中では完全に吉法師=神田沙也加の方程式が成立してしまいました(笑)

 

何より嬉しいのは、もしこれが事実であるとするならば、沙也加さんの書く詞が聖子さんの魅力をより引き出している、ということ😭😭😭

 

80年代前半の聖子さんの魅力の一つである、アンビバレントな表現。

この点については、このブログでも散々書いてきたつもりです。

悲しい曲や切ない曲を明るいメジャー調で歌い、悲しみや切なさの中にも、どこか甘酸っぱい香りのするそよ風が吹いているような、爽やかな表現ができる。

 

 

そんな聖子さんの魅力が、1999年に発表されたこの曲でも、とっても良く引き出されていると思うんです。

それでは最後に、『samui yoru』を。

 

『samui yoru』

作詞:吉法師

作曲:佐々木孝之

編曲:笹路正徳

 

吐息で震える手を暖めながら

メールの文字を探し続けてまた消した

どんなに並べられた言葉さえ

こみあげてくるこの想いを伝えられない

 

いつの日かこの想い届くように

空を見上げてみた

涙さえ凍るよな寒い夜に

あなたの手のひらのぬくもり感じたい

名前をなぞるように星を数えた

 

行き交う人の中でふと立ち止まる

あなたと同じにおいがして胸がせつない

 

なにげないしぐさを真似るように

髪をかきあげてみる

振り下ろすその腕で包むように

凍える肩を引き寄せ優しく抱いて

 

いつの日かこの想いかなうように

空を見上げてみた

涙さえ凍るよな寒い夜に

あなたの手のひらのぬくもり感じたい

ため息で星空が 雪に変わった

 

 

あ~、これはイイ、やっぱり好きだああぁぁアップアップアップ

 

「名前をなぞるように星を数えた」って、大好きな人へ打とうとしていたメールの文字を、星に例えているのかな?

「ため息で星空が雪に変わった」っていうのは、消してしまったメールの文字の比喩みたいな感じもするし、本当に素敵な歌詞です。

笹路正徳さんのサウンドも素敵だし、佐々木孝之さんのメロディもとても良いです。

 

では最後に、この記事を紹介させていただいて、終わろうと思います。

この方のブログ、初めて読ませていただきましたが、共感するところが多く、面白かったです。

 

 

>平凡な詞を、いかにもなキャッチーで切ないメロディーに乗せた、90年代風のギター・サウンド。

そんな曲を驚くほどサラリと歌う聖子さん。

でも、伝わってくる、何かがある。

他の収録曲を超えた、何かが。

一つひとつの言葉に込められた、一瞬のかすかなニュアンスのようなものが。

そこに、超多忙だった全盛期の80年代、レコーディングスタジオで初めて受け取った曲を、天性の勘(ひらめき)で見事に瞬間で表現してきた往年の聖子さんを見るような気がするのだ。

つまり、松本隆氏の作りこまれた「詩」や、自作の思い入れたっぷりの曲に対する「条件反射的な感性」ではないところでの、手垢にまみれていないピュアな勘・ひらめきが、いかにもさらりと歌われたこの曲「samui yoru」の中にこそ、見え隠れしているように思うのだ。
 この、さらりとしたせつなさ・・・。俺としては、この路線、もっと追求してもらいたかった、つくづくそう思わせられる1曲なのである。

 

さらりとしたせつなさ・・・、仰る通りです!!

 

興味深いのは、この記事が書かれたのは2007年、まだ上原純=神田沙也加という事実が2011年に公表される前だったということ。

この記事の中では、SAYAKAさんとALICEと上原純と、そして吉法師が同列に論じられていますが、もしこれら全てが私の主張通り、同一人物だとしたら・・・。

思わずニヤッとほくそ笑んでいた自分がいました😏

 

ということで、私の願望に最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました😊

この内容が事実に反していたらば、それこそ『samui kiji』ですね😆

大変失礼いたしました~<(_ _)>

 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   * 

 

追記 
その後のコーさんとのやり取りの中で、また新たにわかったことが! 
佐々木孝之さんの紹介ページなんですが、すでに消えているページで、Googleキャッシュにかろうじて残っていたものだそうです。 
 
このページを見ると、 <編曲、楽曲提供> 鈴木ノア、キグルミ、岩崎宏美、松田聖子、デビュー前小学生の神田沙也加、 と書いてあるんです。 
聖子さんはもちろん、『samui yoru』でしょう。 
でもそこに沙也加さんの名前が!! しかも、デビュー前小学生???
 う~ん、小学生の頃の沙也加さんって『Twinkle Star, Shining Star』しか思いつかないんですが😅 
ちなみに『SWEET MEMORIES‘93』の歌詞カード、目を皿の様にして見てみましたが、佐々木孝之さんの名前は発見できませんでした。
 単純に、中学生の書き間違え? だとしたら、CM曲の編曲? それとも作詞家(吉法師)への曲提供のこと?? 
 
いずれにしても、佐々木孝之さんが聖子さんだけでなく、沙也加さんとも作品において縁があった、ということ。
 
 これは吉法師=神田沙也加説の、軽い後押しになるんじゃないかな、と。
 コーさん、貴重な情報、ありがとうございました😊