「部活動は誰のためにあるのか。」と問われたら、ほとんどの人が「生徒のため」と答えるだろう。
「高等学校の第一の目的は何か。」と問われたら、勉学だと答えられるか。
ただ、高校は、「授業の履修、単位の認定」がなければ、進級も卒業もできないよ
と言えば、ほとんどの人が「勉学」と答えるだろう。
バスケットボールの試合で、審判に暴力をふるったコンゴ人留学生。
彼はどんな日常を送っていただろう。その学校には、彼の母語であるフランス語を
話すことのできる教員はいなかったそうである。
授業はどうしていたのだろうか。自分の知らない言語で行われる授業を、彼はどんな
気持ちで聞いていたのであろうか。
多少は日本語が話せたようである。しかし、「多少日本語が話せるレベルでわかる高校の授業」
とはどんな授業だろうか。
留学生ならば、授業は出席しなくて良かったということは、絶対にないと思う。(それは留学ではない。)
日本語の勉強がしたくて、日本に留学したのならそれもしかたがないだろう。
でも、彼は「バスケットボールをするために」日本に来た。日本はバスケットボール強豪国でもないのに。
部活は彼のために存在していない。彼が部活のために存在した。彼の高校生活に勉強と呼べる物は
用意されていたのか?彼にとって高校とはなんだったのか。
母語でない言葉で、自分の抱えているストレスを相手に伝えたい形で表現するのは難しい。
何人もの留学生がそれで苦しんでいるのを見た。
彼の人権を、誰が考えたのだろう。