秋月城跡を訪ねる!!  徳島県阿波市土成町秋月 | 塩江つれづれ

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秋月城跡を訪ねる!!  徳島県阿波市土成町秋月

 

塩江コミ協主催で毎年秋に開催される「文化財めぐり」、今年は讃岐を出て阿波への旅が予定されているようです。

 

塩江町東地に牛鬼を退治した「山田蔵人」の墓地があります。

山田蔵人は、「橘氏の後裔で楠木氏、楠木正成の別族である。」という説と、もう一つ、「阿波秋月城細川公の家臣として文禄の役で1592年朝鮮に出兵し一年後の1593年に帰国する。」という説があります。

 

“南北朝時代滅亡の後讃岐国へ来て安原の地に住む。蔵人は安土桃山時代、天正(1573-1592)~文禄(1592-1596)のころの人にて、身長六尺(約1.8m)で力強く射術に殊更長けていた。文禄年中豊臣太閤朝鮮を征伐した時、蔵人も出兵しある無人の空寺に入って、眞言宗の「十三仏像・涅槃像の巻物」及び「饒鉢」を持ち帰り、安原の最明寺に寄付し今に伝わって宝物となっている。”

 

今回は、この蔵人のふるさと阿波土成町にあったという「秋月城」の城跡とうだつの町並みを見学する予定です。

詳しくは決定次第お知らせしますが、昨日の30日(水)に友人を誘って運転してもらい「秋月城跡」を下見のために訪ねてきました。

 

どこもそうですが、史蹟の整備はなかなか大変でこちらも雑草がいっぱい。訪れる人も少ないんでしょうね。

案内板と墓地があるくらいで、あまり見る所も無く寂しい感じでした。

 

秋月城跡

 この地は古代秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏がここに居館を構えた。文永年間守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと伝えられている。

 細川阿波守和氏らは秋月氏に迎えられ、秋月に居館を構え四国全域に号令、四国管領として大きな勢力を誇っていた。

 秋月城は南北朝から室町時代にかけて、細川氏の拠点として枢要の地歩を占めていた。

 その後、細川詮春が勝瑞城に移った後、秋月中司大輔(森飛騨守)が守ったと伝えられている。

 天正7年(1579)、土佐の長宗我部軍の兵火にあって落城したといわれている。

 この城跡の周辺には、秋月城の名残りとして御原の泉・的場の跡・竈(かまど)跡等が残っている。

      平成元年12月         土成町

                               秋月城跡 解説文より

 

秋月城跡

 

 

          史跡 秋月城址  昭和七年三月  徳島縣

 

          秋月城的場場址    昭和四十二年二月 土成町建

 

秋月城主代々之墓所

 

秋月城主累世之碑

 

秋月城主であった森本氏(森飛騨守)、細川和氏の代になると重臣として仕えた。

森本家の墓が多い。