机の中の切符から 2 | 潮騒が聞こえる2  ベースはhttp://sionecafe.livedoor.biz/

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1997年のビーチボーイズのロケを見てから、ぼくらの夏は終わらない
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これは中学生の頃、教科書で読んだ話に導かれた一人旅でした。

どこに行ったかというと浅草駅から東武線で栃木県へ。
目的地は「おもちゃのまち駅」でした。

当時は駅を降りると、ウルトラマンの像が立っていました。
それ以外は何もなくて、遠くに大学付属病院が見えました。


1955年(昭和30年)頃、東京の葛飾区や墨田区にはたくさんのおもちゃ工場がありました。この頃、日本のおもちゃ産業は国内はもとより欧米に輸出されて、生産が間に合わない状況となりました。工場を大きくしたいが、都内の土地は高くて広げられず、海抜の低い土地の工場の環境もありました。

そこで、玩具組合は工場や設備の移転を考えました。当初、流山市が候補でしたが地主の反対や土地の高騰もあって、栃木県壬生町への集団移転となりました。壬生町では1962年(昭和37年)2月に輸出玩具工場団地を積極的に応援することになりました。その結果、昭和39年に工場団地建設が始まり、昭和40年におもちゃ工場団地が出来上がりました。

 

周囲には住宅団地が出来ていきました。団地の人たちや地元の住民がおもちゃのまちと呼ぶようになり、昭和39年に東武宇都宮線の安塚駅と国谷駅の間に「おもちゃのまち駅」がつくられました。駅ができると昭和41年には住宅地となり、住民も増加しました。昭和52年に正式な町名が「おもちゃのまち」になりました。現在はおもちゃ博物館も出来て、日本のおもちゃの発信基地となりました。