今回の記事は私の個人情報が含まれていたので、修正と追記をさせていただいています。
今までの分もこちらからどうぞ
2022年3月1日卒業しました
2022年3月1日に僕の母校の卒業式が無事挙行されました。僕は中高一貫コースに在籍していたので、6年間いた学校を離れると思うと、なんかすごく寂しい感じがします。それより実感がわかないといった方が今の感情にふさわしいかな?ホント、明日学校に行ってあの賑やかでやかましいクラス(担任はもっとやかましいというより我が子よりうちらのことを愛してくれてる担任)でHRするんじゃないか?親友といつものようにじゃれあっているんじゃないか.......って今でも思ってます。
2026年追記
実際にいまだに同級生とは仲が良くて、3年前の2023年に上野のある会場で成人式を開催したほか、今年の1月末に集まれる子達と先生で飲み会をすることになったのですが、先生の方からは2人のみの参加(僕の高1の時の担任の先生と、中学の理科の科目担当だった先生)でしたが、生徒が20人くらい来てくれて(このために大学があるのに北海道から地元に戻ってきてる子もいた。)楽しい会になりました。
卒業はしたけれど、ここで過ごした6年間が無くなるわけでもないし、友達との絆が無くなるわけでもない。むしろ、コロナ禍だったからこそ一段と強くなった絆。最後のホームルーム活動の時、担任の先生にクラスメート全員で「ありがとうございました!」って挨拶したんだけど、練習なしの一発本番、しかも何を言うかわからない状況で級長が、「じゃあ、一貫の団結力試しますか!」って言って出てきた言葉がみんな一緒(笑)動画を撮っていてくれた子がいて、ここ最近毎日のように見返しているんだけど、やっぱり最高のクラスだったな。ここに載せられないのが残念。
改めて、みんな有難う!このクラスで卒業出来て僕はとても幸せです♥あと、K先生(担任)、M先生(高1担任)はじめ中学校の諸先生方本当に6年間お世話になりました!!
挙行してくれるだけ嬉しいけど....
卒業式の挙行が出来ない学校や、親が参加できない学校もあるので、挙行していただき尚且つ親一人まで参加できたことは嬉しいことですが、本音を言うと中学校の先生の前で卒業証書が貰いたかったなぁっていう気持ちがあります。このご時世なので、贅沢言えないですけどね....なので、この非常事態が収まったら、お世話になった先生方に何かしらの形で恩返ししたいなーと考えています。
それでも先生方と写真撮ったり、親友と最後の最後まで馬鹿なことをしていたりと充実した一日でもありました。
学校では泣かなかったけど、実は家に帰ってきてからこっそりと泣いた(笑)
まあ、また笑ってみんなと会える日は来るでしょ!
4月からそれぞれの道で大海原へと出航していきます!不安な僕に、大好きで大切な人が送ってくれた言葉。
船で仕事をしていた人が言いました。
灯台が緑色になったら戻っていいサイン
灯台がいつも僕達の行く先を照らしてくれる
灯台があるから戻る場所があるから
僕達は荒波でも乗り切れる
この言葉を聴いたとき、僕にとっての灯台は6年間過ごした学校であり、そしてそこで出会った友達や先生方だったんだと気づきました。
母校に6年前入学して、そしてこの3月に無事に(?)卒業できたことを誇りに思います。
僕にとっては最高に幸せだった6年間だったけれど、先生方にとっては傍迷惑な6年間だったかもしれないですけれどね(笑)
2026年追記
目指して他大学に合格し順調だったけど、体調が悪化して大学を辞めないといけなくなっちゃったけど、でもADHDの子でも大学に行けるっていう希望を見せれたからよかったって思うようにしてる。(体調は最悪で就職どうなるかわかんないけど............)
今回はここまで。なんか番外編なのに長くなってしまい申し訳ありませんでした。お付き合い頂いた方、本当にありがとうございます。
次は前回予告した通り保育園時代について書きたいと思います。
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