サイコメトラー村上探偵事務所

                  幼い日の記憶

  

  色褪せた写真

 大晦日を4日後に控えた12月27日、この日孝之(23歳)は依頼者との面談の為、ある会場を訪れていた。折しも名古屋の街は歳末商戦真っただ中。行き交う人々は一様に華やいで見えた。

 

 午後1時30分

 吹き抜ける風に寒さ際立つ。上空には水の宇宙船と呼ばれる巨大な水槽。ここは名古屋市屈指のランドマーク、”オアシス21”。今日も多くの子供連れで賑わう。仮設のスケート場とコンサート会場、傍らにはキッチンカーも並ぶ。孝之はイベント会場を囲むように配置された、一つの白いテーブルの椅子に腰を下ろした。

 

 上空の巨大水槽には銀色に輝くエレベーターが設置されている。その時孝之がぼんやりイベント会場を眺めていると、そのエレベーター付近から、周りを気に掛けながら来る1人の女性に目が止まる。

 

 彼女は辺りをぐるりと見回すと、その後真っすぐに孝之の前迄やって来て立ち止まった。

「失礼ですが村上孝之様でいらっしゃいますか?」

 孝之はすぐさま立ち上がり会釈する・・・・

「あなたは塚本弘子様ですね。お待ちしておりました」と孝之は微笑む。

 その後2人は、対面する椅子に腰を下ろす。

 

 広場の中央ではイベント会場造りが行われていた。マイクやスピーカーを運ぶ者、機材を運ぶ者や一般客などが入り乱れて、一種騒然となる。

 

「僕の事、よく分かりましたね」

「ええ、黄色いマフラーが目印。とお聞きしたので、他に該当する人物が居なかったので・・・・」

 孝之はその日、黒色のズボンにグレーのジャケット、薄手の黄色いマフラーを襟もとで纏めていた。一方で塚本弘子は肌色のロングスカートに厚手のダウンジャケット、見た目は40代半ばに見える。

 

「お問い合わせの電話,有難う御座いました。ではさっそくですが、要件をお聞かせ願いますか」と孝之が言う。

「はい、ある人物を探してほしいのです」女性は深刻な面持ちで孝之を見つめる。

 訴える様な仕草に、彼女の深刻な胸の内を悟った。

 

「何か深刻な事情がお有りのようですね・・・・・」

 依頼者の弘子は、まるで哀願するかのように、目を潤ませて話しを切り出した。

「実は私には、5歳の時に生き別れた2つ年上の姉がいます。微かな記憶しか無いのですが、二人で一緒に遊んだ覚えがあります。その時の姉を探してほしいのです」

 

「5歳の時といいますと、貴方の年齢から推測して、40年ほど前の話になりますね?」

 “40年前”といえば、自分はまだこの世に生まれていない。そんな遠い昔の出来事を解決する自信はない。・・・・ さてどうしたものかと思案した。

 

 やがてイベント会場も、次第に人が増えて騒がしくなって来た為、2人は近くのコーヒーショップに場所を移す事にした。店の中に入ると少し混んではいたが、コーヒーとサンドイッチをオーダーして空いている席に座る。

「ところで何か思い出の品とか、遺留品などが有ればお見せ願えませんか」

 すると彼女はバックから1枚の写真を取り出した。孝之は興味深そうに覗き込む。

 

「ほう、これは随分古い写真ですね。」

 提示された写真はとても色褪せていて、遊園地らしき遊具の前で、微笑む二人の少女が写っていた。

「この写真に写っているのは、幼い日の姉と私です」

「そうでしたか、何か曰くが有りそうですね。よろしければお話し願えませんか」

 

「実は姉と私は、異父姉妹でして・・・」彼女(弘子)はバックからメモ帳を取り出して、

姉との経緯をゆっくりと話し始めた。

 それは弘子が中学生になった頃に、母親(多恵)から聞いた話である。母親は前の夫との間に、長女である美智子が生まれた。しかし暫くすると、最愛の夫を病気で亡くす事になる。

 

 その後直ぐに、塚本辰夫(現・弘子の父)との再婚話が持ち上がると、母親(多恵)は悩んだ末に再婚を決意した。そして弘子が生まれると、父親の辰夫は血筋の繋がる弘子は可愛がるも、美智子には次第につらく当たるようになったという。

 

 それで母・多恵は、長女の美智子に危害が及ぶのを恐れ、養子縁組みを依頼するべく里親を求め、親戚縁者に声を掛けた。ところが返って来る言葉は皆一様で、余裕がないことを理由に断られた。一旦は諦めかけていた里親探しも、それから数か月が過ぎ去ったある日、遠い親戚と名乗る男性が表れて、子供のいない夫婦が、養子縁組を希望している事を知らされた。

 

 面識のない他人に、我が子を託すことに抵抗があった。しかし悩んだ末に母親(多恵)は、養女として美智子を預ける事を決意したという。

「ではその養父母様の氏名とかは、分かりませんか?」

 弘子は顔を横に振った。

 

「子供の頃に母から聞かされた気がしますが、今はもう忘れてしまって覚えていません」

「そうでしたか。ではあの写真だけが、唯一頼みの綱という訳ですね」

 依頼者の弘子は、静かに頷いた。

「あの写真は去年母が亡くなる迄、写真立てに入れられて、寝室に置かれていたものなのです」

 

「そうでしたか、お母様にとっては掛け替えのない大切な写真だったのですね」

 弘子が言うには、4年前に父親(塚本辰夫)が他界してからは、母親は気兼ねすることなく、寝室の枕元に姉妹の写真を飾り、後生大切にしていたという。

 

「そうでしたか、母親の思いが宿る、貴重な写真と言えますね。・・・失礼ですが、弘子さんは独り暮らしをなさっているのですか?」

弘子は顔を横に振った。

 

「私には二人の娘がいますが、それぞれ結婚して家を出た為、今は夫と二人暮らしです」

「そうでしたか、それはお寂しいですね。ではその写真、お預かりしてよろしいですか?」

「はい」 と弘子は静かに頷いた。

 長年悩んでいた胸のつかえが、孝之に話したことで癒された様で、穏やかな表情を浮かべ弘子は帰って行った。

 

 見え始めた真相

 

 その日の午後には、名古屋市内の気温が6℃にまで下がった。孝之は事務机の上に写真を置き、手を翳して意識を集中した。すぐ横では洋子が、事の成り行きを静かに見守っていた。やがて彼は静かに手を下ろし・・・

「写真からは、強い怒りと悲しみの感情が伝わってくる。それと・・・どこかの街の風景らしきものが見えるけど、それが何処なのか見当つかない」

 

 孝之の言っている意味が、洋子には何となく理解出来た。

「悲しみの感情は、お母様の思いを反映しているのね・・・」

 女性特有の我が子を案ずる母の気持ちが、洋子には手に取るように理解出来た。

 この写真からは、強い残留思念を感じると孝之はいう。

 

「僕の手にはおえない。師匠(大迫しのぶ)に連絡をとって、明日にでも行ってみるよ」

 孝之はその写真を、厚手の封筒に入れて、ショルダーバックに納めた。すぐに大迫しのぶに連絡を入れると、明日の10時迄に来るようにと言われる。

「孝ちゃん、私も連れて行ってよ」

 洋子は大迫しのぶと面識は無い。一度は会ってみたいと常々思っていた。

 

 12月28日(土曜日)この日、洋子と孝之の二人は、大迫しのぶ人生相談所を訪れた。

 約束の時間には、まだ20分ほど時間が有ったが、すぐに廊下の向こうから歩く人の足音が聞こえて来た。

「あらおはよう。随分早いのね。寒かったでしょう」 と大迫しのぶが現れた。

「おはようございます。忙しいところを申し訳ないです・・・」

しのぶにとって今日は休日であった。孝之は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

 大迫しのぶはすぐに暖房のスイッチを入れたが、馴染みの無い洋子がいる事にふと気が付いた。

「あらお連れさん?」 言われて洋子は大きく頷く。

「初めまして。野田洋子と言います、よろしくお願いします」

「あなたは・・・孝ちゃんのお友達かしら?」

 言われて二人は見つめ合あう。

「それはさて置き、見せたい写真が有るのでしょう。早くそれを見せてちょうだい」

 

 孝之はショルダーバックから封筒を取り出して、1枚の写真を手渡した。

 受け取った写真を手にすると、大迫しのぶは眉を潜める。

「恨みと強い悲しみの残留思念が宿る。この写真、なんだか嫌な予感がする」

 

 大迫しのぶは祭壇の有る部屋に二人を招いた。その後、祭壇を背にして静かに正座した。洋子と孝之も対面する様に並んで座る。座敷机の上に、預かったばかりの写真をそっと置き、その上に手を翳した。

何かを念ずるようにして、左から右へと手を移動する。これを数回繰り返しやがて・・・・・

 

「この写真からは、強い怒りと悲しみを感じる。悪いことが起きなきゃいいけど」

 大迫しのぶのは、その場で手を合わせ、写真に静かに一礼する。

「娘に会いたいと、女性が訴えているわ。母親かも知れない。養父母らしき男女が面会を拒んでいるのよ。中村・・・洋二とおっしゃる方が養父なのね。女性がそう言っているわ」

 

 写真に残る残留思念は古い時代のもので、最近までの一連の念が、蓄積されたものだと大迫しのぶは言う。

「きっと早い段階で、面会を拒絶されたのよ。その時の恨みが、写真に刻まれたのだわ。女性はこの写真の持ち主で、離れ離れになった我が子との再会を、果たせないまま現在に至っているのよ」

 

 大迫しのぶは核心部分に触れる。そこで塚本弘子から聞いたここ迄の経緯を、孝之は師匠である大迫しのぶに、一部始終をすべて話して聞かせた。

「じゃあお母様の塚本多恵さんは、すでにお亡くなりになられていた訳ね。だとすればあの写真は、生前果たせなかった恨みの念が宿っているわ」

 

 事の深刻さを認識して、孝之は緊迫した表情を浮かべた。

「だから依頼者の塚本弘子さんは、何かに取り憑かれたように、憔悴した暗い表情をしていたのですね。彼女は病的に母親の意思を受け継いでいた訳だ」

 

 孝之が弘子から聞いた話によれば、4年前に父親が亡くなるまでは、彼の前では心情を配慮して、美智子の話は一切口にしなかったという。ここにきて、衝動的に行動に出たのには、背景に重大な問題を抱えていると考えられた。

 

「この写真の残留思念からは、東の方角、天白区平針から日進市辺りが脳裏に浮かぶけど、たぶん早い時期に面会を拒否されたのだと思う。だから母親が知っている頃の情景しか、私の脳裏に浮かんでこない」

「つまり、中村洋二さんを訪ねて天白区から日進市辺りに行けば、美智子さんに行きつく訳ですね」

 

「そんなに甘くない」 と大迫しのぶは顔を横に振る。洋子が重い口を開く。

「孝ちゃん、40年という年月は相当に長いのよ。どんな風に状況が変わっているか分からないから、楽観視しない方がいいと思うよ」

 それはそうに違いないと、孝之は頷く。

 

「では師匠、いろいろとお教え頂き、ありがとうございました」ここまで来れば、後は時間が解決してくれる。 と孝之は思った。

大迫しのぶには度々世話になっている。感謝の言葉を伝えたのだが・・・・

「礼には及ばないわ、貴方は私の弟子なのだから」と大迫しのぶが言う

 

 その後洋子と孝之は写真を受け取り、帰る事にした。

「困ったことが有ったら、また何時でもいらっしゃい」 と見送ってくれた

 

 日進市と言えば、名古屋市に隣接する、事務所のある金山からもそう遠くない。しかし巷はどこも正月休みに入り、頼みの綱の市役所さえも、昨日から1月5日まで閉ざされたままだ。すべては年明けに持ち越された。

 

 奇祭で名高い神社を巡る

 

 令和初となる大晦日がほどなく暮れ、待ちに待った新年が厳かに明ける。今年の干支は12支トップの鼠である。その子沢山にちなんで、繁栄を意味する年でもある。2020年は東京オリンピックの年であり。おおいなる飛躍が期待される。

 

 例によって孝之は、三が日を家でゴロゴロと寝て過ごした。4日の日は朝9時に千種駅で洋子と合流、車で小牧市に向かう。この日の予定は小牧市の田縣神社(たがたじんじゃ)と犬山市の大縣神社(おおあがたじんじゃ)を初詣する事である。

 

 田縣神社は男の宮で、ご本尊は直径60㎝で長さ2,5メートルの丸太で作られた男根だ。一方大縣神社は姫の宮で、ご本尊は穴のような裂け目のある岩である。2か所をセットでお参りする事で子宝、安産に恵まれると言い伝えられている。また縁結びの神様としても有名で、初詣には多くの若者やカップル等が、此処を訪れる。

 

 大縣神社は名鉄小牧線、楽田駅から緩い坂道を歩いて10分少々の所に有る。周囲を背の低い山に囲まれていて、境内の敷地もそれなりに傾斜している。

「ぼくは物心が付いた頃から、いつも両親に連れられてここに来ていた」

「へーっ、そうなんだ」

 

 孝之の両親は子供に恵まれず、田縣神社と大縣神社の二つを繰り返し参拝し、5年越しで孝之が誕生した。それからは毎年、新年にはお礼参りを兼ねて、今もなお此処に足を運んでいるという。

 

 孝之は一番奥の左に有る、恵比須様・大黒様を祭った商売繁盛の神様を、最初にお参りした。すぐ隣には小さな鳥居のある社があり、賽銭箱にお賽銭を入れた後、願いを込めて四つん這いで、その鳥居をくぐり抜ければ、願いは成就すると言われている。

 

 すぐお隣には他に、結びの池という小さな泉があり、文字通り恋の願いが結ばれると言われている。思いを寄せる異性の名を書いた紙に、賽銭を乗せて水に浮かべるのである。早く沈めば、願い事が早く叶うそうである。ここを訪れる若者はそれなりに多くいて、池の周りは歩いて一周出来るスペースも有る。池の深さは見たところ、30センチ~50センチといった所だ。

 

「ねえ孝ちゃん。あの池行ってみない」

「うん、いいけど・・・」

 二人はお賽銭箱にお金を入れ、設置してある台に置かれた木製の短冊に、願い事を書き記し箱に納めた。そのそばに置かれた半紙とマジックペンで、相手の名前と願い事を書いて、水に浮かべ、その上に重りとしてお金を乗せた。孝之の半紙はすぐに沈んだが、洋子のは中々沈まない。

 

「孝ちゃん。ズルしたでしょう。何枚乗せたのよ?」

「えっ解ったの? 3枚だよ」

「わっズル・・・・そら沈むわ」

 

 境内にはお札売り場が2か所あり、どちらの売り場も人で賑わう。反対側の山手には古いお札を納める社があり、その向こうは駐車場だ。駐車場は2か所あり、こちらは境内の中に有る。孝之は此処に車を止めていた。帰るのに大鳥居は通らずに帰る事になる。ちなみに出店は大鳥居から本殿までの参道両脇にずらりと並ぶ。5日くらいまでは店は開いているが、その後徐々に少なくなって行く。

 

 大縣神社から車で緩い坂道を下り、1キロほど行くと名鉄小牧線楽田駅が有り、すぐに県道27号線に出る。信号を左折して南下すると2キロ程で、右手方向に田縣神社が道路沿いに見える。こちらは道路沿いで車の通行量も多く、右折車は反対方向からの左折車が並ぶ為、境内に入りづらい。目前で右に回り神社の裏をぐるりと回り込み、表通りに出て反対方向から左折で入るのがお勧めである。

 

 田縣神社は町中に有り、平地で大縣神社と異なった造りだ。参拝者は大きく分けて、2つの神殿に列が出来る。奥の神殿には巨大な男根(直径60㎝×長さ250㎝)が祭られていて、驚かされる。豊年祭りは大縣神社、田縣神社ともに3月15日で、こちらは丸太のような男根が神輿として繰り出され、町中を練り歩く。大縣神社は女性のシンボルとしての山車が繰り出され、町中をそれぞれ練り歩く。奇祭としてここまで徹底しているのは、国内で唯一此処だけである。

 

 洋子は、さっきからずっと気になっていることが有る。それは孝之から誘われて、こんな人里離れた神社に来たことである。

「ねえ孝ちゃん。なんで私なんか誘ってこの神社に来たのよ」

「それはね、幼いころから両親に連れられて・・・」

「その話だったらさっき聞いたわ!」

 

   簡単な話ではない

 

 1月6日(月曜日)孝之は塚本弘子に対し、父・塚本辰夫の戸籍謄本を、管轄する市役所から取ってくる様依頼した。

 午後1時過ぎ、塚本弘子が父親の戸籍謄本と、マイナンバーカードをそれぞれ持って事務所にやって来た。すると孝之は洋子に事務所を託し、依頼者・弘子を同席させて、日進市役所に向けて車を走らせた。

 

 金山駅からJR中央本線沿いの道路を北上すると、やがて国道41号線(名犬バイパス)と交差する変則交差点に差し掛かる。これを斜め右方向に曲がり、すぐ右に見える鶴舞駅を過ぎると、大きな交差点、通称100メーター道路(道幅が端から端まで100メートルの意)に差し掛かる。

 

 そこを右に曲がり直進して吹上ホールを過ぎた辺りからさらに右折して、県道153号に入れば、平針までは一本道となる。平針から県道58号に左折して3キロ程で県道57号と交差する。日進市役所は1本道を隔てたすぐ傍に有る。

 

 なお平針に隣接する日進市の南西には、大勢の人で賑わいを見せる、大型ショッピングセンター(プライムツリー)が進出して、近年急速に近代化が進む。

 

 孝之は、市役所内の案内表示に従って住民課窓口に行く。番号札を取り待つことにした。やがて自分の番号が呼ばれたので、塚本弘子と二人受付に向かう。応対してくれたのは、(中野久子)と名札を首にぶら下げた中年女性だ。

 

「お待たせしました。ご用件をお伺いします」 といたって事務的な応対だ。

「じつは中村洋二さんという方の、お住まいを探しているのですが」

 すぐに即答で返事が返ってきた。

「申し訳ありません。個人情報なので、お教えできません。失礼ですが、あなた方はご家族の方ですか?」

 

「失礼しました。私はこうゆう者です」

 孝之は慌てて名刺を手渡した。

「村上探偵事務所・・・村上孝之さんですね。ではこちらの方はどなた?」

「この方は、東区にお住まいの塚本弘子さんでして・・・」

 

 孝之は職員の中野久子称する人物に、此処までの経緯を事細かく伝えた。弘子には幼いころ生き別れた姉がいて、中村洋二を里親として養子縁組がなされた事を強調した。

「じつは今日、塚本弘子さんのマイナンバーカードと、養子縁組を記録した父親の戸籍謄本をお持ちしました」

 その申し出を受けて、職員の中野久子は慎重な対応に迫られた。

 

「分かりました。個人情報に関しては、管理が厳しく規定されています。私ではお答えしかねますので、上司の許可を取ってきます。少々お待ちください」

 待つこと5分、職員の中野久子がメモ用紙を手にしてやって来た。

 

「お待たせしました。中村洋二さんの戸籍の確認が取れました。養女の美智子さんは、平成10年3月に鈴木敏則さんとご結婚されて、守山区に住所を移転されました。中村洋二さんについては5年ほど前にお亡くなりになり、妻の秀子さんは現在特別養護老人ホームに入居されていて、自宅はお留守にされています」

 

 戸籍謄本については厳格に規定されていて、家族(同一戸籍)以外は取る事が出来ない。その代わりに、克明に書き記されたメモ用紙を手渡された。それによると養女の美智子(弘子の姉)は、鈴木敏則氏と結婚して、守山区小幡に住居を構えている事が判明した。

『決まりなので・・・』 と前置きをしたうえで、職員の中野久子は次の様に話を続けた。

 

「申し訳ないのですが、マイナンバーカードと、今日持って見えた戸籍謄本のコピーを取らせて頂きます」 そう言うと職員の中野久子は、カウンターに置かれた書類の一部を手に持って、壁の向こうに消えた。ここまでの情報は、孝之にとって大きな収穫に思えた。ところが、帰りの車内で塚本弘子は意外なことを口走る。

 

  神がかり的運命?

 

 まだ休み期間中の会社でも有るのか、名古屋市内は車の流れが順調に思えた。県道58号線から平針に入り、県道153号線を右折して少し走った頃、塚本弘子がおもむろに口を開いた。

 

「先ほどの話からすると、現在の姉のフルネームは鈴木美智子となる訳ですね」

「まあ、そうなりますね。それがどうかしました?」

弘子が意味あり気にささやく。

 

「居るのよ。私が働くショッピングセンターに、鈴木美智子の名札を付けた女性が・・・」

「えっ、嘘でしょう! そんな事まじ有り得ない!」

 瞬間、孝之の背筋が凍りついた。これは呪いか怨念か・・・・

 

 “待てよ。同姓同名なんか何処にでもある”。きっと彼女の思い違いだ。だいいち見間違いって事も十分考えられる。そうだ! きっと彼女の見間違いだ。・・・でもどうしよう、もし本当ならあの写真の呪いだよ。

 

 そうか、再会を果たせなかった塚本多恵が引き寄せた呪いだ! おっと待てよ、あの写真は今も事務所の机の中に置いてある。わっ、わっ、まずいぞ! 早く処分しなければ・・・あっ、そうか他人の物は勝手に処分できない。ならば師匠にお祓いしてもらえばいいか。そうだ! その手が有ったか。よし! 急いで帰らなければ、とアクセルペダルを踏み込んだ。

 

「ちょっと! 大丈夫ですか!」 と塚本弘子が叫ぶ。

「えっ、何が・・・」

「さっきから、凄い汗かいていますよ、それに・・・スピード出しすぎですよ!」

 言われて孝之は我に返った。スピードメーターは優に80キロを超えていた。

「おっと、これは失礼しました。そういえば先ほどの鈴木美智子さんの件なのですが、見間違いって事も有りますよね」

「えっ、何で?」

 

 時刻はすでに、午後4時半を回ろうとしていた。塚本弘子は電車で帰るというので、途中のJR鶴舞駅で降ろした。捜索に関してほぼ目途が付いた。というので、後は彼女自身の足で確かめるという事になった。

 

  鈴木美智子の本心
 

 1月8日(水曜日)午後1時00分、正月気分も終わりを告げて、仕事にも一段と気合が入る頃。孝之は探偵事務所に居て、請け負った仕事の日程表を、ホワイトボードに記入していた。

 その時、『コンコン』とドアをたたく音がした。

 

「はーい!どうぞお入りください!」と孝之が答えた。

『ガチャ』とドアが開き、二人の女性が入って来た。厚手のパンツに水色コートの弘子と、もう一人はベージュのコートを着た、同年代と思われる女性だ。

 

「あっ、貴方は塚本弘子さん。お連れの方は・・・もしかして鈴木美智子さんですか?」

 弘子は深々と頭を下げた。その後連れの女性が・・・

「お初にお目にかかります。鈴木美智子と申します。その節は妹が大変お世話になりました。おかげさまで40年ぶりに妹と再会出来ました」とお辞儀をした。

 

 孝之は自分の知らないところで、事態が急展開した事に驚きを隠せない。すぐに弘子に視線を向けると・・・・

「孝之さんと別れた後、私はメモに書いてあった住所を訪ねました。姉とは今まで時々顔は見かけていたのに、お話しをしたことがなくて、すごく緊張しました・・・でも話してみるととても優しい方で、すごく嬉しかった」

    

 姉の美智子は弘子より少し背が高く、落ち着いた気品のある女性に思えた。

 孝之は弘子の話を聞きながら、まるで自分の身に起きた出来事のように喜んだ。

 

 弘子の話によると、姉の美智子はショッピングセンター2階の婦人服売り場で、客相手の仕事をしていた。一方妹の弘子は地下の食品売り場のレジ係でそれぞれ社員として働いたらしい。 

「お二人は姉妹であることを、ずっと知らないまま勤務されていた訳ですね」

 孝之がそう言うと弘子は頷く。その後すぐに美智子が・・・・

 

「妹と知らされた時、私は驚くと同時に、思わず涙があふれ出して止まりませんでした。正直、凄く嬉しかった」

 鈴木美智子に関して、弘子は以前から顔は知っていた。まさか自分の姉とは微塵も気付かなかったという。対する美智子は、塚本弘子の名字と名前から、もしかして妹じゃないかと薄々感じていたらしい。

 

「長年私は塚本家には、必要の無い人間なのだと自分に言い聞かせて来ました。それが妹から、母親の本心を知らされた時は、正直驚かされました。長年のわだかまりが跡形もなく消え、恨みの念もすっかり消えて無くなりました。本当は生きている内に母親に会い、声を直接聞きたかった・・・今となっては、私のその思いは母には届かない。せめてお墓参りだけは、近いうちに行くつもりでいます」

 

「そうでしたか、きっとお母様にそのお気持ちは届きますよ。良かったですね、姉妹で助け合って、40年間の隙間を埋めてくださいね」

 残りの人生を生きる楽しみが出来たと、まるで長年寄り添った姉妹のように意気統合した。その後二人は暫くすると、お礼の言葉を言い残し、深々とお辞儀して帰って行った。

 

 二人が帰った後、孝之は窓の外を眺めながらしみじみと呟いた・・・・

「ふーっ、一時はどうなるかと心配した」

 洋子は労いの言葉を孝之に掛けた。

「終わり良ければすべてよし・・・でしょう!」

 

「あっしまった! 写真を返すのを忘れた。わっ、まずいぞ!呪いの写真が・・・」

 孝之は飛び上がり、事務机の引き出しを力任せに開けた。

「えっ呪いの写真って何???」

 

 洋子は孝之の話がまったく理解できずにいた。いつか二人が写真を取に来る事を信じて、孝之は写真を封筒に入れて、その上から何重にも新聞紙で包み、厳重に箱に入れて金庫の一番奥に押し込んだ。

 

「了」

 

 

 

サイコメトラー村上探偵事務所

          (入信?? の経緯・・・)

 

寒さが残る鶴舞公園

 3月下旬、市街地に佇む公園の広場には、桜の開花を待ちわびる人の姿が有った。敷地内のテニスコートでは、十数名程の男女が可憐なプレーに勤しむ。市民の憩いの場として、古くから人々に親しまれてきた。ここは昭和区の西に位置する鶴舞公園、名古屋市内屈指の桜の名所だ。

 

 その日孝之(23)は、売店(茶屋)とテニスコートの間の通路から、辺りを見渡しながら公園に入った。ひっそりとした林の木漏れ日を抜けると、すぐにベンチでくつろぐスーツ姿の男性を見つけた。

「失礼します。貴方様は先ほど電話を頂いた、野々村康弘さんでいらっしゃいますか?」

 

 離れた場所から声を掛けながら近づく。文書らしきものを手にしながら彼は頷く。男性のスーツの襟には向日葵の形を模った金色のバッチが光る。

「貴方は、村上孝之さんですね。お忙しいところお呼び出しして申し訳ありません」

 

 すぐに懐から名刺を取り出して、手渡してくれるも、彼の名刺には野々村弁護士法律事務所とある。孝之は返事に窮する。

「弁護士の先生でしたか」……と遅れて孝之もすぐに名刺を差し出した。

 

  遺産相続の話

 

 3月29日午前10時、春だというのにその日は、ひんやりとした冷たい空気が漂っていた。遠くの方には数人の人だかりが見えた。

 

「早速ですが、少しご相談したい事が有りまして……」

 野々村氏は、年恰好が35歳~40歳位に見える。程よく落ち着いていて気品さえも感じられた。孝之は大きく深呼吸をして辺りを見回した。都会のオアシスともいえるこの公園は、面積が24haと広大で公園内には名古屋市公会堂がある。

 

 様々な樹木が植えられており、ここが名古屋市内であることを忘れてしまう程に静かで安らぎが感じられた。園内には池もあり、野鳥も生息していた。ご多分に漏れず、ここも凄い数の鳩がいる。

 

「それで、ご相談というのは……」孝之は、野々村氏の口からどんな言葉が飛び出すのか、興味津々だった。彼は肩に掛けたショルダーバックから、メモ用紙を取り出した。

「実はあの病院に、資産家の金城治夫さんという方が入院されていまして……」 

指さす視線の先には、名古屋大学医学部付属病院が見える。

「あの病院に……ですか?」

 

 野々村氏(弁護士)の話によれば、その金城治夫氏(72歳)という人物には子供は無く、妻にも2年前に先立たれ、彼自身も肺がんを患い余命幾ばくもないという。俗に言う処のよくあるケースである。

 

「彼の身に万が一の事が有れば、預金と不動産の時価総額合わせて、二十数億円が宙に浮きます。そうなれば、最も金城氏に近い近親者は、腹違いの弟妹という事になります」

「そうでしたか。それで、私に何かお手伝い出来ることが有るのですか?」

「ええ勿論です。むしろこちらから出向いてお願いするべきなのですが、何分忙しくて」

 

 野々村弁護士によれば、自身は金城氏の顧問弁護士であると同時に、公正証書を介して契約を締結した任意代理人だという。

 

「じつは2年前に亡くなった金城氏の妻、久子様(享年65歳)には、資産のすべてを移譲する手続きに取り組んでいましたが、何の前触れもないまま、突然久子様が急死された事で、全て振り出しに戻りました。そこで腹違いの弟妹である杉下博美(62歳)と薮崎真一(60歳)の二人が、その事をきっかけに、にわかに金城氏に急接近し始めたのです」

 

「なるほど二人にとっては、願ってもない事態と言えますね」

「ええ、ですが……歳の離れた腹違いの弟妹と金城氏には、今までにほとんど交流は無く、資産を譲り渡すつもりは無い事を、彼は繰り返し言っています」

 

「でもそうなりますと、金城氏亡き後は、資産の行方はどうなりますか?」

 野々村弁護士によれば、被相続人に直系の親族、(配偶者・両親・子・祖父母・孫等)がいない場合は、財産の全てが2親等である兄妹等に権利が移るという。

「金城氏は以前から、あの二人には警戒はしていた。でもここへ来て急に接近してきたのです。当然の権利だと彼らは考えているらしい」

 

 勿論の事、一親等の血筋の者が誰もいない場合にだけ、相続人として認められるケースで、2親等の兄弟姉妹等には遺留分が無い。裁判で争う事になれば、弱い立場になる。

 

「金城氏には、遺言書は無いのですか?」

「残念ながら有りませんね。だからこそあなたにご連絡させていただいたのです。じつは彼には十数年前に生き別れた、愛人との間に生まれた男子がいます。金城氏はその男子に遺産を相続させたいと考えています。」

 

「なるほどそうでしたか。それで金城氏は、その男子を認知しているのですか?」

 野々村氏は顔を横に振った。

「その事について、金城氏は今に至ってとても後悔しています。男子がまだ幼いころに、とても可愛がられていたそうです。成人するまでは交流していたようですが、でも愛人が他の資産家の男性とご結婚されたことにより、その男子とも次第に足が遠のき、今日に至っています」

 

 通常遺産相続については、戸籍謄本を家庭裁判所に提出して親子関係が証明されれば、非嫡出子であっても相続権が発生する。(認知届が出されている事が条件)その場合2親等の兄妹等は権利が消滅する。

 

「その男子が今どうしているのか、所在がまったく分からなくて・・・」

「ではその男の子を探せとおっしゃるのですね」

「ええ、一刻も早く探し出して、役所に認知届を出さなければいけないのです」

「それだったら金城氏が、ご自身で区役所に行き、認知届を出せば済む事ではないですか?」

「そうは行きません。男子が成人している場合は、本人の承諾書が必要です。だから私としては、一刻も早く元愛人のご子息を見つけたいのです」

 

 野々村氏によれば、元愛人の嫁ぎ先を訪ね、彼女から詳しい話を聞き出そうとしたが、男子とは音信不通で、詳細は分からないと言われた。住所だけは聞き出すことが出来たものの、何時訪ねても留守で、荷物は有るのに人の気配がしなかったという。

「つまり、消息が掴めないという事ですね」

野々村氏は頷いた。

 

「時間的に余裕が無いので、こうして貴方様にご連絡をさせて頂きました。是非ともご協力をお願いします」

「分かりました。私なんかで宜しければお力添えします」 と言ってはみたが、孝之には探し出せる確証は無かった。第一、いつ帰って来るか分からない人物を探すというのは、どれほどの時間を要するのか、想像も付かなかった。

 

 村上孝之の生い立ち

 

 村上孝之には、こんなエピソードが有る。

彼が小学生となる直前の日の事、入居する介護施設から、祖母が行方不明となったと連絡が入った。休日だったので息子夫婦は、幼い孝之を連れて直ぐに施設に駆け付けた。だが、職員が目を離したすきに、その事故は起きたと言うのだ。何処に姿消したのか、その時は心当たりが全くなかった。

 

 まだ寒い時期だったので、施設のリビングには祖母がいつも愛用していた、ピンクのマフラーがソファーにそっと置かれて有った。

「あっ、おばあちゃんのマフラーが有る」とまだ幼さが残る孝之が駆け寄ってそのマフラーを掴んだ。その時は母有子が「触っちゃだめよ」と窘めたのだが・・・・と次の瞬間

「おばあちゃんは、じいちゃんのお墓のそばにいるよ」と孝之が言う。

 

 その時手掛かりの全くなかった孝之の両親は、藁にもすがる思いで孝之が言うところの

村上家の墓に、とりあえず行く事にした。するとそこに呆然と立ち尽くす祖母が居た。

施設関係者の話によると祖母には軽い認知症が会ったと言う。

 

  認知が不可欠

 

 鶴舞公園前の道路は、時折乗り合いバスが公園前で止まる。タクシー等は頻繁に此処にやって来るが、車の通りとしてはそれ程多い訳ではない。二人の男性は素早く道路を横断して、名大病院の南側進入口から病院敷地内に入る。すぐ右手に郵便局(病院内)出入り口が有る。ここから院内に入れば、レストラン、喫茶店、自販機コーナーを経て、病棟エレベーターに行き付く。

 

 表玄関から入るのは遠回りとなりお勧めではない。なお西側出入り口から、病院敷地内に侵入する場合はこの限りではない。売店等は別棟に大型コンビニエンスストアが有る。こちらは病院内売店という事から、お弁当の多さは目を見張るものが有る。コーナー一角がお弁当で埋まる。種類もそうだが、段積みされるなど、普通のコンビニとは明らかに様相が違う。

 

 野々村弁護士は、孝之を金城氏に面会させるべく病棟に案内した。病棟エレベーターは6台が稼働していた。エレベーター前には先客が大勢いてごった返していた。少しすると左側中央の扉横の白いランプが点滅する。扉が開き乗降客が下りるのを待って乗り込む。やがてエレベーターは西病棟11階に到着。

 

○○号室の個室の扉を開けると金城氏はいた。傍らには、有限会社ホスピタルサービス・木村という名札を付けた女性が身の回りの世話をしている。その時彼は深い眠りに着いていた。

 野々村弁護士は、介護の女性に労いの言葉を掛けると、窓際のカーテンを半分ほど開けた。眼下には、先ほど二人がいた公園が、手に取る様に一望できた。

「担当医の話では余命は半年ほどです。一刻も早く男子を見つけ、認知届を区役所に提出しなくてはいけない。それが私の使命なのです」

 

 野々村弁護士は、振り返り孝之の目を見つめた。

「村上さん! あなたのお噂は良く存じ上げています。力を貸して頂けますね」

 孝之は事の重大さを感じ取り、躊躇しながらも……

「分かりました。出来るだけの事はしてみます」 と言った。

 

 野々村弁護士は、メモ用紙を孝之に手渡した。

「ここに金城氏の自宅住所と、例の男の子の住所と名前が書いてあります。後の事はお任せします。何かあったら名刺の連絡先に電話をください」 と言い残して二人はそこで別れた。

 

  事務所創設のいきさつ

 

 今から1年半程前、孝之は大学を卒業すると、自分に合う就職先が見つからなくて、悶々とした日々を送っていた。そこで、子供のころ母親と良く一所に行った、守山区小幡にある人生相談所を1人訪ねた。相談所と言っても、普通の民家に、ある山岳信仰のご本尊を祭壇に祭っただけの質素なものだった。ここに孝之の師匠ともいえる大迫しのぶが居る。

 

彼女は父親から受け継いだご本尊を、心の拠り所として家督を受け継いだ。相談者を手翳しと呼ばれる手法で、個人が発するオーラを読み解き、迷える人々にアドバイスをしていた。

 その日もご多分に漏れず、数人の相談者が順番待ちをしていた。1時間ほど待つと孝之の番となった。

 

 祭壇が祭られた部屋に入り、大迫しのぶの前に正座する。ほどなくして・・・・

「あなたは他人の持ち物から、残留思念を感じ取る能力が有るのだから、それを生かしたらどうなの」と大迫しのぶが言う。

 その事をきっかけに、彼は名古屋市内に叔母から借りた、小さな事務所を立ち上げた。 

 

 3月30日(月)孝之は午前中は事務所に居て、野々村弁護士から手渡された、住所の書いてあるメモ書きに目を通した。

「遠山直之(32歳)住所が名古屋市守山区青山台・・・とあるだけか・・・・」

 孝之は、パソコンのグーグルマップで検索を掛けた。すぐにイーオン守山店の文字が目に留まる。 

「あら私、知っているわよ。ジャスコ守山店でしょう。2階建てのデパートで、屋上には駐車場が有るわ。表の駐車場から見て、右手に宝くじ売り場があり、左手にATMコーナーがあってね……いつも行っていたから分るの」

 雑誌に目を通していた洋子が懐かしむように言った。

 

野田洋子との馴れ初め

 

 洋子(23)と孝之(23)は大学時代の同級生である。彼女は大学卒業後、ある証券会社に就職したのだが、上司とうまが合わないという理由で退社していたところを、孝之に誘われ、探偵事務所のお手伝いをする様になった。

 

「それでね、私の従妹が守山のジャスコのすぐ傍に棲んでいたの、デパート裏手の別棟にペットショップがあり、そこで以前チワワを買ったことがあるわよ」

 笹ヶ根から志段味近郊までは、近年道路整備が急速に進み、それに伴い新たに進出する店舗が増えて、目まぐるしく景観が変わる。

 

「メモに書いてある住所へ、遠山直之さんを訪ねて、今からでも行ってみようか」

「うん、行こう行こう」

 子供のように洋子がはしゃぐ。やがて時計の針は午後1時を回ろうとしていた。事務所の扉に書置きをして、すぐさま車で移動する。金山から鶴舞までは中央線沿いの道路を走る。鶴舞駅交差点(変則5差路)を左折して国道19号線をひた走り、大曽根交差点(変則5差路)を斜め右に曲がり300メートルで北区矢田町交差点に到達。そこを斜め左に曲がれば、そこからは通称瀬戸街道。2キロほど走り、名鉄瀬戸線小幡駅のスクランブル交差点を左折すれば、志段味までは一本道となる。

 

 途中龍泉寺の湯を過ぎると、道は緩やかな下り坂となり、左手に春日井市が見える。そこから少し行くとジャスコ守山店が右に見えた。

「あーっ、懐かしいな、従妹とよく来ていた。1階が食料品売り場でしょう。それから履物店とバック売場にフードコーナー、自転車売り場に衣料品と家電店………。2階がイーオンの衣料品売り場に、スポーツ用品店でしょう。ベビー用品売り場に書店が有るの。ねえ後で寄ってみない・・・」

「僕は初めて来たから、分からないけど、じゃあ後で寄ってみようか」

 

遠山直之氏の所在

 

 洋子は無邪気にはしゃいだ。この辺りは一面が住宅街で、車の交通量は比較的多いほうだ。その半数ほどが、周辺の路地から出てきては、帰ってゆく車で充たす。やがて前方に東名高速の高架橋が見えた。

 

「高架橋の次の信号を右に曲がれば、少し行くと青山台住宅が有るはずよ」 と洋子が言う。『うん』と孝之は頷く。

「一緒に来てよかった……」

「えっ何が?」 と洋子は首を傾げる。

「洋子ちゃんと一緒で、よかったって言ったの」

「あっそう。私でも役に立つ事があるんだ」

「そりゃあるよ!」

 

 やがて目的地の青山台住宅地が見えた。築35年以上が経過した建物は、随所に傷みが見られた。奥から2棟目の1階に遠山直之の住居を見つけた。ところが呼び鈴を押すも返事がない。あらかじめ想定はしていたものの、実際問題そうなると、落胆の色が隠せない。

「やっぱり留守か。どうしよう、無駄足になっちゃうよ」

「管理人さんに聞いてみようか」 と洋子が管理事務所を指さした。通路を隔てた向こうに、平屋造りの集会所を兼ねた管理棟が見える。裏側には3台ほどの車が止められている。

 

 孝之は正面玄関に回り扉を開けて、中にいた男性に声を掛けた。

「すみませんが、管理人さんはお見えですか?」

 小柄な中年男性は、すぐに振り向いた。

「管理人なら私ですが、なにかご用ですか?」

 

 滲み出るような笑顔の奥に、温かさと優しさが感じられた。孝之は名刺を差し出した。

「親族の方からの依頼で、2棟○○号室の遠山直之さんにお会いしたくて、此処に来たのですがあいにくお留守の様なので、少しお話をお伺いしたくて・・・」

「ああ、遠山直之さんですね。詳しい事は分かりませんが、ボランティアとかで、ほとんど家にはいらっしゃらないですよ」

「えっ、ボランティアですか??」

 

 “何のために?”ふと疑問が脳裏を掠めた。

「遠山直之さんは、以前はお母様と二人で住んでいらしたけどね、もう10年位になりますかねえ・・・お母様はとても美しい方でして、男が放っておかないのでしょうね。子持ちの資産家の男性と知り合うと、すぐに結婚して家を出て行かれました」

「えっ、じゃあ遠山直行さんは、ずっと一人暮らしをされているのですか?」

「ええ、母親が家を出て行ったことが、よほどショックだったのでしょうね、ここ最近になってから、それまで勤めていた会社を辞めてしまって、どこかの宗教団体に入信したとか聞きましたよ」

「しゅ……宗教団体?……ですか?」

「ええっ、詳しい事は知りませんが、行ったきりで帰ってこないのです」

「何のために? 住み込みですか?」

「ええ、だと思いますよ。2~3か月に1度位しかこちらに来ないですからねえ」

 

 孝之は思わず顎に手を添えた。調査は困難を極めることが、容易に想像できた。「うーん……」とうなり声をあげて洋子を見つめた。洋子は困った表情を浮かべた。管理人からは、それ以上の話は聞けないと判断した。そこで洋子は……

「失礼ですが、家賃のほうはどうなっているのですか?」

「ああ、その件は問題ないですよ」

 

 管理人は奥の部屋に入ると、2人を手招きした。

「ちょっと待ってくださいね」

 机の上のパソコンの電源を入れて、何かを閲覧しているかに見えた。

「ほら、お母様の口座から、ちゃんと入金されていますよ。だから心配はしていません。ただ長期間留守になっていると、やはり防犯上いろいろと問題がありますからね、こちらとしても注意して監視する必要が有ります。訪ねてこられる方もいらっしゃるしね」

 

 管理人は、2人を改めて見つめた。

「私から説明出来ることは、これ位しかありませんので」と言った。

 すぐさま洋子は孝之の目をじっと見つめた。そして……

「孝ちゃん、あれを調べたらどうかしら?」と手をかざして見せた。

 

「あっ、そうだ大切なことを忘れていた」と振り向いた。すでに管理人はやり残しの仕事に取り掛かっていた。

「あのぉ……」

「はい、まだ何か?」

「彼の部屋の中を見せていただきたいのですが……」

 管理人はピクリと肩を揺らした。

「駄目です。それは出来ません!」

 

 管理人の男は少し躊躇したが・・・・   

「そういえば貴方は、先ほど親族の方からの依頼で来た。とおっしゃいましたね」

「ええ、それが何か?」

「もしかして、お母様から依頼されたのですか?」

 孝之は顔を横に振った。

「そうでしたか。それでしたらお見せする訳にはいきません。お帰りください」

 管理人はキッパリと言い放った。

 

「待ってくださいよ。これはお父様からの依頼ですよ」

 管理人の男は足を止めた。

「ほう、直之さんにはお父様がいらっしゃるのですか? それは初耳ですね」

 孝之は、少しためらったが……

「とは言っても、お父様の籍に入っている訳でもないので……」

「それでも血縁関係が明白なら、何も問題ありませんよ、それを早く言ってくださいよ。

お父様はご存命でしたか」

「ええ、でも……」

 

 孝之は小首をかしげて見せた。すぐに管理人は状況を感じ取った。

「ああっ、そうでしたか、どうやら体調が思わしくないようですね。宜しければお話をお聞かせ戴けませんか」

「ええ、じつは遠山直之さんのお父様は金城治夫様と言います。この方には以前本妻がいたのですが、2年前にご病気で亡くされ、しかも2人の間には子供が無く、彼自身も肺がんを患っていて、担当の医師から余命半年程と宣告されています」

 

 管理人の男性は、聞き耳をたてていたが、何となく話の内容が理解できた。

「つまり直之さんのお母様は、その金城氏という方のお妾(めかけ)さんでいらした訳ですね。それで直之さんに面倒をみろと・・・・」

「平たく言えばそういう事になります。これは私の口から言うのは何なのですが、金城氏にはそれ相応の資産があります。ですから遠山直之さんにしてみたら、悪くない話だと思いますよ」

「ほう、資産ですか、降って湧いた様な話ですね……」

 管理人の男はその場に有った椅子に、ドッカリと座り込んだ。

 

 残されていたゲーム機

 

「それはそうと、お部屋のほうはお見せ願えますか?」

「おっと、肝心なことを忘れていた。では早速ご案内しましょう」

 

 すぐに2人を案内する。管理棟からほど近い、2棟1階の真ん中辺りに直之氏の部屋があった。管理人が『ガチャリ』と鍵を開ける。玄関は畳半畳ほどの広さで、履物が隅っこに置いてある。

「どうぞお入り下さい。荷物にはくれぐれも触れないようにお願いしますね」

 

 管理人が2人を率いて部屋に入る。2つある部屋の片方は室内が空っぽで、表側の部屋には荷物が整然と置かれ、独身者とは感じられない程に片付けられている。

 その時洋子が、座卓にポツンと置かれた昔懐かしいゲーム機を見つけた。

「あ、これゲームボーイアドバンスだわね、まだ持っている人がいるのだ」

 

 テーブルの上に置かれたゲーム機は真新しく思えて、それが大切に扱われていた様が見て取れた。

「おお、これはいけるんじゃない、洋子ちゃん」

「うん、でもこれ、触っちゃいけないんでしょ……」

 2人は管理人の顔を見つめた。

「触っていいですよ。どうぞ」と管理人がいった。

 

 孝之は辺りを見回すも、テレビや壁掛け時計など、本人が常に身に着けていそうな物が他に見当たらない。

「では失礼して……」

 孝之はテーブルの正面に座り、ゲーム機を両掌で覆い静かにリーディングを始めた。他二人も孝之の両サイドに座る。静かに時が進む。窓から暖かな日差しが注いだ。すぐ横の高速道路から、走る車の音が僅かだが聞えて来る。数分間静寂の時が流れる。

 孝之がゆっくりと手を下す。

 

「分かりました。このゲーム機は彼が幼い頃に、お父様から買ってもらった物に間違いありません」

「で、何か分かった事はあるの? 彼は今何処にいるのよ?」と洋子が言った。

「詳しいことは分からないけど、彼は悲しみを訴えています。お父様の事もお母様の事も、一緒にいたいと考えています」

「うん、その気持ちは良くわかります」と管理人は頷いた。しかし、洋子が知りたいのは遠山直之氏の行方だ。

 

「彼の居場所とかは分からないの?」

「うん、それが複数人の影らしきものが脳裏に浮かぶけど、それが何なのか、それ以上は分からない」

「それはつまり、直之さんの動向に、複数の人が絡んでいるってことかなあ」と洋子が言う。

「多分そうだと思う・・・・そうだこのゲーム機お借りできませんか。僕の師匠に見てもらえば、きっと何か分かるはずだから、お願いします。2~3日でいいので・・・」

「うん、そうですね・・・・まあいいでしょう。特別ですよ。持って行ってください」

 

 管理人はキッパリと言い放った。孝之と洋子の二人は深々と頭を下げて、お礼の言葉を伝え、急ぎ足でその場を後にした。 

 

 直之を取り巻く環境

 

 3月31日午後、孝之は事務所を洋子に託して一人大迫しのぶを訪ねた。春とは言え、山々はまだ枯れ木が多くて、桜のつぼみが僅かに見られる状況だ。道すがら、様々な思いが脳裏をかすめる。自分を信じて着いて来てくれる洋子がいる事に、責任の重さを改めて感じた。

 

 大迫しのぶ相談所に来ると、面談者と思しき車が2台有るだけだった。

「やった、ジャストタイミング」

 車を駐車場出入り口のそばに止めて、中に入る。途中面談を終えた相談者が、満足そうに帰って行く姿が有った。本堂までやって来て、入口の戸を開けると、面談室から出てきた師匠と偶然鉢合わせた。

「いらっしゃい孝ちゃん久しぶりね。元気だった?」

 大迫忍が嬉しそうに答える。孝之はお辞儀をした。

「実は相談したいことが有りまして……」

「そうね、多分そうだと思った。でなきゃ来ないものね」

 

 孝之は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「こんな時しか来なくて、申し訳ありません」

「あら、そんな事はいいのよ。早く座りなさい」

 最後の相談者が、待合室に置いてある手荷物を手にして、ゆっくりと出て行くのが見える。

 

「それで、今日はどんな相談?」

 孝之は、少し躊躇した。申し訳ない気持ちで一杯だ。

「いつもすいません」

「あら、気にかけなくていいのよ。貴方は私の弟子なのだから。それより早く相談内容を話してちょうだい」

「はい、実はこれなのですが……」

 孝之はハンカチで包んだゲーム機を取り出した。

「このゲーム機の持ち主の足取りが分からなくて」

「分かったわ、では机の真ん中に置いてね」

 

 大迫しのぶは合掌をして、暫く目を閉じた。やがて右掌をゲーム機の上に差し出して、入念に左から右へと、翳した手を移動する。これを数回繰り返した。この間、時間にして十数分、長い沈黙の後、やがて静かにその手を下した。

「持ち主の方は男性で、32~3歳かしら、親の縁が薄いような気がする。恋人もしくは憧れの女性かしら、若い女性の姿が浮かぶわ」

 

「もしかして、その女性と一緒にいるのですか?」と孝之が言った。大迫忍はキッパリと否定した。

「そうじゃないわ、他にも大勢の人の姿が見える。・・・・京都かしらここ」

大迫忍は眼を閉じたまま、しきりに何かを思い描いていた。

「みんな白い服を着ているのよ。宗教団体かしら高齢の男女がいつも傍にいるのね、だから身動き取れないのよ、彼・・・・・」

 

 孝之は確信した。管理人の男が話した内容とも一致する。(だとしたら遠山直之は京都の宗教団体にいるという事か?)

「その宗教団体の名称とかは、分らないのですか?」

「わたつみの園(わたつみのその)・・・・そんな名称かしら、看板が見える」

 

 大迫しのぶはグーグルマップを開いて説明した。そこは京都市左京区北白川山……。比叡山の南側に位置する。

「さすが師匠。そんな所まで分かるなんて……でも京都って??」

 大迫忍は微笑んで見せた。

「どんな事情か知らないけど……でどうするの?これから」

 

 孝之は悩んだ様子だ。

「やみくもに訪ねても、2度手間になるといけないし、とりあえず事務所に帰ってから電話番号を調べて連絡してみます」

「そうね、そのほうがいいわね。いかなくて済むかもしれないし」

 孝之は師匠である大迫忍に礼を言うと、急ぎ足で事務所に引き返した。

 

  ある宗教団体?の全容

 

 4月1日午前10時、孝之はネットで“わたつみの園”について調べていた。画像が多く使われたホームページは、それが神道系の宗教団体を思わせるもので、いわゆる道徳を重んじる教えと捉えることが出来る。いい行いを施せば徳となって帰るのを主体とした教えである。孝之がネット上に有った電話番号に電話をしてみると、ボランティア活動でみんな出払っている為、取次が出来ないと伝えられた。

 

「孝ちゃん。私どうしても納得できない事があるの」

 隣でパソコンの表示を見ていた洋子が頭を傾げている。

「直之氏の行動だろう」

「うん……」

 青山台住宅の、管理人の話した母親の急な結婚が、直之氏の行動に何らかの影響を与えたのではないか、と孝之は考えた。

 

「つまり……彼が何故急に宗教の道に進んだのか? なんで京都なのかって事だよね」

「彼はこの宗教に、元々入っていたのかしら?」

「何とも言えないけど、母親の突然の結婚が少なからず影響していると思うよ」

 

 孝之は事務所の窓から、遠くの景色に目をやった。街が心なしか霞んで見えた。この処の天気予報でも、季節風に運ばれて飛んでくる黄砂と、花粉情報が賑わいを見せていた。ふと孝之は、有る事を思い出した。

 

「そういえば師匠が気になる事を言っていた。今思い出したよ」

「えっ、なになに?」

「わたつみの園のボランティアで、直之氏が高齢の男女に監視されているみたいな・・・・」

「なによ、それ?」

「確かに師匠がそう言ったんだよ」

「あっそうなの??」

 

 そこで孝之はある大胆な仮説を考えた。

「つまり、高齢の男女を、杉下博美と薮崎真一の二人と考えたらどうだろうか」

「なるほどね、つまり直之さんと金城氏を会わせないようにしている訳ね」

「直之さんの認知届が出されていないことを、あの二人が知っていたとしたら、当然妨害するはずだからね、承諾書を直之さんに書かせないためにも・・・・」

 

 非嫡出子が成人している場合、認知届に本人の承諾書が必要であることから、叔父と叔母が妨害行為に及ぶことは容易に想像できた。

「それで金城氏の全資産が手に入るなら、彼らにとっては容易いことね」

「うん・・・・」

 

 金城氏の容態を考えると、そんなにのんびりと構えている訳にはいかない。事態は急を要する。孝之は昼頃に、再びわたつみの園に電話をするのだが、本人に連絡が取れないという理由で、取り次いで貰えなかった。

「どうしよう、洋子ちゃん」

「こうしていても、事態は進展しないよ」

 二人が手を拱いていると、野々村康弘氏から電話が入った。

 

「はい、村上探偵事務所・・・あっ野々村さんですね、はい・・・えっ!そうなのですか! 分かりました。急ぎます。はい、はいどうも」

「えっ、何なの今の電話」

「金城氏が肺炎を併発して、危険な状態らしい! 」

「嘘でしょう! どうするのよ? 」

「承諾書を区役所で貰って、今から京都へ行く」

「嘘でしょう、そんな。……ちょっと待って、私も一緒に行くから」

 

 

 着の身着のまま二人は事務所を飛び出した。事務所からほど近い、金山駅に向かい名古屋駅を目指した。そこから10時55分発大阪行きの新幹線(のぞみ)で京都に向かった。11時半京都着。地下鉄烏丸線(ちかてつからすません)に乗り換えて、今出川駅に到着したのが11時50分。そこから二人は左京区北白川方面にタクシーで向かう。

 

 わたつみの園に着いたのが12時半。ここは比叡山の南西に位置する、山間で広い敷地に真新しい3階建ての建物がある。門のところから中に入るとちょっとした庭園があり、正面に玄関がある。ガラス張りの門戸の自動ドアが開くと、受付の窓口が左にあった。

「こんにちは!」と孝之が声を掛けるが応答はない。

「誰も居ないの?? 」

「うん、誰も居ないみたいだね」

 

 二人は辺りを見渡すが、人影が全くない。

「何で人が居ないのよ! おかしいよ! 」

(そういえばここの敷地に入ってから、まだ誰にも会っていない。何かがおかしい? こんなに大きな建物なのに、誰も居ないなんて絶対におかしい。何なのだ、ここは??)

 孝之は再三辺りを見回すも、人の気配が全くしない。

「何なの、ここ? 気味悪いよ……孝ちゃん気を付けて」

 

 その時、ふとした事から洋子が机の上の呼び出しボタンを見つけた。

「ちょっと待って! 呼び出しボタンが有るよ。御用がある方はボタンでお知らせください。だって」

「なんだ、そうか、早く言ってよ……そうなのだ」

 

 孝之が押しボタンを押すと、すぐに奥から若い女性が飛び出してきた。

「はーい、いらっしゃいませ! ごめんなさいね、席を空けていまして」

 孝之はすぐに深々とお辞儀をした。

「こんにちは。遠山直之さんにお会いしたくて、名古屋から来たのですが……」

 

 クリーム色の綿パンと、白のポロシャツにカーディガンを羽織った女性は、モップを片手に早足でやって来た。

「遠くからお越し頂き、有難うございます。せっかくなのですが、直之さんは3時にならなければ帰って来ませんので、今の時間帯はボランティア活動中だから」

「あっ、そうでしたか、分かりました」と孝之は言って、洋子の目を見つめた。

「3時って、まだ2時間あるわね、どうしよう? 」

 

 二人が困った表情を浮かべると……

「こちらでお待ち頂いても構いませんよ」と応接室に案内された。

 8畳ほどの応接室は、壁時計以外は何もなく、真ん中に対面式のソファーが置かれている。二人はソファーに座っては見るものの、落ち着かなくて、応接室から外に出た。ガラス張りのロビーはすこぶる視界が良くて、京都の町が一望出来た。二人が関心をしていると、背後から男性の声がする。

 

「ようこそ、お越しくださいまして有難うございます」

 振り向くと黒っぽいスーツ姿の男性が深々と頭を下げている。

「私は、理事長の桂川と申します。遠山直之さんのご親族の方ですね。よろしければお話をお伺いしましょうか」とロビーの窓際に置かれたテーブルに、座るように促された。

 

テーブルは全部で3つ。その中の真ん中のテーブルに着いた。

「ごめんなさいね。今は遠山直之さんを含めて、職員全員がボランティア活動で出払っていて、ここには誰も居なくて、3時になれば皆帰ってきますので、少々お待ち頂けますか」

「そうですか。ではまだ1時間半ほどかかりますね」

 孝之が窓の外を眺めて、うつろな表情を浮かべると・・・・

「何か急用でもございましたでしょうか? 何なら直に帰るように連絡しますが」

 すぐに面会出来るのなら、それに越した事はない。だが仕事の途中で帰らせる事には、孝之は抵抗が有った。

 

「実は、直之さんのお父様が入院中で、病状が思わしくなくて・・・」

「それは大変ですね。直に帰るよう電話します! 」

 桂川と名乗る男性の応対に、孝之は安堵したその時、携帯の着信音がした。

「ちょっと待ってください。僕の携帯が鳴っています」

 

 孝之は携帯のタッチボタンを押して建物の外に飛び出した。短い会話の後、直ぐに帰ってきた。洋子が心配そうに声を掛けた。

「電話、野々村さんからだよね」

「うん、金城氏の体調は持ち直したようです」

「それは良かったですね。じゃあ直之さんの件は保留という事で、それでは時間まで、この施設についてご説明しましょう」

 

 桂川氏は一旦席を外し、すぐにパンフレットを手にして帰ってきた。

「この施設はNPO法人で届け出されており、主な活動はボランティアで、各障害者施設や老人ホーム等に、職員を派遣しています。他にも被災地への義援金の為、街頭での募金活動などもする事があります。ここを運営しているのは大手介護用品製造会社でして、他にも協力会社二十数社からの助成金等で成り立っているのです。職員は全部で32名います」

 

 孝之は説明を聞きながら、腑に落ちない点を問うことにした。

「間違っていたらごめんなさいね。ここは宗教団体ではないのですか? 」

「そうですね、とくに宗教団体という訳でもないのですが、宗教は人材育成として取り入れております。日本の伝統文化としての神道は、日本人の精神そのものと考えています。人との関わりや、思いやりの精神無くして介護はあり得ませんからね」

「なるほど考え方が斬新ですね」

「うん、ところであなた達は名古屋からお越しですか? 」

「そうです」

「名古屋からは4名ほどこの施設に来ています。遠山直之さんと薮崎真一さん。それと杉下博美さんもそうです。それから私も実は名古屋の出身なのです」

 言われて孝之は“ハッ”とした。

                                                                                                               

「そうでしたか。ところで薮崎真一さんと杉下博美さんもここの職員なのですか? 」

「ええ、私たちの大切な仲間です。お知り合いですかお二人と? 」

「いえ、知り合いという訳ではないのですが……」

 

 薮崎真一と杉下博美の件は、あらかじめ想定していたものの、実際に聞かされると戸惑いを隠せない。孝之が困った表情を浮かべると、視線を合わすようにして洋子が首を傾げて見せた。桂川氏は二人のその仕草に戸惑いを感じながらも、更にその先へと話を続けた。

 

「三人とも、とてもお優しい方たちですよ。特に杉下博美さんはボランティア活動に深い理解を示されて、派遣先からの評価もとても高いです」

「本当ですか、その話……」

「ええそうですよ。とても物腰が柔らかくて尊敬できます」

「そうなのだ……」

 

 瞬間洋子は、自分たちの考えが過ちではないかと、ふと考えた。

「ねえ孝ちゃん。私たち何か勘違いしていたかも」

 孝之は洋子のその言葉に心が揺らぐ。

(確かに・・・自分たちは今まで人伝に聞いた話を鵜呑みにしていた・・・だからと言って野々村弁護士が嘘を言っているとも思えない。ここはじっくり確かめる必要が有る・・・)

「ご自分の目で確かめられたらどうですか? もう直ぐ皆帰って来ますから」

「そうですね。分かりました」

 

 その後桂川氏は2人の為に、施設の案内をした。彼の説明によれば、この施設は会社の研修施設を兼ねていて、3階部分は主に会社側が使用し、1階2階がNPO法人という扱いになっているらしい。なお単身者用宿舎が隣接する敷地に用意されている。

施設内を一巡して、ボランティア活動からみんなが帰ってくるのをまった。すでに時刻は午後2時50分を指していた。

 

  入信?の経緯

 

 午後3時10分 白い作業着の集団がゾロゾロと帰ってくる。派遣先によっては、多少帰社の時間が異なるらしい。孝之にとっては、彼ら3人との面識がない事が少し気に掛かる。その時、帰って来た職員はそのまま2階へと階段を上がっていった。

「3時半からは2階に有る拝殿で簡単な神事があり、その後業務報告と反省会で1日が終了します」と桂川氏が説明した。彼はその後、最初に応対してくれた女性を呼んで何かを伝えた。すると・・・

 

「遠山直之さんを呼んでまいりますので、面談室と表示してあるお部屋でお待ち下さい」その女性が二人に伝えた。そこで孝之達2人は面談室と書かれた部屋に入る。4畳半ほど

の部屋には机と椅子4個が並べられていた。孝之にとって直之とは初対面で、話す内容をあれこれと思いあぐねた。

『コンコン』 とその時、ドアをノックする音がする。『ガチャ』とドアが開いた。

「遠山直之さんをお連れしました」

 小柄で痩せぎしで長髪の男性が、ぺこりと頭を下げて立っている。

「ではごゆっくりとどうぞ……」受付の女性はそう告げると、そそくさと立ち去って行った。

 

あわてて孝之は立ち上がって挨拶をした。

「私たちは今日、金城治夫様の代理人の依頼で、直之さんに大切な用件を伝える為に、ここに来ました」

「僕に伝えたい事ですか? 」と直之の表情が強張る。

「申し遅れました。私は探偵事務所を運営している村上孝之と申します。でこちらは助手の野田洋子」

 二人は軽く会釈して、名刺を渡した。 

「直之さんのお父様は、金城治夫様で間違いないですね」

「ええ、それが何か……」

 

 直之は訝(いぶか)るような表情を浮かべたが、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

「実は金城氏は肺がんを患っていて、治療中なのですが、余命半年程と医師から宣告されています」

「えっ、そうなのですか! 」

 遠山直之氏の初対面の印象は、生真面目そうな静かで落ち着いた人物に思えた。孝之にとっては話し易さが感じられた。

 

「金城氏にとっては、直之さんはたった一人の、かけがえのないご子息でして、最近になって、区役所に認知届を出していない事にお気づきになられて、それで手続き上必要な承諾書を、私たちは直之さんに記入していただきたくお持ちしました」

 一瞬、直之が眉を顰める。

「待って下さい。それは遺産相続する事を前提とした話ですか? 」

「平たく言えばそういうことになります」

 

 直之は顔を横に大きく振った。

「私は遺産相続する気はありません。幼い頃、私は父にとても可愛がられていました。その事は感謝しています。父の事は大好きでしたし、尊敬もしています。でも・・・」

 直之はわだかまりの念を、払拭し切れずにいた。

「でもあなたが相続しなければ、金城氏の遺産は薮崎真一氏と杉下博美氏の手に渡りますよ。それでもいいのですか? 」

「それでも構いません。私たちは3人で同盟を結んだのです」

「えっ、同盟……ですか?? 何ですかそれ? 」

 

「ええ、父の財産は、とても“綺麗なお金”とは言えるものではありません。金貸しと不動産売買で儲けたお金であって、言わば恨みのこもったお金なのです。叔父(薮下真一)も叔母(杉下博美)も、その事を心苦しく思っています。誰が相続したとしても、その資産は全額このNPO法人、わたつみの園に寄付する事で合意しています」

「えっ、そんな、もったいないじゃないですか」

 

 洋子は孝之から、金城氏の資産について知らされていたが、それでも彼は・・・

「他人の不幸の上に、個人の幸福なんてあり得ません。叔父も叔母も私も、ここで教わった“神意”(神の御心)を、実践を通して確信し、心の拠り所としています。そういう事なので・・・」

「普通の人なら、一生かかっても手に出来ないお金ですよ」

 孝之は懸命に説得するが、彼の気持ちは揺るがない。

 

「その事は十分承知しています。でも必要とされる所で使われてこそ、お金の価値が生かされます。きっと父も許してくれると思うから・・・」

「では承諾書の記入は出来ないとおっしゃるのですね」

 直之は、右指先を唇に添えて、爪を噛みしめ宙を仰いだ……

「でも父がそれを望んでいるのなら、落胆させる事は私の本意ではないので、承諾書にサインしましょう。それで貴方がたも面目が立つでしょう」

 

 直之は心の奥で、何かしら、気持ちの整理をつけたかに見えた。孝之は持って来た承諾書の用紙をテーブルの上に差し出した。彼はその用紙をじっと見つめていたが、気持ちの区切りがついた様で、ペンを手に持つと一揆に書き上げて朱印も押された。

 

「有難うございます。正直、書いて貰えないかと思いました。でもこれで(任意代理人)野々村弁護士との約束も、果たす事が出来ました」

「そうですか。それは良かったですね」

予想外の展開になったことで、野々村氏への説明責任を孝之は払拭出来ない。なによりも、記載された承諾書が手元に有る事に彼は安堵した。

 

「これは余談になるのですが、もしかして直之さんには、婚約者がおみえですか?」

 突然直之の顔が薄紅色に染まる。

「なんでそれを? 誰から聞いたのですか? 」

「否定なさらないと言う事は、図星という事ですね」

「この事は、まだ誰にも話していないのですが・・・」と直之は前置きをした上で、次の様に話した。

 

「私がこの施設に入所した経緯を少しお話します。実は叔父と叔母から誘われた事に起因します。当時名古屋市守山区にここの施設の出先機関があり、叔父と叔母はそこの職員でした。私は一緒に暮らしていた母親が、ある資産家の男性と結婚して家を出た事で、一人寂しく暮らしていました。その事を憐れんで、叔父と叔母から一緒に働かないかと、誘いがありました」

 

「でも直之さんは、当時、確か地元の企業にお勤めでしたよね」

「ええ、何でその事を、知っているのですか?」

 直之は、何でその事を知っているのか、訝るような表情を浮かべた。

「ああその件については、守山区の青山台住宅で、管理人さんからお聞きしたので・・・」

「なるほど、そうでしたか……わたつみの園については、経費の無駄を省くためと言う理由で、守山区の支所が廃止になり、叔父と叔母は京都本部に転勤になったのです。その後叔父と叔母からある日、わたつみの園で、職員を募集しているから来ないか。と連絡を貰い、それまで勤めていた会社を辞め、京都に行く事を決めたのです。その時地元採用の早川朋美という27歳の女性と、偶然入所時期が重なり仲良くなったのです。」

「そうでしたか……でも将来的には、その女性とご結婚されるのでしょう? 」

「勿論、結婚前提でお付き合いしています」

 

 孝之は感慨深そうに、「うんうん」と頷く。

「ではもう名古屋には帰らないと言う事ですか?」

「そうですね。天職とでも言うべく仕事に巡り合えたので、ここに骨を埋める覚悟でいます。でも父の病状が思わしくないと言う事なので、暫くは青山台の住居は解約せずに、時々帰るつもりでいます」

「直之さんは、とてもお優しい方ですね。今日出会えて私、とても嬉しく思いました」 と静かに洋子がささやいた。

 

「僕も同感、本当にそう思う。ところでわたつみの園とは、ちょっと変わった名称ですね」

「ええ、“わたつみ”と言うのは、古くより伝えられた、海をつかさどる神です」

「海の神、ですか?? 」

「この施設を運営している大手介護用品会社の、初代創設者、高村幸三氏は、生まれは和歌山県の田舎町とお聞きしています。ご存じのように、和歌山県は紀伊半島の先端に位置していて、毎年のように台風の被害をうけます。そこである田舎町では、海の神をお祭りする事で、災難を沈めたのです。この施設を創設した高村氏は、その事にちなんでこの名称を付けたのです」

 

「へーっ、目から鱗、凄く意味深いんですね」

 孝之は、今更ながらに感心して、納得した。

「最後に一つお聞きしてよろしいですか?」

「はいどうぞ」

「要らぬお世話ですが、ここで頂くお給料で、生活はなんかは大丈夫ですか?」

「それは大丈夫です。一般企業となんら変わりはありませんよ」 と直之は半分苦笑い。

 

“何を聞くのかと思えばそんな事か” と彼は思った。

「それを聞いて安心しました。ではお二人末永くお幸せに・・・」 
 孝之が時間を確認すると、時計の針は午後4時50分を指している。
「あっ、そうだ」
 その後すぐに、直之はポケットからスマホを取り出すと・・・
「父の任意代理人の方に、私の連絡先を伝えてください。何かあったら連絡を下さる様お伝え下さい」とスマホの画面を孝之に見せた。
「分かりました。お伝えしておきます」

 

 直之は、ふと携帯の画面を食い入るように見つめた。

「スケジュールに空きが有りそうなので、近いうちに父の病院を訪ねてみることにします。父とは、もう随分と長い間会っていないので・・・」

洋子が思わず孝之の肩を叩いて歓喜した。

「お父様も、きっと大喜びされると思いますよ! ねっ孝ちゃん」

「僕も同感、ゆっくりとお話されるといいと思いますよ、直之さん」

 

 直之の瞳が、心なしか潤んでいる様に感じられた。気が付くと部屋の外では、業務報告を終えた職員の足音が、にぎやかに聞えて来る。帰りの時間も近づいて来たので、そこで二人は直之と別れた。

孝之はふと感じた。想像する事と現実とでは、大きな隔たりが有るという事を、世の中には、こんな無欲な人も居るものだと感心した。野々村弁護士との契約も無事果す事が出来たし、この承諾書を彼に手渡せばすべて完結する。「ふ~っ」と溜息をついて、安堵に胸をそっと撫で下ろした。


 帰り際に受付窓口に立ち寄り、桂川理事長と事務員の女性にお礼の言葉を告げて、迎えに来たクシーに乗り込んだ。帰りの電車の中で、洋子が羨む様につぶやいた。
「結婚かぁ・・・羨ましいなあ」としみじみ呟く……
「今なんて言ったの?? 電車の音がやかましくて聞き取れないよ」 と孝之はいった。
 通勤時間帯と言う事もあって、乗客の乗り降りが頻繁に繰り返された。車内は何処もかしこも人の波と、ざわめきで埋め尽くされていた。              

                                                         「帰ったら食事にでも行こうか? 洋子ちゃん」
「えっ、今なんて言ったの?? 周りが騒がしくて・・・」と耳を塞ぐ

「食事・・・おごるからさあ」
「ほんとに~」
「あっ、そこだけ聞こえるんだ」

                                   「了」

 

 

草原の小さなレストラン         

第1話 
未来からの訪問者
 生暖かい空気に肌を刺す冷たい風が、突如入り乱れ吹き始めた。加奈子と総一郎の若い2人は、ある地方の県境に程近い、奥深い高原を目指して登山を続けていた。山の天気が変わりやすい事は、2人は十分承知していた。ところが然にあらず、途中激しい雨にみまわれ、やむなく下山することになったのである。


 ゴールデンウィークという時節柄、多少の天候の崩れはやむなし、と高を括っていた。だが自然の猛威は、容赦なく2人に襲いかかった。
 折からの雨と強風で、森は『ゴーゴー』と激しくうねりを伴って揺れた。雨具は持っていたものの、風と雨に叩かれ、まるで用を成さない。随分長い道のりを2人は歩いた気がした。
横殴りの雨は次第に勢いを増して、芽生えたばかりの木々の枝葉が、風になぎ倒され、2人の行く手を阻んだ。


「ごめんね、加奈子。僕が誘いさえしなければ、こんな事にはならなかった・・・」
「いいよ、そんな事は気にしていないから。それより私もう限界。どこか泊まれる場所があればいいのにね」
 総一郎と2人きりで居られるこの時間が、加奈子には掛け替えのない、大切なものに思えた。

 

 2人は同じ会社の先輩と後輩の関係にある。北村総一郎(24)は中肉中背でやや面長、髪は短く端正な顔立ちだ。一方吉村加奈子(23)はやや長目の髪の毛を、後ろで纏めている。小柄な体形で目が大きく、可愛らしい女性である。
 今まで2人は会社で顔を合わせても、軽く会釈する程度で、会話など交わした事が無かった。初めて話をしたのが、昨年五月の新入生歓迎会の時だった。偶然席が隣り合わせになったのがきっかけだ。以来2人は、度々デートを重ねるようになった。


「ねえ総一郎さん。この道で間違いないの?なんだか来た道とは随分違う気がする」
  加奈子は辺りをぐるりと見回すが、同じような景色が続くばかりで、これといった目印になるものなど、何処にも無かった。
 雨の方は少し小康状態となったものの、代わりに靄がかかり始めて、目の前の視界は悪くなるばかりだ。


「道が全く分からないよ。雨と風が吹き荒れたせいで、本来の道が何処なのか、まるで見当がつかない。そろそろ急がないと本当にやばいかも・・・」
 まだ夕暮れ時には、時間が有ったにも拘らず、厚い雲と靄のせいで、辺りは薄暗くなっていた。下り坂だった道が、少しなだらかになり始めたころ、遠くの方に小さな明かりが見えてきた。


「やった!建物がある。これで助かった!」
 総一郎は跳び上がって喜んだ。地獄で仏とはこの事を言うのだろう。しかしそれと同時に、ある不安が頭をよぎった。それは明かりが近くなれば近くなるほど、段々と不安が増していった。


「あんな所に建物が有ったなんて、ここに来たときには気が付かなかった。なんだか嫌な予感がする」
「大丈夫?総一郎さん。気を付けた方がいいよ」
「うん、分かっている」


 先ほどまでの激しい雨は、いつの間にかすっかり止んで、森は静まり返っている。2人は辺りの様子を確かめながら、ゆっくりと建物に近づいて行く。足元にはいつの間にか、芝生のような短い草が生い茂っていた。周辺には、他に民家などは見当たらない。


「やっぱり変だよ。あり得ない、こんな山の中に・・・なんで?」
 首を傾げ警戒しながら、一方では安堵の気持ちが、心の中で交錯していた。2人はゆっくりと足を進めた。
やがて、ぼんやり建物のシルエットが見えてきた。ドーナツの様な丸い建物が、何本かの脚で支えられ、宙に浮いている様にも見える。


「あれっ?なにか看板みたいな物が有る」
後ろを行く加奈子がそれに気が付いた。2人は立ち止った。入り口付近には階段の様なものが下され、建物には、レストラン『未来』と書かれた看板が取り付けられている。


「なんか変だよ。ここ?」
 総一郎は正面から少し右に回ってみたが、どの方向から見ても、建物は一様に同じ形に見える。何の因果で、こんな人里離れた場所に、レストランが有るのか、2人には理解できなかった。


「人の気配がまったくしないよ」
 耳を澄ますも物音一つしない、『シーン』と静まり返っていた。
 その時建物の表面に、黄色く輝く文字が突然現れた。
「えっご自由にお入りくださいだって。どうする加奈子」


 加奈子は大きく首を横に振った。こんな人気のない山の中に、レストランが有る事自体怪しい。何かあってからでは遅すぎる。どうしたものかと思案した。同時に加奈子は今来た道を振返って、大きくため息をついた。
「山を下りる体力もないし、どうしよう総一郎さん」
「うん、ここが山の中の、何処らへんなのかも分からないし、この霧の中を歩く、気力も体力も、もう無いよ」


 レストラン『未来』、と書かれた建物の前で、2人はしゃがみこんでしまった。
「よし、今夜はここに泊めさせてもらおう」
「えっ、何を言うのよ、総一郎さん?」
 加奈子は小首を傾げた。総一郎は何か確信めいたものを感じ取った。


(こんな人気のない山中で、なんの因縁があって、こんな建物を造ったのか? もしも自分がこの建物の持ち主で、人を陥れようと考えたなら、もっと人気のある路地裏などを選んだはずだ。ここはひとつ騙されたつもりで、入ってみる事にしよう)
「鬼が出るか蛇が出るか・・・」


 その時『カチャ!』と音がして、扉が開いた。2人が草むらの中で、立ち上がろうとした正にその時だった。
ドアの向こうは、眩い光に包まれて何も見えない。扉の前の人影さえも、明るい光にかき消されて何も見えなかった。すると突然!
「遠い所をよく訪ねて来てくれました。さぞかしお疲れでしょう」
 低音で温かみがあり、しっかりして落ち着いた声が、奥深い山中に響き渡った。
 現れたのは、蝶ネクタイに黒いスーツ姿の中年男性だった。突然の事に、加奈子も総一郎も言葉が出ない。


「この嵐の中、大変でしたね。ささ遠慮はいらない、中の方にどうぞお入りください」
 静かで温かい物腰のこの男性に、2人は安堵とやすらぎを感じた。
 進められるがまま、階段を上り中に入った。すると中にはホールが有り、10席ほどのテーブルとイスが、整然と並べられていた。壁側には大きな窓が幾つかあり、正面には開きの扉が5つ程あって、落ち着いた感じがした。総一郎はその時扉の奥が、どうなっているのか、少し気になった。


「奥の扉が気になる様ですね。あそこは宿泊出来る部屋となっております。もしよろしければ、お泊り頂いても構いませんよ」
 願ってもない言葉に、総一郎と加奈子は、お互いに目と目を合わせて頷いた。
「助かります! ぜひお願いします」
 総一郎は思わず深々と頭を下げた。考える余裕など無かった。兎に角体を休めたい。それだけだった。


「気を遣わなくてよろしいですよ」 そう言いながら、中年の紳士は端っこの部屋に2人を案内した。中に入ると、そこはカプセルホテルを大きくした様な、機能的な空間が広がっていた。体を包み込むようなベッドと、天井や壁などが薄っすらと光り、部屋全体が照明の様な優しい光に包まれていた。その中で、壁の一面だけが洞穴の様に真っ黒で、中が見えない、光を反射しない空間が有った。その男性によれば、それは3次元テレビというもので、(3Dではないらしい)今は電波が届かない為に、映像が映らないと言った。


「ただいまお風呂のご用意を致しますので、少しお待ち下さい」
そう言うと、男性は部屋を出ていった。神経の緊張と、体の疲れが限界点に達した。2人はリュックを下ろすと、畳んである布団に寝転んだ。


「あーっ、ほっとしたぁ」
 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。その後総一郎は静かに目を閉じた。
「よかったね。総一郎さん。一時はどうなるかと思った」
 加奈子も目を閉じた。そのすぐ後、『コン、コン』と扉をノックする音がした。
「お風呂の用意が出来ましたので、お入りください」


 ドア越しに声がした。
「はい、有難う御座います」
言われるがまま、2人は入浴室に足を運んだ。さっきまでの苦難が、まるで嘘のように思えた。柔らかい感触の廊下を歩くと、突き当たりに、そのお風呂が有った。少し小ぶりのお風呂は、至る所に押しボタンが設置されており、それがどんな機能が有るのかは知れない。分からないものは、触らないに越したことはない。体が休まれば、それでいいと考えた。


先にお風呂に入いた総一郎は、加奈子が出るのを待って部屋に帰ると、間もなく食事が部屋に運ばれてきた。運んできたのは同じ年恰好の中年女性であった。
「こんなに良くして頂いて、本当に申し訳ありません」
 総一郎が深々と頭を下げると、女性は礼には及ばないと言う。あれ程までに警戒したこの建物さえも、今では親しみさえ感じられるものに思えた。


「お2人は恋人同士なのですか?」
 その女性は微笑みを浮かべながら、優しく囁いた。
「えっ・・・ええ」
 加奈子の顔が真っ赤に染まった。総一郎は、はにかむようにしてじっと俯いていた。
食事の支度を終えた女性が立ち去ると、すぐさまそこへ、あの中年男性が現れた。
『コンコン』
「失礼します」


 総一郎は慌てて姿勢を正した。
「実はあなた方に、どうしても話しておかなければならない事がありまして・・・」
「はい。何でしょうか?」
 総一郎は小首を傾げた。中年男性は話を続けた。
「これからお話しする内容を、どうか驚かないで聞いてほしい、そしてこの事を、絶対に口外しないと約束してほしいのです」
 話が長くなりそうな予感がした。


「あのう・・・それって今話さなければいけない事なのですか?」
 少しだけでも、ゆっくり過ごせる時間が欲しかった。総一郎は疲れ切っていた。
「お手間は取らせませんので」
「そうですか」  
中年男性は、名前を永山幸一と名乗り、その先の会話を次の様に語り始めた。


「これからお話するのは、私達が実際に体験した話です。どうか驚かないで聞いてほしい。じつは私達はこの時代の住人では無いのです」
「えっ」 2人は唖然とした。
「今より80年程先の未来から、訳あってこの時代にやって来たのです」
 突然の衝撃に、加奈子の顔が真っ赤に紅葉した。
「嘘でしょう!そんな事、信じられない」


 SF小説じゃあるまいし、現実にそんな事が起こるはずは無い。と言うよりは、やっと手に入れた安らぎの場を、再び混乱の渦中に晒されたくないと言うのが本音だった。加奈子の大きな目が、何かを訴えるかの様にそのまま総一郎に向けられた。
「でもよく考えたら、変なことばかり起こったよね、僕たち。ここへだって、何かに導かれるようにしてやって来た」
 あながちあり得ない事ではないと、その時総一郎は思った。
「その先のお話、ぜひ聞かせて下さい」
「よろしいのですか?」


 永山幸一と名乗る中年男性は、やや小太りではあるが、背はすらりと高い。白髪交じりの長めの髪を、左手の指さきで掻き上げながら、話を更に続けた。
「私達のこのレストランは、西暦2097年4月迄は、国家機密研究機構、国立重力場研究所の敷地内にあった。そこで私と妻は研究所員の皆さんに、食事を提供していたのです。ところがなんらかのアクシデントが発生し、私達のこの建物は、巨大なエネルギーにさらされ、時間と空間の壁を突き破り、この時代に運ばれたものと考えています」


 永山幸一氏によれば、その研究施設は八ヶ岳高原の一角に、20万平方メートルという広大な敷地を有しており、大きな建造物を一気に宇宙へ運ぶ事の出来る、反重力波を発生させるという、壮大な研究がなされていたと言う。そして次のように語った。
「その研究施設が、その後どうなったのか私達には知る由もない。勿論施設内には他にも民間の関連企業や、作業着などを洗い提供する店舗や、清掃業者の出張所などが多数参入していたのです。時空の彼方に飛ばされたのは、自分達だけではない筈・・・」 と永山氏は言う。


第2話
レストランの隠された秘密

 総一郎と加奈子は、遠い未来で起こったとされる、研究所の事故の話を聞きながら、一種独特の不思議な感覚に陥った。自分達は、話の中から想像を膨らませる事でしか、未来を感じられない。なのに、それぞれの異なった時空を体験したとする人物が、目の前にいるのだ。永山幸一と名乗るこの人物は、自分自身その身を持って、それぞれの異なる時代を体験した事になる。つまり、まったく別の世界の出来事を、現実のものとして見てきた訳である。


「1つ質問して、いいですか?」
 総一郎は事の重大さを感じ取り、かける言葉を慎重に選んだつもりだった。
「この時代にやって来られた瞬間、どう思われました?」
「そ、それは・・・」
 突然の質問に、返す言葉に窮した。永山氏の苦しい胸の内を、総一郎は瞬時に感じ取った。
「あっ、触れてはいけない事でした」


 自分がもし同じ立場に居たとしたら、果たして尋常で居られるのだろうか。大切な親族や親しかった友人、知人など、それら全てを一瞬で失った事になる。
その時加奈子の目に、微かに涙が光った。
「総一郎さん、私達は大変な誤解をしていたみたいね」


 この建物を初めて見た時、一瞬でも怪しく不気味に感じた自分が、加奈子は恥ずかしく思えた。なのに、この人達は自分の不幸も顧みず、こんなにも温かく迎えてくれた。
「私このレストランが、すごく好きになりました。永山さんにもお会いできて嬉しいです」
 加奈子のその一言で、場の緊張感が和らいだ。
「貴方方にこうしてお会いできたのも、きっと何かの縁に違いない」
 普通なら、絶対にあり得ない状況である。永山幸一氏は、感慨深く思いに浸った。
「ところで、あなた達のお名前をお聞きしていませんでした」


 永山幸一は大切な事に気が付いた。総一郎は慌ててお辞儀をした。
「申し遅れました。僕の名前は北村総一郎、そして彼女が吉村加奈子。よろしくお願いします」
「私は永山幸一、それから先程食事をお持ちしたのが、妻の裕子です」」
 総一郎はその時、2人に起こった出来事に、思いを巡らした。(前代未聞の事態に遭遇した。不思議な縁で繋がっている)と実感した。

 
その時・・・
「お2人共お疲れの様だし、今日のところはここまでにしましょう。どうぞごゆっくりとお休み下さい」
 夜も更けたというので、永山氏はそう言い残し、部屋を出て行った。

    焦げた雑草

 翌朝六時半ころ、2人は目が覚めた。部屋の扉をそっと開けてみると、ホールには誰もいない。整然と並べられたテーブルと椅子に、眩いばかりの朝日が差し込めている。
「永山さん、いないみたいだね・・・」
「うん、外へ出てみようか。雨も上がった様だから」
 総一郎は、この場所が、一体どこなのか、とても気になった。表の扉をそっと開けると、今朝はよく晴れていて、昨日の事が嘘のように、空一面真っ青に染まっていた。


 昨夜は相当吹き荒れたのだろう、あちらこちらに木の枝や葉っぱが散乱している。2人が裏手のほうに回ってみると、5~6メートル程下がった場所に大きな池があり、レストランと称する建造物から、70ミリ程の太さのホースが、池の中に引き込まれていた。レストランらしき建造物は、金属の様な物質で出来ているらしくて、銀色に輝いている。・・・と次の瞬間、加奈子が総一郎の肩を忙しくたたいた。


「総一郎さん。あれ見て!草村が、数か所焼け焦げている」
 それを聞いた総一郎が、振り向いて驚いた。
「わ~、でか!なんでこんなに大きく焦げている訳?」その時背後に人の気配がした。
「お早うございます。お2人さん、何かお探しですか?」
 2人は仰け反って驚いた。
「いや別に、そうではありません。ただ、その・・・」
 突然声を掛けられ、あまりの驚きに、返す言葉が見つからない。


「このレストランに、興味をお持ちの様ですね。よろしければ昨夜の続きをお話ししましょうか?」
 永山氏は、昨日の服装とはうって違って、近未来風のコスチュームに身を包んでいた。肩、肘、腰、膝には、それぞれにプリンのカップを伏せた様な、突起物が付いていた。永山氏によればそれらは筋力補助装置であり、作業するときの服装だという。
「貴方がたが先程から気に掛けていらした、大きく焼け焦げた雑草について、なぜそのような焼け焦げが付いたかというと・・・」


 永山氏の話によれば、簡易浮遊装置として、レストランにはジェットエンジンが内蔵されているという。そして次のように永山氏は言う・・・
「重力場研究所内に入居する業者には、反重力波照射実験の際、輻射エネルギーの影響を受けないように、研究所施設外に自主避難する事が義務付けられている。その為の簡易浮遊装置なのです」


 永山氏によれば、下請け業者全てが、こうした認可基準に適合する設備を付けなければならないらしい。尚実験の際、研究所の建屋はそのまま地下に収納されるという事だ。
「このレストランには、上部一面にソーラーパネルが付いている。勿論今のこの時代のものとは、比較にならない程大容量の物だ」


 総一郎と加奈子には、永山氏の話があまりにも壮大すぎて、ただ頷くだけで精一杯だった。
 さっきから総一郎は、1つだけ気になる事があった。
「あのホースは、水を吸い上げる為のものですか?」もしそうだとすれば、昨夜食べた食事は、池の水で調理した事になる。総一郎は思わず吐きそうになった。
「あのホースは、勿論水を汲み上げる為のものなのですが、調理する為の物ではなく、水を電気分解する為のものなのです」


 ソーラーパネルで蓄えた電気により、水を酸素と水素に電気分解したものを、超低温で液化して圧縮し、ボンベに蓄え、ジェットエンジンの燃料にするのだと永山氏はいう。
「・・・という事は、推進燃料は自給自足という事ですか?」
「その通りですよ。だからどんな山奥でも、長く暮らす事ができる」
「ふ~ん、ハイテクですね」
「まあね・・・」


第3話
山岳警備隊との遭遇

 レストランが、突然この時代にワープして来たのは、2017年2月の事だった。おりしも冬真っ盛りの山岳地帯。今から丁度3ヶ月程前の事だった。
その時、永山幸一と妻の裕子は、客の居なくなったテーブルの後片づけしていた。窓の外には夕日に照らされた研究施設の大きな建屋と、その向こうにはアーチ状の4つの巨大な壁が、円を描くように空に向けられていた。
『ガタガタガタ!』
突然! 建物が猛烈な振動に見舞われ、床やテーブルが、音を立てて激しく揺れた。次の瞬間、目が眩む様な、激しい閃光が目の前を走った。その間、時間にしておよそ2~3分の出来事に思えた。その後2人は気を失った。気が付いた時、床に倒れていた。


”何が起きたのだ!“ 
・・・どれ位時間が過ぎたのだろう。すぐには立ち上がる事が出来ず、それから暫くして、ゆっくりと立ち上がる。窓の外に目をやるも、暗くて何も見えない。此処が何処なのか、一体自分たちの身に、何が起きたのか、二人にはまったく見当がつかなかった。
窓から見えるはずの景色も、その時は真っ暗闇で何も見えず、外がどうなっているのか、
不安で、恐怖心さえ覚えた。


 妻である裕子がドアを開けると、猛烈な勢いで雪が吹き込んできた。あわててドアを閉める。
「わーっ、何なのよ! これ、一体何が起きているの?」驚いた彼女は思わず叫んだ。
「雪だって? ここ何処だよ!」
 永山氏は混乱した。自分たちの身に非常事態が起きた事を察知した。次の瞬間! 建物の外で人の声がする。大勢の人の気配がした。


『ドンドンドン!』と扉を叩く音がする 
「誰か居るのか! 居るのなら此処を開けてくれ! お願いだ! 誰か・・・」
“頭の中が真っ白になった”永山幸一は、その時言われるままに、慌てて扉を開けた。
『ガチャ』・・・
「助かった!」と叫ぶ男の声がした。
「あなた方は???」
「我々は山岳救助隊です!」
「えっ!」


 男の名は、梶田と名乗り、「山で遭難した2人の男女を救出し、下山する途中に猛吹雪に遭遇した」と言った。
救助された男女の内、女性の方はストレッチャーに乗せられていた。永山幸一は一瞬混乱したが、気を取り直し、全員建物の中に招き入れた。
「まさかこんな所に建物が有るなんて、思ってもみませんでした。でも助かりました!」
 隊長の梶田のその一言で、8名程の彼らの置かれた境遇が、極限の状態であった事が窺われた。
「どうぞ皆さん。自由に椅子にお掛け下さい。今部屋を暖めますので」


 此処へ来る迄が春だった為、永山幸一は空調を暖房に切り替えた。すぐに部屋は温まった。妻の裕子が、用意したコーヒーを全員に振舞った。救助されたという若い男女も、元気を取り戻した様子だった。
「ところで、ここは何処ですか?」と永山幸一が訪ねた。ここが一体どこなのかを知りたかった。
「何の事です?」隊長の梶田は、いささか面食らった。 永山幸一は続けて・・・
「今日は何月何日ですか?」
「えっ、ああ、今日は2月4日の土曜日ですよ」
「何年のですか?」
「今日は2017年、2月4日です。それがどうかしました?」
「嘘でしょう、そんな馬鹿な!」


“何が起きたのだ!”
 永山幸一と裕子は、目を丸くして見つめ合った。と次の瞬間・・・
「大変だわ。まあどうしましょう! 沙紀に連絡しなきゃ」と言いだした処で、矛盾に気が付いた。
「私達、もしかして過去に来てしまったの?それなら此処は何処かしら?」
 裕子は混乱していた。 目の前で展開された事態に、全員が『ポカン』とした表情で、身動き出来ない。
 しばらく重苦しい雰囲気に包まれた。ようやく事態が理解できたようで、隊長の梶田が口火を切った。


「私たちは最初此処を見つけた時、何でこんな所に建物が有るのか、とても気になりました。でも人命が掛かっているので、必死でした。どうやらあなた達は、この時代の人では無いようですね・・・」
 梶田隊長は事の重大さを察知して、掛ける言葉を失った。
「此処は、一体何処なのですか?」
 永山幸一は、豹変した自分を取り巻く境遇が、一体どうなっているのか、兎に角知りたかった。
「此処は中央アルプス、駒ケ岳です」
「なんだって! 八ヶ岳では無いのですか?」


 梶田隊長他七名は、一様に驚いた表情になっていった。
「私たちのこの建物は、2097年4月までは、八ヶ岳高原の一角に、20万平方メートルを有する、国立重力場研究所の敷地内に有った」
 永山幸一氏の表情には、混乱と焦りが見て取れた。少しばかり興奮気味に、言葉を荒げながら・・・
「そうか・・・ 何らかのアクシデントが発生し、巨大エネルギーにさらされ、私たちは此処に飛ばされたに違いない! それにしても、なぜ駒ケ岳なのか? 理解できない」


 永山幸一は気が動転していた。勿論こんな経験は初めてである。だが、それにも増して隊員たちはもっと驚いていた。ただ、今はそんな事を考えている余裕は無かった。
「ところで、今何時頃ですか?」
 気を取り直して、永山幸一が時刻を訊いた。
「そういえば今何時なのか、忘れていた」
 隊長の梶田が分厚い手袋を外し、腕の裾を弄り、腕時計を見ると、時計は午後7時半を指していた。
「我々が遭難者救助指令を受けて、緊急出動したのが午後3時半だったから、もうすでに4時間は経過したことになる」


 氷点下の山岳地において、長時間極限状に晒されることは、隊員の命にも係わる事態である。梶田は決断した。
「無理を言って申し訳ないです。我々を一晩泊めて頂けませんか」
 永山幸一氏に二言もない。
「勿論いいですよ。こんな状況では下山しろとは言えないですからね」
 永山幸一はにっこりと、ほほ笑んだ。


 自分たちを取り巻く事態の全貌が、ようやく見え始めた。と同時に、その後の重力場研究所がどうなったのか、永山幸一は気がかりだった。だがそんな事を考えている余裕はない。事態は急を要する。今日のところは遭難者と、救助隊の命の安全が大優先なのだ。
急きょ用意された各部屋に、救助者と隊員が体を休めた。

消えたレストラン 

 翌朝目が覚めると、自衛隊のヘリが、遭難者2名を救助するべく、やってきた。すぐ近くには、別のヘリが飛んでいたが、それが何であったのかは分からない。
自衛隊の救助ヘリは、レストラン上空でホバーリングしながら、ワイヤーが下され、自衛官が支える様にして、遭難者2名をヘリの中に収容した。間もなくして、救助隊も下山の途に就いた。


 その日のうちに、報道特番が組まれ、各放送局はこぞってこのニュースを大々的に取り上げたのだ。焦点になったのは、雪山に佇む謎のレストランである。
 危機感を察知した永山紘一は、一連の救出活動の後、合間をぬっていち早くレストランを別の場所へと移動した。どこでも良かった。人目に晒されたくなかったのである。

 

 翌朝の報道に衝撃が走った。あるはずのレストランが忽然と姿を消したのである。
 報道局各社による、駒ケ岳周辺の取材が数日間行われたが、レストランの足取りは要として掴めない。救助隊員への取材からも、謎は深まるばかりだった。彼らが何処からやって来た人物なのかが、最大の焦点となった。
 レスキュー隊隊長の梶田の証言が、連日各テレビ局の報道番組を賑やかせていた。

 

真実が要として掴めない報道各社は、焦りの色を募らせた。
 やがて時が過ぎ、新たなスキャンダルが発生すると、報道各社はこぞって報道特番を組み、世間を騒がせた謎のレストランの事など、まるで無かったことの様に人々の間から、忘れ去られていった。


得体の知れない搖動
 
 ”(時は現在に戻る)”

永山幸一氏と総一郎達三人は、レストランの窓から、池の周辺を眺めていた。その時加奈子は、ある事をふと思い出した。 
「そういえば、今から3ヶ月ほど前、テレビで、謎のレストランという報道番組をやっていたけど、あれってこのレストランの事だったのですね」
 加奈子に言われて、総一郎もその事に気が付いた。
「そういえばあの時、僕もあのテレビを見ていた。空からの映像で、確かにこの建物が映っていたのを覚えている。でもその後、忽然と姿を消した。あの時、この簡易浮遊装置を使ったのですね」
「そうです。何故なら私たちにとっては、この時代は未知の世界なのです。遠い昔の歴史上の出来事でしかない。つまり歴史の教科書を通して知ったに過ぎない。この時代の人々の人間性については、少し不安もありますからね」


 永山幸一は考えていた。それはこの時代がどの程度の文明で、法の秩序がどれ位守られているのか、まったく見当がつかなかったのである。
「この時代は紛争を繰り返す年代と認識しています。それに教科書に書かれた文面からは、人々の心情迄は伝ってこないですからね。でもあなた達にこうして会えて、変わらない優しさを感じました」


 永山氏からは、安堵の言葉が訊かれた。総一郎は思った。自分達から見れば、未来は文明と秩序に守られた鮮麗されたものに思える。でも未来人から見たら、この時代は愚かで野蛮なものに見えるのかも知れないと・・・
「実は私達のこの建物は、連日おかしな振動に見舞われて居るのです」
総一郎と加奈子の2人に、レストランの異常事態を説明した。
永山幸一氏によれば、時間の異なる空間に居ることで、何らかの歪がレストランに影響を与えているのではないかと言うのである。
空かさず総一郎が返した。
「それはもしかして、元の時代に戻そうとする自然界のエネルギーが、このレストランに働いているという事ですか?」


 総一郎はその時、朝の暖かな日差しを体いっぱいに受けながら、周りの風景から緩やかに視線を永山氏に向けた。
「まあ、これは私の想像ですが、この時代に建物が飛ばされた事により、時空間に何らかの歪が生じて、空洞が開いたのではないか、たとえばブラックホールとホワイトホールのような、目に見えないトンネルのような物が」
 もしかしたらこの建物が、2097年4月の時代に繋がっているのではないかと総一郎は思った。彼らがこうして2017年のこの時代に居ること自体が、空間の歪を形成して居る要因かも知れないと・・・


 総一郎と加奈子は、永山幸一氏の話を聞きながら、遠い未来を想像していた。
 永山幸一氏は感じていた。大自然の摂理により、このレストランは元居た時代に強制的に引き戻されるのではないかと。
「もうあまり時間が無いようです」
 その時、ビビビーといった軽い唸りの後、建物内の照明が激しく点滅を繰り返した。
「うわっ! この建物、どうなっちゃうの!」
 加奈子が叫んだ。
「大丈夫ですよ。そうだ、こうしてお目に掛かれたのも、何かの縁でしょう。私達との思い出に、この国の未来がどうなっているのか、少しお話しましょう」


 永山幸一氏によれば、未来は各国が協力しながら、分業で成り立っているらしい。たとえば研究機関はアメリカを始め、EUや日本など、数か国で行われ、それぞれの国の研究者が国境もなく、自由に情報交換しながら研究出来るらしい。
製造業務もあらかじめ決められた国がそれぞれ担当して、世界レベルで平等に分担されているという事だ。


「研究機関の一部は、火星に拠点を移し、そこで活動しています。そこには他に一万人規模の居住区があり、上流階級の人々が暮らしています」
「それは凄いですね。でも不便じゃないですか、地球から遠いし・・・」
 総一郎は思った。常識的に考えたなら、現代の宇宙船では、片道だけでも数か月掛かってしまう。現実問題として、絶対にあり得ない事と・・・


「もちろん火星と地球を行き来する為の、超高速移動が出来る乗り物も、すでに出来ています。最先端技術として、プラズマイオンを加速して大きな推進力を得る、ロケットエンジンが開発されたのです。ですから片道、おおよそ20時間程で行く事が出来ます」
「えっ、そうなのですか。それは凄い」
 永山幸一は、得意げに語った。
総一郎も加奈子も、まるで夢を見ている様で、返事に窮した。
「実は未来は、決して明るいものではないのです」


 永山氏の表情が、何かを訴えようとして、暗く沈んだ。
「明るいものではないとは、尋常ではないですね」
 総一郎は怪訝な表情を浮かべた。
「異常気象が、あなた達の時代よりも更に深刻化しています。人類は強力な紫外線にさらされ、そのうえ病原菌が蔓延していて、地上では暮らせなくなっています」

 永山氏によれば、高温多湿と化した地上では人が暮らせなくて、一部の研究機関や工場以外は、すべてが地下都市となっているらしい。

 

「勿論工場などの大型施設は地上に有るのですが、建物の外に出ることは、短時間でなければ出来ないのです。そのうえ海水の温度も高くて、生態系が狂い、クラゲが異常繁殖しています。海に入る事が出来ない為、食用の魚は全て養殖です」
「えっ、本当ですか? 信じられない。未来は絶望でしかありませんね」
 加奈子が悲しげに訴えた。

 

「でも、これらは物語りの序奏に過ぎない・・・・」

 永山幸一は大きく顔を俯かせた。
「実はもっと深刻な問題が起きています。地球外生命体の存在が、明らかになりつつあります」
「エイリアンですか?」
「まだはっきりと断言できないのですが、世界中の有識者達が、地球外生命体による侵略の危険性を指摘しています」
「なぜそう言い切れるのですか?」
 総一郎は暗い表情を浮かべた。人類がそうであるように、地球外生命体といえども、高等生物であるならば、相手を尊重し、友好的に交流できるはずだ。と考えた。


「実はプレアデス星団の方向から、超強力な電磁波が地球に届いています。非常に荒々しい音声成分が含まれていて、各国が分析しているところですが、まるで解析できないでいます」
 “地球外生命体による脅威が、世界各国を一つにまとめていると考えられる” 共通の敵が目前に居ることで、各国が手を組もうとしている。かつてなかったような協力体制が出来上がっていると永山氏は言う。

レストランが残した足跡

 三人は窓際のテーブルの椅子に、腰を掛けたまま、窓際から外を眺めている。総一郎と加奈子は、たった2日間の出来事なのに、今では長い歳月が過ぎた様に思えた。永山幸一氏は、椅子から立ち上がると・・・
「ちょっと待って下さい。今コーヒーをいれます」
すぐにコーヒーとトーストが出され、厨房には妻の裕子が掃除をする姿があった。
 テーブルに暖かい日差しが差し込む・・・

 

 総一郎は感慨深く、窓の外に広がる景色を眺めた。
「時間と言う概念で捉えれば、永山さん達の時代と今のこの時代は、途切れることなく繋がっていると感じます。不思議ですね。時間は一寸たりとも立ち止ってはくれない」
 総一郎は感慨深そうに言った。
 永山幸一は深く頷いた。


「そうですね。人類が何処へ向かっているのか現時点では解からない。あなた達のこの時代が、終焉までの通過点と考えるなら、人間の歩みは留まる事が無い。地球が消滅する日まで、この世界の営みは永遠に続くという事になる」
「僕も、そこのところは良く分からないのです。地球や宇宙が将来消滅するのなら、人類が生きている意味が無い。本当にこの世界は疑問だらけですね」
「うむ、確かに・・・」


そうこうしている内に、時刻はもうすでにお昼ちかくになろうとしていた。その時『ガタガタガタ・・・』とレストランがまた大きく揺れだした。揺れの大きさは次第に強くなっていると、永山幸一氏は言う。
「私たちがここに居られるのも、後僅かなようですね。もう少しお話がしたかったのですが、そうはいかない様です」


「あのう、またお会いできますか?」
 加奈子が、食い入るように永山幸一氏を見つめるのだが・・・
「多分無理でしょうね。私たちの時代でさえ、まだタイムマシンは出来ていない。この時代にワープしたことも、意図したものではなく、偶然のたまものなのです。なので・・・・・残念ですがお別れとなります」
「折角お知り合いになれたのに・・・」


 加奈子が呟いた瞬間、立って居られないような大きな揺れが、レストランを襲った。
『ガタガタガタ。ゴゴゴー』
 窓の外が突然暗くなり、稲光の様な強烈な閃光が走った。
「うわーっ!」 と誰かが叫んだ。
次の瞬間4人は床に叩きつけられ、気を失った。


 どれくらい時間が過ぎたのだろう。やがて、さわやかな風が頬を撫でて、小鳥の囀りに加奈子が目を覚ました。すでに、陽は高く上り、お昼近くに思えた。
「あれっ、私、何をしているの? ここは何処?」
 暫くの間、加奈子はぼんやりしていたが、すぐに気を取り戻した。
「まあ大変。あれ、レストランは何処? 私何をしているのかしら。そうだ、総一郎さんは何処?」
 辺りを見渡すと、草むらの中に総一郎が倒れているのが見える。加奈子はすぐに駆け寄った。


「総一郎さん。起きてよ! 大変なの」
 総一郎はすぐに目を覚まして、辺りをきょろきょろと見回した。
「あれ? レストランは?」
「私も今気が付いたけど、レストラン、消えちゃった」
「えっ、噓でしょう」


 振り向くと、2人はレストランがあったはずの草原に取り残されていた。すぐ下には
池が有り、草むらには2メートル位の焦げ跡が四か所残されている。

「永山さん達、無事元の時代に帰れただろうか? 」と総一郎が遠くを見つめながら言った。

「きっと大丈夫よ、いつか何処かでまた会えるといいね・・・」

「うん・・・」

 さっきまでの情景がまるで夢でも見ていたかのように、空は何処までも青く澄んで、静けさだけが一様に広がっていた。

二人は永山幸一夫妻が、無事に元の時代に帰って行ける様にと、祈らずにはいられなかった。    「了」

 

 

Fibee 9種のスターターセット

色づく秋の温もり

 

 たかしくんは、木々が色づくこの季節がとても大好きです。なぜならこの時期は、いつもお父さんが畑からおイモをいっぱいとって来てくれるからです。


 秋の日の、やわらかな日差しをいっぱいあびながら、縁側でたかしくんはうたたねをしています。遠くで小鳥のさえずりも聞こえてきて、すっかり夢気分。


「たかし! ねえ、たかし!・・・・ほら、いつまで寝ているの」
 お母さんに体を揺すり起こされて、たかしくんは目が覚めました。すると辺り一面には甘い香りが漂います。


「ほら、おイモ焼けたわよ」
 籠いっぱいに盛り付けられたおイモには、ひとつひとつにアルミホイールが丁寧に巻かれています。
「わー! おいしそう」 
「これ、全部食べてもいいからね」

 お母さんが、焼き立てのおイモを手渡してくれます。たかしくんは、そのおイモを手に持ったまま、家の前に広がる深い森を見つめています。


「ねえ、お母さん。おサルさん達、食べ物は有るの?」
「えっ? 今なんていったの?」

 たかしくんはその時、いつかお父さんが言っていた話を思い浮かべていました。それは・・・・ “山に暮らすお猿さんたちが秋になると食べ物を探しに、人里に降りてくる事がある。おサルさんにだって家族が居るのだぞ”・・・・

 

 この季節は山に暮らす動物たちにとっては大変な時期です。それは冬籠りの支度をしなければならないからです。たかしくんは、お母さんが焼いてくれたおイモを少しだけ手に取って、あとは籠に入れて縁側に置いておくことにしました。


 おイモのそばにはマジックペンで、大きく書かれたメモ書きが添えてあります。”おサルさんたちみんなで食べてね“ とありました。
 一夜明けると、朝はとっても天気がよく、清々しい1日になりそうな予感。いつもならお母さんが起こさなければ、絶対に起きないたかしくんが、今日は自分ひとりで起きてきたのです。急いで縁側に行くと、おイモはすべて無くなっています。


「お母さん! 大変だよ! 早く来て」 たかしくんが、大声で叫びます。するとお母さんと、その騒ぎを聞きつけたお父さんもやって来ました。
「ねえねえ、これ見て。おサルさん達が来た見たいだよ。ぼくが書いたメモ書きに、ちゃんと手形がおしてあるもの・・・・」たかしくんは心躍らせています。お父さんは腕を組みながら辺りの様子を調べます。


「えらく散らかしてくれたものだな。これは掃除しなきゃならんぞ」
 籠がひっくり返され、踏みつけられた様になっています。サルたちは、泥だらけの足で縁側に上がった様です。それを見たお母さんは、小声で呟きます・・・・


「あのメモ書きにある手形って、どうみてもサルが踏みつけた足跡にしか見えないわね」
 お父さんは、お母さんに耳打ちします。
「あれは・・・紛れもなくサルの足跡だよ」
 縁側の汚れはお掃除をして、綺麗に片付けられました。 その後もたかしくんは、一面に広がる青空と、色づく森に目を輝かせ、いつまでもいつまでも見つめていました。

 

サンタさんはいるよ

 

 12月のある日、沙織ちゃんは家族4人でお買いものに出かけました。帰りの車の中でお母さんが尋ねます。 
「さおちゃんは今年、サンタさんにどんなプレゼントをお願いするの?」
「うん・・・私もう決まっているから」


 外の景色を眺めながら、沙織ちゃんは目を輝かせます。
 実は彼女には、ずっと前から欲しかった物があるのです。
「前もって紙に書いておかないと、サンタさんに分からないからね」とお母さんが言う。
「うん、分かっている」と沙織ちゃん・・・・


 その時ハンドルを握りながら、お父さんは後部座席に目をやると、姉の望がニヤニヤしながら、隣の沙織ちゃんを見つめて笑っています。
「あんたはバカだね、サンタさんなんて居るわけ無いじゃない」
「ちがうよ! サンタさんはいるよ。学校でみんなが言っているもん」
 沙織ちゃんは一生けんめい反論しました。


「私はいらないからね。プレゼントなんて・・・だってサンタさんの正体って、お父さんお母さんなのだもん」 姉の望には、すべて解っているようです。

 それを聞いたお父さんは”それを言っちゃあおしまいだよ”・・・・と・・

「どこのお店に行っても、今の時期はサンタさんが飾ってあるだろう。いるのだよ! サンタさんは。望は何を言っているのかな?」


 望ちゃんはクスクス笑っています。

「じゃあ私も書いておこう、欲しいものをね・・・」

その夜、ぐっすり眠っている沙織ちゃんの枕元には、マジックペンで大きく書かれたゲーム機の文字が有りましました。一方、望ちゃんの方には“家族旅行”と書いてあります。

 

 それを見たお父さんは・・・・

「やれやれ、今年のクリスマスは出費が増えそうだ」と、頭を抱えています。
 あと3日程するとクリスマスです。お父さんとお母さんはお互いに目を見つめて、思わず苦笑いをしました。


 

 

心優しき人達

 

 愛知県は渥美半島先端に伊良湖岬が有る。すぐお隣にはフェリー乗り場が有り、家族ずれに人気の海水浴場もある。夏場は多くの人がここを訪れる観光スポットとなっている。

 

 ある夏の日の事、両親に連れられて勇太君と妹の静香ちゃんが、海水浴にここを訪れた。

過去にも此処へは何度か来たことが有った。でもこの後起こる出来事は、生まれて初めての体験となった。

 

 それはお父さんと勇太君がパラソルの下で涼んでいる時の事、海の家まで食べ物を買いに行ったお母さんと静香ちゃんが、 遠くの方からレジ袋を手にして大慌てで駆けてきた。到着するや否や・・・

 

「あー怖かった!」 と大きく胸を撫で下ろす。

事の成り行きがまったく理解できないお父さんは、首を傾げるばかり。すると母親は・すかさず・・・・


「今あの海の家に、恐いおじさん達が居たの!」 肩で大きく息をしながら身振り手振り、必死で状況を説明した。


 お母さんの話によると、その怖いおじさんらしき人物は体格も大きく、黒いサングラスをしていて、若い衆を5~6人従えていたという。

ドッカリと腰を下ろし、その周囲を若い衆が行き来して食べ物を運んでいたらしい。

 

 その時の様子を、まだ幼い静香ちゃんは立ち止り見ていたという。すると突然!
「なんだ? これが欲しいのか!」と静香に対して声を荒げた。 その後子分らしき者たちに、何事かを命じた。


 ことの成り行きを察知した母親は、震える声で・・・
「あっ・・あのう、・・・自分で買いに行きますので・・・」 

 サングラスの男はすぐに振り向き、お母さんを睨み付けると・・・


「おまえに買ってやるんじゃ無い! これはこの子に買ってやるのだ! 」 そう言いながらテーブルの上の食べ物を、男はただひたすら食べていた。お母さんはそれ以上なにも言えなかったという。


 それから暫くすると子分らしき若者が、ソフトクリームやらフランクフルトやらを手にしてやってきて来て、静香の前で腰を落とすと・・・

「お嬢ちゃん。ハイどうぞ」と手渡してくれた。

 

 若者はその後、怯えている母親に対して優しく耳打ちをした。

「怖がらなくていいからね」その一言で母親の肩の力がすっと抜け落ちたという。


 この人物が一体何者なのか、今となっては知るよしもない。恐そうでいて、実はとっても優しい人たちなのだなって、お母さんは後からしみじみ感じたという。

 

【らでぃっしゅぼーや】有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー

満点の星空の下で


 祐太くんと真紀ちゃんの幼い2人の兄弟は、ある夜バルコニーから満天の星空を見上げていました。空気のよく澄んだ10月の空は少し肌寒くて、キラキラと光る星座の煌めきは静寂の中で、いっそう美しさが際立ちます。


「ゆうくん。まきちゃん。いいかげんに家の中に入ったらどうなの? 寒くなってきたでしょう」 
 そろそろ寝る時間がきたというので、お母さんは窓から2人に声をかけたのですが、2人はいっこうに部屋へ入ろうとはしません。時刻はもうすでに9時半を回ろうとしています。


「ほら、風邪ひいたらどうするのよ!」 お母さんは2人の手を引いて、部屋へ入れようとしたその時です。
「あっ!あれ!」 真紀ちゃんの指差す視線の先に、一瞬淡く白い一筋の光が過ぎりました。


「まあ、流れ星!・・・あんた達、運がいいわねえ」 このタイミングをのがしたら、2人を部屋へ入れる口実が見付からないというので、お母さんは子供たちを説得します。
「ほらほら、今日のところはもう寝ようね。流れ星さんだって見えたのだから」


 ところがどうした事か・・・・
「今日はここで寝るよ」と、裕太君が平然として言いだしました。

 

とつぜん飛び出した言葉に、お母さんは困惑します。
「えっ、嘘でしょう? 何バカなこと言っていんのよ、こんなところで寝られる訳ないじゃない! 第一寒いでしょう」
「いやだ!今日は絶対にここで寝るから」


 一度言い出したら後へは引かない祐太君。お母さんは困り果て、お父さんを呼ぶことにしました。ところが何故かお父さんは子供達が言うがまま。


「まあ、祐太がここで寝るって言うのなら、仕方ないな」 ”って嘘でしょ” こんなところで寝られる訳ない。とお母さんは必至で訴えます。


 バルコニーの広さは畳1畳半程、テントは有るものの設置するには狭すぎます。どうしたものかとお父さんは思案します。


「うん、あれしかないな・・・」
 お父さんはブルーシートを持って来ると、建物とバルコニーの間を屋根として包むようにして、ガムテープで固定します。露をしのぐにはこれで十分です。後は寒さ対策ですが、時期的にはまだ早いのですが、なにぶん外ということもあり、ふとんを敷いた上に電気敷き毛布を用意しました。準備するのに1時間ちょっと要したのです。


 時刻はすでに10時半を過ぎました。子供たちはもう寝る時間、2人とも枕を並べて満足そうに眠りにつきました。


 深夜1時、2人はぐっすりと眠っています。一方お父さんの方はといえば、心配でぐっすり眠る事が出来ません。


朝方4時ごろ、2人の様子が心配なお父さんが、部屋の窓を開けてビックリ! なんとガムテープで止めたはずのブルーシートの屋根が、全て外れ2階のバルコニーから、1階の土間に落ちているのが見えました。


 幼い2人の兄弟は満天の星空の下、野宿同然で眠っています。すぐに屋根を付け直そうとしたその時、騒ぎを聞きつけてやって来たお母さんは・・・・
「あらまあ!いやだ・・・なんという事でしょう」


手で口を塞ぎながら、笑いをこらえるも、おもわず吹き出してしまいそうなお母さんでした。

 

 チョコちゃんは、生まれて8か月のメスのダックスフンドで、とても人なつっこいワンちゃんです。このチョコちゃんが敦君の家にやってきたのは生後3か月目に入いた頃の事、ですからもうかれこれ5か月くらいは敦くんと一緒に過ごしたことになります。


 金髪がかった薄茶色で長毛種のチョコちゃんは、顔がすこし長めでつんとおすましした感じのかわいらしいワンちゃんです。敦君が行くところへは何処でもついて行きます。ちなみに首輪はしていますが、紐なんかはまったくいりません。なぜならとてもさみしがり屋のチョコちゃんは、誰かがそばに居ないと、いても立っても居られないほど落ち着きがなくなります。

 

 どこにいても名前を呼べば忽ちのうちに駆けつけます。そんなチョコちゃんに、ある日信じられないような災難が降りかかります。それはとても良く晴れた5月の日の事、敦君と妹の香奈ちゃんは両親とともにチョコちゃんをつれて、お出かけしました。行先は茶臼山高原です。


 ここは愛知県と長野県にまたがる高原で、標高1320メートル程あり、冬場はスキー場としても人気があります。5月のこの時期はリフトで頂上に上がれば色とりどりの芝桜が訪問客を出迎えてくれます


 チョコちゃんにとっては初めての遠出となる為、思った以上にストレスがあったようです。到着するや否や人の群れにおびえ、鳴きやまなくなってしまいました。“ワンワン、ワンワン”と吠えまくり、抱き上げると泣き止むも、下すとまた鳴きだす始末、どうにか抱っこして頂上までは行ったものの手におえず、すぐさま帰り支度。

 

 でも本当の災難はこのすぐ後に起こりました。
 下山する途中、いくつものカーブを回った先の左に大きめの貯水池がありました。その大きさは公式のプールほどあるもので、水田を流用したような感じのもので底が見えないほどに黒ずんでいます。

 

 此処はいつも風が吹いていて、常にさざ波がたっていました。辺りを見ても誰ひとりいないので、ここで少し休憩することにしたのです。
 ところが両親が景色に気を取られていると、突然 『バッシャーン!』 とけたたましい音がします。振り向くと水の中に頭までずぶ濡れで、必死になって泳いでいるチョコちゃんがいました。


「あっちゃん!あんたチョコを水の中に放り投げたでしょう!なんでそんなことするのよ」 とっさにお母さんが叫びます。
「ぼくじゃないよ!」
「じゃあだれがあんなひどいことを?」
 すぐさまお父さんが水の中から抱き上げ、大事には至らなかったのですが、全身ずぶ濡れになったチョコちゃんをタオルで拭きながら・・・なんでこんな事になったのか、チョコちゃんが落ちたすぐそばに立っていた敦君に、お父さんが訪ねたのですが・・・


「ぼくは知らないよ」というばかり。
 そこで少し離れたところにいた香奈ちゃんに聞いたのですが、見ていなかったから知らないといいます。偶然なのか、その現場を誰も目撃していなかったのです。


 水ぬるむ5月とはいえ、高原の水はとても冷たくて、時折吹き付ける風に震えの止まらないチョコちゃん。後から敦君に聞いて判ったのですが、その時貯水池を背にして敦君が、チョコちゃんを手招きしたといいます。するとチョコがもう突進して来たらしいのですが、恐怖を感じて敦君が、とっさに身をひるがえしたという事でした。

 

 目標を見失ったチョコちゃんは勢い余って、そのまま水の中に飛び込んだというのが真相らしいのです。
 足が短いダックスフンドは、長い胴をくの時に折り曲げながら、見た目以上に足が速いのです。大人の足でも追い着けないほどに速く、低い姿勢から突っ込んでくる様は恐怖を感じることもあり、敦君の話も、あながちありえないものではないと、お父さんは感じたといいます。

 

 家に帰宅してからも、そこからの数日間はその話で大盛り上がりでした。ここでの経験は、後に忘れられない思い出になったのです。なにはともあれ、今日もダックスフンドのチョコちゃんは元気よく庭先を駆け回っています。

 愛知県の三河湾に東幡豆という名所がある。ここは古くか潮干狩りが盛んで、県外からも沢山の観光客が訪れる。


 きよむ君一家がここを訪れたのは、五月初旬のよく晴れた日のこと、妹のきょうかちゃんと、両親達の四人は、昼食を止めてある車の中で済ませると、子供たちは勢いよく砂浜へと飛び出して行った。

 

 お父さんとお母さんも子供たちの後へと続く。 昼過ぎから徐々に引き始めた潮は、沖の小さな島へと少しずつ浅瀬が広がって行った。岸に程近い処で、両親は貝拾いをする事にした。傍らでは子供たちはヤドカリやコガニなど捕まえて遊んでいた。

 

 するとその時突然アナウンスが流れた・・・・
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。皆様方にお知らせいたします。沖の方に大漁旗が見えますでしょうか。あの周辺に貝は沢山います」

 

 そのアナウンスに、両親は驚いた。
「えーっ、あんなアナウンスが掛かるのだ・・・・それにしても、さっきまであんな所に旗なんか無かったじゃないか?」

 

 “いつの間に”? お父さんは小首を傾げた。
 ふと気が付くといつの間にか増え始めた人の群れが、一斉に沖へと移動して行く。周りは人影もまばらとなった。お父さんは沖の方に移動しようと、子供たちに声を掛けたのだが・・・
「僕たちは、ここで遊んでいるから、二人で行っておいで」 とあっけない返事、両親はお互い顔を見合わせた。


 とてもよく晴れた空は青く、干潟に所々点在する水たまりがキラキラと輝きを見せた。  

照りつける日差しと潮風は、心地よい香りを磯へと運んでくる。
「まあ、俺たちもここでいいか、子供達になにかあったら大変だし・・・・」

 

 お父さんはふと子供の頃を思い出した。それは小学3年生頃の事、父親に連れられて会社の旅行に同行した日の事。その日も潮干狩りで、どこの海だったか覚えて居ないが、沢山の貝を拾った記憶がある。でも帰り道、名古屋市内観光で自由行動となり、そこでなんと、一緒に来たはずの会社の同僚たちと、父は離れ離れとなってしまった。今となっては笑い話だ。その時の父親がどんな思いでいたのか想像するに堪えない。電車とバスを乗り継いでの帰宅だった。


「おかあさん! ほら見て、こんなに沢山取れたよ」 

顔に泥をいっぱい付けたきよむ君が、ヤドカリを手に微笑んだ。
「あーあっ、・・・何しに来たのかわからないわね、あんた達」 

お母さんは二人の子の顔を拭きながら、呆れ顔。


「子供はいいよ、欲が無くって。楽しければそれでいい、来た甲斐があった。良かった、良かった」
 その時のお父さんの清々しい笑顔でその場が和み、1日がとても楽しく、忘れられない思い出となった。

 

 中部地方のある山あいの町に、よねくら橋と書かれたちいさな橋がある。となりには少し大きめの真新しい橋が架けられており、交通の要所となっている。

 

 小さいほうの橋は、子供たちがもう何年もの間、通学路として使っていて、すぐ横にはお地蔵様が、子供たちを見守るように立てられていた。

 

 もうずいぶん古い話になる。ここは昔から河童が出るという言い伝えがあり、かっぱ橋と名付けた古い木の橋が架けられていた。

向こう岸には、学校や保育所や診療所もあり、住民にとっては掛け替えのない大切な橋だった。

 

 そんなある日のこと、集中豪雨がこの町を襲い、山が崩れ大量の土砂がこの町を呑み込んだ。多くの犠牲者が出たという。勿論その時の災害で橋は流され、住民は不自由な生活を強いられる事になったのである。

 

 住民の復興へ掛ける願いは、根強いものがあった。

「あの橋は住民の大切な宝物だ。何をおいても復旧を急いでいただきたい」

こうした住民の願いを、町長は次のように語った。

「壊れた道路や家屋の撤去と、ライフラインの復旧が最優先だ。橋の修復はもう少し待っていただきたい」

 

  居合わせた老人は、即座に応えた。

「それは困る。あの橋が無ければ診療所はおろか、子供たちも学校に行けない」

 この抗議に、町長は次のように返した。

「向こう岸に渡る手段は他にもある。3キロ下流に行けば、別の橋だって有る」

 

 この災害直後、町は子供たちの為、スクールバスを出すことを決定した。それでも住民の不満は収まることがなかった。

 

「老人はどうする。診療所へも行けない。路線バスだって無いし、まさか老人に6キロもの道のりを、歩けとでも言うのか」

 老人は振興事務所の窓口で、担当者に必死に抗議した。

 この話に町長は頭を痛めた。予算のめどが立たない。橋を造るとなれば、想定外の出費が予想される。国に陳情したとしても、決定されるには長い歳月がかかる。さてどうしたものかと思案した。

 

 そんな時、ある噂が町中を駆けめぐった。

「半年ほど我慢すれば、橋が出来るらしい」

 住民の間で、まことしやかにささやかれた。

 

 噂によれば、遠くの町に米倉物産という会社があり、そこの会長が、この工事の資金を出すというのだ。

会長を知るある人物がこう言った。

「まさか、あの会長がそんな事を言いだすなんて、にわかに信じがたい」

 

 一代で財を築いた知る人ぞ知る、頑固者で名の通った会長だ。おいそれとお金を出すような人物ではない。しかし住民の予想に反して、工事の準備は着々と進められたのである。驚いたのは住民ばかりではない。

 

「まさかそんな、信じられない。地獄で仏とは正にこの事だ。ありがたい、ありがたい」  

町長は米倉物産がある方向にむけて、深々と頭を下げたという。

 

 じつはこの米倉物産、会長の娘がこの地に嫁いでいて、孫の喜ぶ顔が見たいというそれだけの理由で、お金を出す事を決めたらしい。 

広報誌に、彼のこんな記述が載っている。

“私は地域で暮らす多くの人々に支えられ、今の自分があるのだと実感している。会長となった今こそ、世の人の為に、少しでも恩返しが出来ればいいと考えている”

 

 たくさんの子供たちに囲まれ、豪快に笑う彼の姿も、この誌は同時に伝えていた。

やがて時は過ぎ、いつしか橋はあらたな装いに姿を変えた。

 古くから伝えられた河童伝説も、人々の口からは聞かれなくなった。

 

 あれから十数年。米倉会長を語る人々も今はなく、橋に刻まれた”よねくら橋”の名前から、わずかにその面影を忍ぶことができる。 ふと誰かが呟いた。

 

「あれは子供たちが好きだった河童の化身に違いない」

後に子供たちと手を繋ぎ、嬉しそうにこの橋を渡る米倉会長によく似た人物が、たびたび目撃されているという。