サイコメトラー村上探偵事務所(3)
断絶の訳
突然の来客
ある朝、探偵事務所に1本の電話が入った。孝之が受話器を取ると、落ち着いた感じの女性の声が聞こえる。
電話の主は、名古屋市内に住む篠原京子と名乗った。相談したいことが有るというので、女性は今から此処に来るという。
待つこと30分、『コンコン』とドアを叩く小さな音と同時に、ガチャとドアが開いた。現れたのは、色白のうら若い感じの女性だ。
「あなたは先ほどお電話を頂いた篠原京子様ですね。お待ちしておりました、どうぞこちらに・・」と孝之は対面するソファーに案内した。
女性はハンドバッグを肩口から外し、薄手のコートを折りたたんでソファーの横に置き、ゆっくりと腰を下ろす。年の頃なら27~8歳くらいに思えた。洋子がお茶を運んできて差し出すと、女性は”すみません”と軽く会釈する。
1月12日この日の名古屋市内は、最高気温が7度まで下がった。辺りを見渡せば、街は正月気分もすっかり消え、平凡な日常生活を取り戻していた。
「では今日はどういったご用件でしょうか?」孝之が話を切り出すと、篠原京子は恥ずかしそうにして、セカンドバックから1枚の顔写真付きの名刺を取り出した。
「この男性を探してほしいのです」
手渡された名刺の写真を、孝之はしげしげと見つめた。
「ふ~ん、なかなか風格のある男性ですね」
孝之は名刺に書かれた会社名に目をとめた。水沢建設(株)営業部 井口颯太とある。
「東区に有る、あの有名な会社ですよね。ではこの方とあなたは、どういった関係なのかお聞かせ願えますか」
篠原京子によれば3年ほど前に、あるイベント会社が企画する街コンに、友人に誘われ参加した時に知り合った男性だという。
街コンとは、街ぐるみで行われる合同コンパを示す言葉であり、主催者側が一定の条件の元( 年収・年齢・募集人数・男女比率・時には共通の趣味など )募集をして行われる飲食を伴う集会であり、主に婚活などを目的に行われる。
「そうですか、3年前のコンパでお知り合いになられたのですね」
女性はうなずくと、静かに顔を伏せながら話し始めた。
「あの時私は、友人の伊藤美穂子さんと一緒に街コンに参加しました。彼も確か友人と2人で来ていました。他にも30人程が会場にいましたが、彼は私の正面の席にいたので、仲良くなったのです」
以来2人は次第に親しくなり、ほぼ毎週位にデートを重ねるようになったと言う。
その時、瞬間京子の目が微かに潤んで見えた・・・・
「でも・・・途中からは彼も仕事が忙しくて、会う機会も段々と少なくなって行き、そのうち交際も途絶えてしまい、現在に至っています」
「では彼の現在の近況とかは、分からないのですか?」京子はうんと頷いた。
「彼の携帯電話番号も、今は使われていないみたいで、伺い知る事は出来ません」(そうでしたか・・・・)と孝之は呟いた。
「・・・その後は、お会いしていないのですね?」 京子は少し躊躇する様な顔をする。
「じつは去年の暮れに、地下鉄鶴舞駅で偶然出会いました。彼は直ぐに気が付いたみたいで、手を振ってくれました。でも彼、急いでいて直ぐに電車の中へ駈け込んで・・・」
(あの時、呼び止めればよかった)と京子は悔やんだ。
しかし鶴舞駅での再会は、京子に心地良い高揚感を与えた。忘れずに居てくれた事で、楽しかった日々が色鮮やかに蘇った。
「彼と再会した後、私は名刺に記載された会社に、久しぶりに電話を入れてみました。ところが彼はすでに退職されていて、取次が出来ないと言われたのです」
「そうでしたか、知らない間に退社されていたのですね」京子はうんと頷く。
「そういえば、その時対応してくれた上司の方から、彼の忘れ物がロッカーに有るので、取りに来る様言われました」 と京子がいう。
「ではその品をお持ちなのですね。良かった、手掛かりが無くてどうしようかと悩んでいたのですよ」 孝之は、そっと胸を撫で下ろす。しかし・・・・
「ごめんなさい。今ここに、持ち合わせていないので・・・」
(家に置いてあるので、明日また此処に来ます)と言い残して、京子は事務所を後にした。
彼女へのプレゼント?
1月13日 午後6時過ぎ 名古屋の街は、家路に急ぐ人々で活気づいていた。とっぷりと日が暮れたその時、探偵事務所のドアが開いた。『遅くなりました』と京子が紙袋を手にして入ってきた。
「お待ちしておりました」 と洋子がソファーに案内した。
書類整理をしていた孝之がソファーの所までやってくる。
「例の井口颯太さんの品ですね。お持ちいただき有難うございます」
京子は包装紙の上からリボンで括られた、小さな箱を袋から取り出した。 ピンク色の絵柄の包装紙に、白い縦縞のリボンが、蝶結びされている。
「これ、プレゼントの品に見えますね。お借りしてよろしいですか?」
京子は少し躊躇する。
「これは、私の物ではないので・・・・」
「大丈夫ですよ。十分注意して取り扱いますので、ご安心ください」
「分かりました。ではよろしくお願いします」深々とお辞儀をして、京子は要件を済ませると、すぐに家路へと急いだ。
彼女が帰った後、預かった箱をソファーのテーブルの上に置き、孝之は残留思念を読み解くべく、リーディングを始めた。傍らでは洋子が、事の成り行きを見つめている。暫くすると・・・・
「この箱からは、優しくて、温かい感情が伝ってくる。女性の顔がかすかに浮かぶ・・・箱の中身は彼女へのプレゼントかも・・・」でもそれ以上は分からない。と孝之は言った。
1月14日
この日早朝から孝之は、守山区小幡に有る師匠(大迫しのぶ)相談所を、洋子と2人で訪ねた。孝之からの依頼を受けて、彼女は祭壇のある部屋に2人を招く。
「今日はどんな御用? 鑑定して欲しい物が有るのでしょう」
「見て欲しい物はこれなのですが・・・・」と京子から借り受けたプレゼントらしき小さな箱を、孝之は紙袋から取り出して手渡す。
リボンで結ばれた、ピンク色の小さな箱を”見つめて大迫しのぶは・・・
「まあ可愛らしい。これはもしかして、誰かへのプレゼントなのかしら」
洋子と孝之の2人は、互いに見つめあう。
大迫しのぶはその箱を、座敷机の上にそっと置くと、静かに手を翳した。その後手のひらを右から左へと移動する。これを数回繰り返した。
洋子と孝之は、固唾をのんで見守っていたが、やがて大迫しのぶは静かに手を下ろし、小さな箱にそっと手を合わせた。
「この品からは、暖かい心と優しさが伝ってくるわ」と大迫しのぶは言う。すると孝之も「僕も同じものを感じ取りました」 と相槌を打つ。
大迫しのぶは、そっと目を閉じて深呼吸、更にその先へと瞑想を続ける・・・・
「この品物の持ち主は男性なのね。若い女性の顔が浮かぶ、憧れの女性かしら・・・もしくは恋人。それと・・・どこか遠く・・・古い建物が見える・・・“ひぐらし”・・・の文字が見えるけど、これは何かしら? それと高齢の男女がいるわ・・・」
「僕には何も感じなかったけど、さすがに師匠はすごい」頼りにして良かった。と孝之は心の中で呟いた。
「でも私が瞑想の中から読み解いたものは、物事の断片でしか無いのよ。後はあなたが自ら足を運んで調べてね」と大迫しのぶは言う。
だが、孝之にとって、疑問は山積していた。一番知りたかったのは井口颯太の足取りだ。彼が今何処にいるのか、何故会社を辞めなければならなかったのか? などなど・・・・
そこで孝之は篠原京子から聞いた、井口颯太とのここ迄の経緯を、大迫しのぶに説明した。
「じゃあ、井口颯太さんという男性は、行方が分からないままなのね」
うん、と孝之は頷く。
「一番知りたいところは、じつはそこなのですが・・・」
「分かったわ。私も出来るだけ協力するから、何時でもここに相談にいらっしゃい」と大迫しのぶは言う。“ピンクの箱は、良く調べる必要があるから預けてほしい”と言った。
次の一手が見つからない
帰りの車の中で、洋子は窓の外を流れる街並みを見つめ、考え事をしていた。
「しのぶさんが言っていた古い建物って、一体どんな建物なのかしら」
孝之は、大迫しのぶが言っていた、意味不明な言葉を思い出した。
「そういえば、”ひぐらし”の文字が見えるって、師匠が言っていたよね」
そこで2人は“ひぐらし”という名の建物がどれ位有るのか、思い当たる施設を想像しながら羅列する。それを孝之が1つ1つよみあげる。
「喫茶ひぐらし・レストランひぐらし・和食何処ひぐらし・ひぐらし書房・クリーニングひぐらし・ひぐらし商店・・・」どれも有りそで、無さそで、紐づければ無限に広がる。
考えるだけ無駄と結論付けた。そこで洋子は孝之にある提案をした。それは水沢建設を訪ねてみると言うもの。井口颯太が会社を辞めた経緯と、現在の彼が何処にいるのか、勤務先だった会社なら、ある程度把握しているだろうと判断した。
時刻は午後1時を回る。 洋子と孝之はその足で、水沢建設(株)名古屋営業所を訪ねてみる事にした。
大迫しのぶ人生相談所のある守山区から、東区の水沢建設(営業所)までは隣の区に位置していて、時間にして20分ほどで到着する。
相談所を後にした2人は、名鉄小幡駅を右折して、通称瀬戸街道を直進する。やがて矢田町交差点を左方向に緩やかにカーブすると、直ぐにバンテリンドームが左奥に見えてくる。すぐ近くに目的地の5階建てのビルが見えてきた。そこから裏手に回り込み車を止めた。 雑居ビルの1階部分に位置するこの会社は、全ての窓がブラインドで閉ざされていて、中の様子が全く見えない。
物語の大筋が見えた
「水沢建設(株)か・・・うん、ここで間違いない」
孝之が分厚いガラスドアを押し開けると、続いてその奥の自動ドアが開いた。2人は導かれるように事務所内に入った
「いらっしゃいませ!」の声と同時に、1人の女性がカウンター越しにやって来た。胸には吉村と書かれた名札が付けられていた。
広いフロア―には20席ほどの事務机と椅子が、整然と並べられていた。そのどれもがパソコンと資料など積み上げられている。だが、社内には女性社員が数名いるだけで、他に男性社員などは見当たらない。
「初めまして。私は探偵事務所を運営している村上孝之と申します」と名刺を差し出した。
女性は訝る様な眼差しで2人を見つめる。
「当社に何か御用ですか?」
孝之は咄嗟に感じた。相手は明らかに不穏な眼差しで、こちらの出方を窺がっている。
「私たちは、けして妖しい者ではありません。こちらに、以前勤務されていた井口颯太さんの近況をお教え願いたくて・・・」と、その旨伝えると、女性は安堵の表情を浮かべる。
「少々お待ちくださいませ」と言い残して奥の部屋に消えていった。
程なくして現れたのは、大柄で割腹のいい中年男性だ。
「お待たせしました。副所長の中川と申します」と彼は名刺をくれる。遅れ馳せながら孝之も名刺を差し出す。
「村上孝之様ですね。先ほど吉村から事情は伺いました。井口颯太さんの件ですね。――失礼ですが貴方たちは彼と、どういった関係ですか?」
その対応から、中川氏は物静かでいて誠実な男性に思えた。
「私たちは井口颯太さんの彼女さんから依頼を受けて、彼の近況を確かめる為に此処にやって来ました」
「そうでしたか、ところで彼女さんとおっしゃるのは、篠原京子さんでよろしいですか?」
孝之はうんと頷いた。(篠原京子を知っているという事は、忘れ物の小箱を彼女に手渡したのは、この人物に違いない)
話が長くなると判断した中川氏は、2人をカウンター越しのソファーに案内する。
間仕切りされた空間は、落ち着いた雰囲気が醸し出されていた。
「では井口颯太さんについて、知っている範囲でお話しましょう」
副所長の中川氏は、2人と相互に視線を交わした。
「彼は半年程前に、家の事情によりここを退社されました」 そう話す中川氏の表情からは、去ってゆく同僚を見送る寂しさが伝ってくる。
「―――そうでしたか。井口颯太さんの彼女から話は聞いています。でも家の事情というのは、今初めて知りました。彼女もその事は知らなかったと思います」
その時、孝之は篠原京子の話を思い浮かべていた。
中川氏は奥の部屋から彼の営業成績を記録した資料を持ってきた。
「彼はとても優秀な社員でして、当社としては大変残念でした。でも苦渋の決断との事なので,やむなく退社届を受理しました」
「なるほどそうでしたか・・・では彼が言う処の家の事情とは、具体的にはどの様な内容でしたか?」
「詳しい事情は知りませんが、何でもお父様がご病気になられて、それで家督を相続して欲しいと言った内容だったと思います」
その話を聞いて、孝之は彼の身に、急を要す事態が起きたのではないかと思った。
―――それにしても、井口颯太は何故京子に、その説明をしなかったのだろう。
「それなら京子さんに、連絡しなかったのは何故かしら?」と洋子は言った。
「僕も今同じ事を考えていた」
しばし沈黙の時が流れる・・・
そこから中川氏がおもむろに言葉を発する。
「私が彼の立場だったら、やはり同じ行動をしていたかも知れない。何故なら彼の実家は石川県加賀市に有るからですよ」
「えっ・・・・」と小さく、孝之は言葉を発した。
「彼の実家は両親がビジネス旅館を経営なさっています。家督を相続するとなれば、彼女には大きな負担となるはず。彼はその事を思い悩んでいたと思いますよ」
“なるほど、確かに中川氏のいう事も一理ある。篠原京子にしてみたら、人生の岐路に立たされる訳で、今までの生活環境が大きく一変する。”
「井口颯太さんの口から、一緒に来てくれとは、言えなかったのでしょうね」
時刻は午後2時を回ろうとしていた。話し始めてから30分は経過したことになる。
「じつは彼は、私が卒業した大学の後輩にあたります」
「えっ、そうなのですか・・・なるほどそうでしたか」
”それなら中川氏が、彼に目を掛けるのはごく自然の事と言える・・・”
ふと孝之は大迫しのぶの、ある言葉を思い出した。(ピンクの箱からは、暖かい心と優しさが伝わってくる)・・・あの言葉が脳裏から離れない。
「ところで、あの白いリボンで結ばれたピンクの箱は、井口颯太さんが彼女の為に用意した、プレゼントなのでは?」孝之の問いかけに、中川氏は首を横に振る
「あれは私がロッカーを確認した際に、見つけたものなのですよ」
「ではその後、彼からの連絡は有りませんでしたか?」
「ええ、電話は有りました。ロッカーにピンクの小さな箱が有るから、京子さんが来たら渡して欲しいと言っていました」
“そうか、やっぱり彼女へのプレゼントなのだ。交際が途絶えたなんて、ただの思い過ごしに過ぎない。現に井口颯太は今でも、彼女への思いが断ち切れないでいる。”
洋子はここまでの中川氏から聞いた話を、静かにメモ帳に記入していた。
「ここを訪ねて、ほんとに良かったね、孝ちゃん」
「うん、洋子ちゃんに言われなければ、ここには来なかった」
ここに来た事で、事態は大きく進展した。孝之は視線を中川氏に向ける。
「中川さんのお話、凄く参考になりました。お忙しい中、本当に有難う御座いました」
2人はお礼の言葉を残して、深々と頭を下げて営業所を後にした。
真相を究める
1月15日早朝
預けてあるピンクの箱を貰い受ける為に、大迫しのぶ人生相談所を2人で訪ねる。通勤時間帯という事もあり、道路は少し混んでいた。矢田町の交差点を通り過ぎると、片側1車線の対面通行となり、連なる車の列が続く。名鉄小幡駅横を左に曲がると、車の数はグンと減る。午前8時半、相談所到着。
玄関口から中に入ると、すでに数人の相談待ちの人達がいる。大迫しのぶが2人を見つけると、奥の部屋へと手招きをする。中に入ると横長のこたつテーブルが置いてあり、その上にピンクの箱が置かれて有った。孝之と洋子は大迫しのぶと対面して並んで座った。
「このピンクの箱の中身は、彼女、篠原京子さんの運命を、変えてしまうかもしれない、大切な物が入っているわ」と大迫しのぶが言う。―――2人は不意を突かれて返す言葉を失う。
「彼、井口颯太さんの強いメッセージが伝ってくるのよ・・・」
「も、もしかして、箱の中身は婚約指輪では???」しのぶは、無言で微笑み頷く。
「孝ちゃん、私腑に落ちない事があるの。なぜ彼の携帯電話が、突然繋がらなくなったのか、凄く気になる」
「うん、僕も気にはしているけど・・・ただ明確な理由が見つからない」
洋子には他にも気にかかる事が有る。それは中川氏が言った、ビジネス旅館の跡目相続の話だ。
「孝ちゃん、もしかして、しのぶさんが前に話してくれた“ひぐらし”の文字って、中川さんが言っていたビジネス旅館と結びつかないかしら」
「そうか! ビジネス旅館ひぐらし??・・・もしかしたら有るかも・・・」
ふと時刻を見ると、時計の針は8時50分を指している。
「ごめんなさいね。お客さんの面談が有るから私は行くけど、また聞きたいことが有ったら何時でもいらっしゃい。預かっていた大切な小箱、忘れないで持って帰ってね」と言い残して大迫しのぶは部屋を出て行った。それで孝之たちも帰宅の途についた。
午前10時 事務所に戻った2人は、すぐにパソコンを開き、グーグルマップで検索すると、ビジネス旅館ひぐらし、の建物が表示された。加賀温泉駅から徒歩5分とある。
「孝ちゃんこれ見てよ、ビジネス旅館ひぐらしだって。鉄筋3階建で、屋根が瓦風の和風建築なの。スッゴイお洒落 」興奮気味に洋子がいう。
「それなら2人で訪ねてみようか、そのビジネス旅館ひぐらし、とやらに・・・」 孝之は、確信めいたもの感じとった。
すぐさま孝之はグーグルマップに記載された電話番号に連絡を入れる。電話に出たのは井口颯太本人である。
「もしもし・・・はい・・・こんにちは・・・井口颯太様ですね。 わたし村上探偵事務所を経営している村上孝之と申します・・・・」
孝之は篠原京子からの依頼で、井口颯太本人の現況を、調査している旨を伝える。なを、ピンクの小箱は調査の必要上、彼女から借り受けていることを伝えた。すると思いも拠らない返事が返ってきた。
「えっ、サプライズ・・・ですか? はい・・・ではお伺いします」
ここに至る経緯を説明するから、明日午前中に来て欲しいと井口颯太は言う。そこでJRの時刻表を、孝之は急遽確認する事になる。
真相極まる北陸の地
1月16日 午前7時40分 洋子と孝之の2人は、名古屋駅で待ち合わせて、4番ホームから特急・しらさぎ1号、7時51分発に乗り込む。米原経由で敦賀駅9時27分着。北陸新幹線つるぎ8号に乗り換え加賀温泉駅に10時23分に着いた。駅南口から外に出ると視界が一気に開ける。一面住宅街と、すぐ傍には美術館がある。
洋子がスマホのグーグルマップを開いて、ビジネス旅館ひぐらしを検索、すぐに建物が目に留まる。駅正面の信号を左折して数百メートルで、目的の旅館に行きついた。鉄筋3階建てのこの建物は、屋根瓦が洋風の黒色で出来ていて、両開きの自動扉が有り、すぐ横には大きな石の壁にさらさらと水が流れる。
10時40分
「約束の時間になったから、中に入ってみようか」 と2人が玄関口に立つと、自動ドアがすぐに開いた。
「いらっしゃいませ。貴方は昨日電話を頂いた村上様ですね、お待ちしておりました」 紺色の作業着らしき服を着た男性が、ゆっくりと近づいてくる。
「こんにちは。村上孝之です。その節は有難うございました」
すぐに名刺を差し出す。
「探偵業をなさっているのですね。私は井口颯太と申します」と声を掛けて、ホールに片隅にあるソファーの1つに案内してくれた。ソファーは全部で3つ。一番奥にある窓際の席に座る。
「御覧の通り、今は旅館を改装中でして、ご不便をお掛けします」
辺りは数人の業者が、改装工事をしている。何も知らない孝之は、状況を目の当たりにして恐縮する。
「こんなお忙しい時に、お邪魔して申し訳ありません」 と頭を下げる。
「いえいえ、そんな事は御気になさらないで下さい。篠原京子さんからの依頼とお聞きした時に、私は居ても立っても居られない、胸騒ぎを覚えました」井口颯太の顔が、ほんのり赤く染まる。
彼女と連絡が取れなくなった事を、彼は悔やんでいたという。
さっきから孝之は、この男性の年齢がいくつなのか、ずっと気になっていた。
「失礼ですが貴方様のお歳など、お伺いしてよろしいでしょうか?」
「はい、私は良く老けて見られますが、これでも29歳なのですよ」と恥ずかしそうに言う。
「でも、年相応に見えます」と孝之は返した。
他にも気になる事が有る・・・・
「1つ質問が有ります。あの時なぜ携帯電話が突然繋がらなくなってしまったのですか?」と孝之は首を傾げる。
意思の疎通が途絶えた事で、2人に最大危機が訪れたと孝之は考えた。
「じつは父親が脳梗塞で倒れた、と母から連絡を受けた時、私はパニックになり、携帯をアパートの外階段から落としてしまったのです」
その時彼女の連絡先も、保存していた情報もすべて消えたと彼は言う。
「でも携帯を変えたとしても、貴方の電話番号は変わらないのでは? 篠原京子さんは電話が繋がらなかったと言っていますよ」
井口颯太は首を横に振る。
「以前から私の携帯は、詐欺電話の温床となっていました。だから、この機会に電話番号を変えたのです。彼女に新しい電話番号を知らせるために、プレゼントのピンクの箱には、新しい携帯番号のメモを入れておいたのです」
“なるほど、それならお互いに連絡が取れなかったことも納得できる。”
「そうでしたか・・・それで、お父様の病状の方は大丈夫ですか?」
孝之は、彼の父親の体調を案じた。
「父は救急車で病院に運ばれて一命を取り留めました。でも先生からは、仕事の復帰は無理ではないかと言われ、母から家に帰るよう説得されました」
「ちょっといいですか・・・失礼ですが井口颯太様は、篠原京子さんとご結婚をなさるお考えですか?」と洋子が重い口を開く。
「ええ、・・・彼女とのお付き合いは、3年に及びます。お互いの気持ちは良く分かっているつもりでいました。でも連絡が取れないことにいら立ちを覚えました。あのピンクの小箱は、彼女への結婚の申し込みと、私の携帯番号が、婚約指輪と一緒に入れて有ります。もし彼女が封を開けていたなら、必ず連絡が来るはず」
彼は彼女からの連絡が来るのを信じて、ずっと待ち続けたという。地下鉄鶴舞駅で見かけた時に、彼女は何の素振りも見せなかったので、自分は振られたのだと感じたという。
「なるほどね、でもそれは違うと思います。彼女は私の事務所を訪れて、井口颯太様を探して欲しいと懇願されましたよ」 と孝之は言う。
「その事については貴方様からの電話で、彼女もまた私を探している事を、初めて知りました」
孝之はその話を聞きながら、何も知らされていない篠原京子が、今も置き去りにされたまま、そこにいる事が、少し気掛かりとなる。だからと言って、今ここから電話を入れる事にも躊躇する。何故なら井口颯太が電話でのやり取りの際に話してくれた、サプライズの言葉が気にかかる。
「あの箱が、封を開けられないまま村上様の事務所に有るのなら、私と彼女が名古屋で合流して事務所を訪ねる、そこであの箱を、何も知らない彼女に開けてもらう、というサプライズはいかがでしょうか」
「なるほど、それは面白いかも・・・ではあらかじめ井口様から彼女に、名古屋で合流する打ち合わせをして下さいね。連絡先については、私が彼女から教えられた携帯番号を、後でメモに書いて渡します」
「分かりました」
孝之は、篠原涼子から調査の依頼を受けた時に、彼女から聞いた連絡先をメモに書いて井口颯太に手渡した。
「では私たちはこれでお暇します。長い間お付き合い頂き、有難うございます」
孝之は敬意を示し、深々とお辞儀をして帰郷の途についた。
相思相愛の仲
加賀温泉での取材から、すでに2週間以上が過ぎていた。このところの名古屋市内の気温も、日中は暖かさが感じられる様になった。
1月29日 12時30分 この日、井口颯太と篠原京子の2人が、午後1時にここにやって来るというので、洋子と孝之は急遽、探偵事務所の掃除をする事になった。
「窓ガラスも拭いたしテーブルも拭いた。床にはゴミ一つ無し。孝ちゃん、これ位でどうかしら?」洋子は、2人を迎える準備を終えた。
ほどなく『コンコン』とドアをノックする音がする。入ってきたのは井口颯太と篠原京子の2人連れだ。
「お久しぶりです、その節は大変お世話になりました」と井口颯太が言う。すると篠原京子も後に続いた。
「長らくご無沙汰しておりました。村上様にはご無理なお願いを聞いて頂き、本当に有難うございました」
「そんな、私達は何もしておりませんよ。良かったですね、お2人念願の再会が叶って」
2人揃いの姿が孝之にとっては、暖かくて眩くも感じられた。
「遠い所からお越し頂き有難うございます。こちらでゆっくりお寛ぎください」と洋子が奥のソファーに案内する。2人は上着のコートを畳んでソファーの横に置き、静かに腰を下ろす。すぐにお茶が運ばれてくる。
「早速ですが、京子さんからお預かりしていた、あのピンクの箱をお返ししますね」と伝えて、奥の部屋から、孝之がリボンで結ばれたピンクの箱を持ってくる。
「でもそれは颯太さんの忘れ物ですよ。私はただ単に中川さんからお預かりしただけですから」と京子は言う。颯太は京子を見つめて優しく微笑む。
「この品物は、京子さんに渡すつもりで、あの会社のロッカーに保管していた物なのですよ。3年間お付き合いしてくれたお礼に、僕の思いを込めた手紙が入っています。どうぞ受け取ってください」そう伝えて、井口颯太はあらためて、京子にその箱を手渡した。京子の顔が真っ赤に染まる。恥ずかしそうにして・・・・
「開けてもいいですか・・・」 と小声で呟く。『どうぞ』と颯太が手を差しだす。
リボンを慎重にほどき、包み紙を奇麗に畳んで丁寧に箱を開くと、2つ折りにされた便箋が出てきた。宛名には篠原京子様とあり、3年間の思い出が綴られていた。その下には小さな四角い箱が見える。その時・・・・ ソファーから静かに立ち上がり、井口颯太は姿勢を正した。
「京子さん。僕は今日、貴方にプロポーズする為、此処に来ました。これからの人生を、僕と一緒に同じ道を歩んでくれますか?・・・お願いします!」と頭を下げ、手を差し伸べた。
突然の告白に、京子の目から涙が溢れだした。恥ずかしそうにして俯く・・・・
「・・・私なんかで、いいのですか?・・・本当に私でいいの?」 颯太は”うん”と頷く。京子はバッグからハンカチを取り出して、泪をぬぐいながら(おねがいします)と小さく呟き頭を下げた。颯太は彼女の手をしっかりと握りしめた。
洋子と孝之は拍手をしてエールを送る。
「よかったですね、京子さん。颯太さんはお父様が突然病気になられて、家督を継ぐため自営の旅館を改装され、只今頑張っている最中なのですよ」と洋子が伝えた。
「ごめんなさい、颯太さん。私・・・何にも知らなくて、嫌われてしまったのだと誤解していました。今日、颯太さんの本心を知らされて、嬉しかった」
颯太は、京子の胸の内を垣間見て、目頭が熱くなった。
「幼いころから私は、旅館業に携わる母の苦労をずっと見て育ちました。母は父と2人でお客様の食事の支度や、客室の清掃、浴衣とシーツの交換など、忙しく駆け回っていました」
旅館業が忙しいのは、どこも同じだ。だからと言って人を雇えば人件費がかさむ。
小さなビジネス旅館が利益を出す為には、家族総出で動き回らなければならず、その事で颯太は思い悩んでいた。京子に母と同じ苦労はさせたくない。そこで考えたのが・・・
「私の親しい知人に、和食店を経営している人がいます。そこで、旅館のお客様で食事を希望する方には、当日限りの割引券を渡して、そのお店で食事を提供してもらう。新たにそんな契約を取り付けました。そうすれば、無理に動き回らなくてもいいと考えたのです」
「そうでしたか。良かったですね、京子さん。貴方の事をよく理解されている、素敵な男性に巡り合えて」と孝之が言う。京子は目に一杯涙をためて・・・・
「孝之さん、洋子さん。有難うございました。一昨日颯太さんから連絡がきた時は、私は驚くと同時に何が起きているのか、まったく理解できませんでした。でも、こんなサプライズが待ち受けていたなんて、夢のようです」
京子は穏やかな表情を浮かべて、颯太を見つめた。
「私は知らない土地に行く事になると思います。でも颯太さんを信じて、何処までもついて行きます」
「そうですよね。愛が有れば、恐れるものなんて、何も有りませんよ。ねっ孝ちゃん」洋子は孝之の目を見る。
「ところで、“ひぐらし”とは、ちょっと変わった名称ですね」と孝之が言う・・・
「それは創設者の祖父が考えたものなのです。ひぐらしとは、夕暮れ時になると鳴く蝉の名称です。夕暮れ時に宿に困った旅人が、気楽に泊まれる旅館と言う意味を込めたのです」と颯太が言う。
「そうでしたか。それはすばらしいですね。・・・ではお2人とも、末永くお幸せに、ご縁が有ったら又どこかでお会いしましょう」
「ええ、楽しみにしています。その時は、またよろしくお願いします」
2人は深々と頭を下げて、仲睦まじく帰って行った。
「ところで洋子ちゃん、あの、ひぐらしって・・・あたまに2文字追加すると、意味が全然変わっちゃうよね」
「えっ何を言ってるの?? 孝ちゃん」
孝之は洋子の耳元でささやく。
「・・・・」・・・。
「そ・の・ひ・ぐ・ら・し?? え~っ嫌だ、まじ、あり得ない・・・最低・・・」
「了」


