中国史を語る(太宗③) | ぷるん・ぷるん

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三国志を語るをお休みして中国史・太宗のお話の続きでーす。










北伐の敗戦後の数年後、遼のショウ太后の臨朝摂政の






機に乗じて和議の打診が立たれたあと、




今度は十分に準備をして






987(雍熈三年)に30万の大軍を動員して北伐を開始しました。








宋軍は前回と同じく先勝し、後に糧秣補給リョウマツホキュウや部隊同士の協力がいまくいかず、






岐溝関・陳家谷・君子館で続々と惨敗し、宗軍は20万人を失いました。








楊家将ヨウカショウ



の楊業を含め、太祖時代からの精鋭部隊を




ほとんど失ってしまった。








その後、太宗は水田を開拓したり内政へと転じていきました。






続く






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最初から内政に力いれときなさいよ~。て感じですね。




なんかどの時代にも「北伐」って苦労してるよね(笑)






20万人の命が失われるなんて、なんて恐ろしい時代なんでしょうか。






ふ・・と思いますけど、こうゆう上に立つ皇帝なんて戦で亡くなった人のことなんて




なんとも思ってなかったのかな。






ドラマで、北宋第4代皇帝・仁宗の話で孤城閉て歴史ドラマみましたか?




正直、退屈なドラマだな~て思ったけど、仁宗の時代は平和だったんだなぁ。。と




思う。民も戦がなくて平和に暮らし、後宮では、いろいろ女の闘いもあったけど、




ドラマとしては退屈だったけど、戦争のないのが一番ですよね。