2024年旅行① 東京研修旅行 その2 上野公園(東京都台東区) | シンカの進化

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2024年4月13日(土)「2024年旅行① 東京研修旅行」記事の続きです。
 
東京都台東区にあるJR上野駅に降り立った僕。
 
新潟の桜はちょうど満開でしたが、それを捨ててまで東京にやってきた僕。
 
東京の満開を過ぎ去った桜はどんなだろうか、観てやろう、と思って桜の名所である「上野公園」へやってきました。
 
まあ、休日の上野公園はすごい人。
 
休日でなくともすごい人なのかもしれませんが…
 
上野公園の入口です。

上野公園の桜です。
 
画像にするとまだまだ咲いているように見えますが、
 
結構葉っぱの緑が混じっています。

近写してみました。青空がきれいですね。薄桃色と緑色の葉っぱの組み合わせも悪くないかもしれません。

上野公園の桜、生まれて初めて観ることができました。満開ではなかったですが… ピークは過ぎてしまいましたが…
 
上野公園の歴史を探ってみましょう。
 
正式名称は上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)と言うそうです。
 
以下、Wikipediaよりお借りしました。
 
東京都台東区にある公園。通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから「上野の山」とも呼ばれる。面積は約53ヘクタールである。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園等、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は台東区の町名でもある。
 
東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる。

高台となっている忍ヶ岡は、近世からソメイヨシノの名所としても有名であり、日本さくら名所100選に選定されている。桜の開花時期になると、大勢の花見客が押し寄せることで有名である。また、忍ヶ岡の南に位置する不忍池(しのばずのいけ)は、夏には池の一部を覆い尽くすほどの蓮に覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。冬には鴨をはじめとした数多くの種類の水鳥が飛来し、とても賑やかになる。

江戸時代、三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てた。以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医アントニウス・ボードウィン(「ボードワン」とも呼ばれる)が、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。

2012年時点で、世界に文化と芸術を発信する「文化の森」を創出することを目的として、2010年度から2015年度までの計画で「上野恩賜公園再生整備事業」が行われている。
 
だそうです。
 
歴史のある公園ですね。
 
では!