夏のこと
この夏、いかがお過ごしでしたか。
わたしは、
宇宙ミュージアムに行ったり、
ももクロのライブですごくいい席を引き当てて久しぶりにフォーメーション組んで歌うあの子たちの表情までちゃんと肉眼で見れたり、ずぶ濡れになったり、
引っ越したばっかりの友人の家にお邪魔したり、
雲田はるこ先生の展示見に行ったり、
長岡花火を久しぶりに右岸の土手で見れたり、
ドラえもん観にいってドラ泣きしたり、
大地の芸術祭の里に行って遭難しかけたり、
天然かき氷食べに行ったり、しました。
あと、
甲子園に熱くなったり、
マンガ読んだり、ゲームしたり、おいしいもの食べたり、久しぶりの人たちに会ったり
ナスを重点的に食べたり(紫推しになる前からナスが一番好きな野菜です)しましたね。
わたし基本的に夏が苦手なんですが。
なんかすげー楽しんでるっぽいな。
毎日一分一秒に幸せなんて感じなくていいのかもしれない。
その人の幸せはその人にしかわからないから
周りがとやかく言うことでも、他人と比べることでもないなぁと
思うんですが
他人と関わって生きていくっていうことは、
そういうものにさらされて生きていくことだなぁとも思うし。
そういうのを煩わしいなぁと思うわたしはとても子供なんでしょうけど
もう、そういうこと言ってられる年でもないなぁとも思う。
秋は、大阪に行きたいです。
USJ行く。
・・・めっちゃ楽しそうじゃん、わたし。笑
その瞬間、その瞬間は楽しんでるんだけど、
日常に、生活に、満足していないからなんだろうなぁ。この感じ。
*
ドライブに行ったときにあげたCDについて。
「DJ SHIORI SUMMER DRIVE MIX 2014(急ごしらえVer.)」
01.そうだレキシーランド行こう /レキシ Feat.MC末裔,MC四天王 --レキツ
02.愛の標識 /クリープハイプ --死ぬまで一生愛されてると思ってたよ
03.BGM(!!!!!?mix) /アナログフィッシュ --KISS
04.ライフスタiLL・メイクスマイル /the chef cooks me --ライフスタイル・メイクスマイルコンパクトディスク
05.WE LOVE CITY /the chef cooks me --ライフスタイル・メイクスマイルコンパクトディスク
06.スタンディング・ニッポン /氣志團 --日本人
07.放課後ゲタ箱ロッケンロールMX /私立恵比寿中学 --中人
08.Cheese Burger /フジファブリック --シングルB面集2004-2009
09.SHIP /group_inou --FAN
10.ばらの花 /奥田民生 --くるり鶏びゅ~と
11.雨のぼり /セカイイチ --淡い赤ときれいな青と
12.BGMの向こう側 /the ARROWS --昨日 今日 トゥモロー
13.大人はわかってくれない /私立恵比寿中学 --中人
14.サニーサイドメロディー /EGO-WRAPPIN' --BRIGHT TIME
15.誘惑したいや /私立恵比寿中学 --中人
一応、ドライブっぽいイメージを持ちつつもゆるやかに挫折。
エビの「誘惑したいや」がすごく名曲。
暗闇の中で手探りで触れたもののしなやかさを思う
このたび、我らが高城れにちゃんが表紙を飾り、100ページに迫る大特集を組まれた「Quick Japan」が発売された。
それを読んだ、感想を書くことにする。
*
ももクロに出会ってから、高城れにちゃんに出会ってから、
幾度となくその魅力を言語化しようと試みてきた。
このブログでも何度も、書いては消し書いては消しを繰り返し、挫折し、アップしたとしても伝わらないもどかしさしか残らないという葛藤を3年近く続けてきた。
友人に話すときも同じで、
数年前まで同性はもちろん異性のアイドルにも興味を示さなかったわたしが、
なにがどうなってももクロにここまで執着するようになったのか。
中でも、どうして紫のあの子に執着するのか。
「なんで?」と聞かれることも多くて、
説明したいけど絶対伝わらない自信があるため、曖昧に濁すことがほとんどだった。
彼女たちについて語られている言葉は、それぞれが本当のようで真実ではない。
「全力」、そんな便利な言葉で言い表さないでほしい、
「泣ける」、彼女たちは我々のノスタルジーやセンチメンタリズムを満たすものじゃない、
彼女たちの一分一秒はそんなに簡単で軽くはない。
と、言うように非常に面倒くさいことになるので
最終的に一言、「感じてくれ」としか言いようがない。
きっと、ももクロの特集記事を書いた小島さんも
同じ思いだと思う。
特にれにちゃんがまとっている、にじみ出るような人間愛とか優しさとか、
変なことを堂々と宣言した一秒後に絶望的に自信をなくすみたいなところとか、
なのにまたその一秒後にそれを忘れてはしゃぎまわる、みたいなところとか、
理解不能なタイミングで変なポーズしたり奇声を発したり、
誰かのために自分をいとも簡単に犠牲にしたり、必死に誰かを守ったり、
それを当然と思っていたりするところ、
初めて出会った人に神様みたいに愛しげに微笑んだり、
一方で鬼のように人見知ったりするところ、
なんていうんだろう、彼女の危なげな儚げな雰囲気と相反するような逞しさや強かさみたいな部分って
インタビューとして文字にされると途端にありきたりな文章になってしまう感じがして。
今までも何度もももクロとして、一人一人のインタビューがあったし、
夏菜子に関しては100ページを超える特集が組まれたり、
その他のメンバーも単独で特集を組まれていたことがあって、どれもたいていは目を通しているんだけど、
どうも、肩透かし感がぬぐえなかったのが本当のところで。
それってなんでかな、と考えていたんだけど、
たぶん、彼女たちが「考えていなかった」からなんじゃないかと。
わたしたち大人は、彼女たちの痛みとか苦しみとか悲しみとか
そういうのを隈なく想像できてしまって(正確に想像できているかどうかは置いておいて)
彼女たちの苦悩を自分たちで勝手に解釈してしまうし、
そのあとに見せた彼女たちの表情や仕草で心の動きを想像できてしまう。
それを言語化しようとして理解しようとして言葉にする。
きっと、こう感じてこう考えてこうしたに違いない、と。
きっと、もしかして、彼女たちも同じ思考回路をたどったのかもしれない。
しかし、そこに彼女たちの意図は介在していない。
無意識に彼女たちは強くなる、
というと語弊があるけど、
たぶん、ものすごく、無駄なこともやっているんだと思うけど、
「無駄なことなんて何一つないよ」
とか
「夢は絶対叶うよ」
とか
そういう一見滑らかで心地よさそうな布に乱暴に包んでしまうみたいな強さっていうか、雑さっていうか、
傍から見たらどう考えてもあれごわごわした布じゃね?と思われているのにも気づかない夢中感、
ただひたすらに目の前のものだけに熱中してる感じ
で、終わったら忘れてしまう。
血肉にはなっているかも知れない。
でも、それになにが紐づけられているかは本人たちもわからないままだったのだと思う。
そこに意図を見出して、ドラマを展開させていくのは大人の役割で。
それを受け取った大人は大人で、大人の中だけで意図を作り拡散していく。
だからこそ、
アイドルっていうのはイタイケナ少女が似合うわけで、
それを裏で操るおっさんたちは嫌われるわけだ。
だから、普通、ドルヲタってのはアイドル本人たちを罵ったりしないものだ。
それを回避させるためのスケープゴートがプロデューサーなんだから。
つまり、我々はイタイケナ少女たちがもがき苦しみ、キラキラ輝いていく過程を
演出家や作詞家や作曲家、マネージャーや衣装やメイクの担当の大人たちの手によって
作り上げられた壮大なフィクションを追っているに過ぎない。
そんなこたぁ百も承知なのだが。
だけど、一方で少女たちは等身大で傷つく、もがく、喜ぶ、泣く、舞い踊る。
強くなる。
わたしたちの見えないところで、わたしたちに知る由もない方法で。
(その過程を“余すことなく”見せていると感じさせられるレベルのフィクションでみせることをしてきたのがももクロの強みだし、ファンたちにその過程を一共犯者として共有させたことがももクロの成功の要因であるのは語りつくされていることだが)
だから彼女たちは、
自分自身の中に起きている変化を、進化を、体現はできるかもしれないけれど、
意識的にインタビューの中で言葉として伝えたり、分析したりできなかったのだと思う。
無意識に彼女たちは強くなる、
というのはそういうことで
ある日朝起きたら、乳歯がぐらぐらしていて少し経ったら抜けて永久歯が生えてきて、
っていうそういうレベルで彼女たちは変化してきたのだと思うのだ。
だからこそ、
彼女たちのインタビューに肩透かし感がいなめなかったのだろうと。
*
だから、今回れにちゃんの特集も正直不安のほうが大きかったのだけれど、
わたしは驚いたのだ。
れにちゃんは闘ってるんだな、と感じたから。
毎日毎日闘ってるんだな、と感じたから。
彼女の敵はなんだろう。
きっとそれは本人にもわかってない。
だけど、一秒前も過去だと言う目に浮かぶのはきっと闘志だろう。
彼女が闘うのは、一秒前の自分かもしれない。
止まらない時間かもしれない。
誰も見たことのない場所かもしれない。
彼女が素敵なのは、
漠然としたそういう闘志を糧に変えられるところだ。
そしてあいかわらず彼女の言葉の端々ににじみ出る眼差しの優しさと神経の細やかさに
胸を締めつけられた。
わたしもこういう風に生きたい。
心底、そう思った。
*
紫のあの子を思いながら凍える雪国にて
夢みた舞台に立つ春を思う
※ずっとアップできなかったので加筆修正してアップすることにする。
春の嵐吹き荒れた国立が5色に染まり、彼女たちはまた、前へ進む。
まだ肌寒い夜風に吹かれ、聖火を背に彼女たちが紡いだ言葉。
驚くことなかれ、これがアイドルだ。
毎度そう思いつつ、心底驚く。
そうだね、
やっぱりアイドルってすごい。
それを読んだ、感想を書くことにする。
*
ももクロに出会ってから、高城れにちゃんに出会ってから、
幾度となくその魅力を言語化しようと試みてきた。
このブログでも何度も、書いては消し書いては消しを繰り返し、挫折し、アップしたとしても伝わらないもどかしさしか残らないという葛藤を3年近く続けてきた。
友人に話すときも同じで、
数年前まで同性はもちろん異性のアイドルにも興味を示さなかったわたしが、
なにがどうなってももクロにここまで執着するようになったのか。
中でも、どうして紫のあの子に執着するのか。
「なんで?」と聞かれることも多くて、
説明したいけど絶対伝わらない自信があるため、曖昧に濁すことがほとんどだった。
彼女たちについて語られている言葉は、それぞれが本当のようで真実ではない。
「全力」、そんな便利な言葉で言い表さないでほしい、
「泣ける」、彼女たちは我々のノスタルジーやセンチメンタリズムを満たすものじゃない、
彼女たちの一分一秒はそんなに簡単で軽くはない。
と、言うように非常に面倒くさいことになるので
最終的に一言、「感じてくれ」としか言いようがない。
きっと、ももクロの特集記事を書いた小島さんも
同じ思いだと思う。
特にれにちゃんがまとっている、にじみ出るような人間愛とか優しさとか、
変なことを堂々と宣言した一秒後に絶望的に自信をなくすみたいなところとか、
なのにまたその一秒後にそれを忘れてはしゃぎまわる、みたいなところとか、
理解不能なタイミングで変なポーズしたり奇声を発したり、
誰かのために自分をいとも簡単に犠牲にしたり、必死に誰かを守ったり、
それを当然と思っていたりするところ、
初めて出会った人に神様みたいに愛しげに微笑んだり、
一方で鬼のように人見知ったりするところ、
なんていうんだろう、彼女の危なげな儚げな雰囲気と相反するような逞しさや強かさみたいな部分って
インタビューとして文字にされると途端にありきたりな文章になってしまう感じがして。
今までも何度もももクロとして、一人一人のインタビューがあったし、
夏菜子に関しては100ページを超える特集が組まれたり、
その他のメンバーも単独で特集を組まれていたことがあって、どれもたいていは目を通しているんだけど、
どうも、肩透かし感がぬぐえなかったのが本当のところで。
それってなんでかな、と考えていたんだけど、
たぶん、彼女たちが「考えていなかった」からなんじゃないかと。
わたしたち大人は、彼女たちの痛みとか苦しみとか悲しみとか
そういうのを隈なく想像できてしまって(正確に想像できているかどうかは置いておいて)
彼女たちの苦悩を自分たちで勝手に解釈してしまうし、
そのあとに見せた彼女たちの表情や仕草で心の動きを想像できてしまう。
それを言語化しようとして理解しようとして言葉にする。
きっと、こう感じてこう考えてこうしたに違いない、と。
きっと、もしかして、彼女たちも同じ思考回路をたどったのかもしれない。
しかし、そこに彼女たちの意図は介在していない。
無意識に彼女たちは強くなる、
というと語弊があるけど、
たぶん、ものすごく、無駄なこともやっているんだと思うけど、
「無駄なことなんて何一つないよ」
とか
「夢は絶対叶うよ」
とか
そういう一見滑らかで心地よさそうな布に乱暴に包んでしまうみたいな強さっていうか、雑さっていうか、
傍から見たらどう考えてもあれごわごわした布じゃね?と思われているのにも気づかない夢中感、
ただひたすらに目の前のものだけに熱中してる感じ
で、終わったら忘れてしまう。
血肉にはなっているかも知れない。
でも、それになにが紐づけられているかは本人たちもわからないままだったのだと思う。
そこに意図を見出して、ドラマを展開させていくのは大人の役割で。
それを受け取った大人は大人で、大人の中だけで意図を作り拡散していく。
だからこそ、
アイドルっていうのはイタイケナ少女が似合うわけで、
それを裏で操るおっさんたちは嫌われるわけだ。
だから、普通、ドルヲタってのはアイドル本人たちを罵ったりしないものだ。
それを回避させるためのスケープゴートがプロデューサーなんだから。
つまり、我々はイタイケナ少女たちがもがき苦しみ、キラキラ輝いていく過程を
演出家や作詞家や作曲家、マネージャーや衣装やメイクの担当の大人たちの手によって
作り上げられた壮大なフィクションを追っているに過ぎない。
そんなこたぁ百も承知なのだが。
だけど、一方で少女たちは等身大で傷つく、もがく、喜ぶ、泣く、舞い踊る。
強くなる。
わたしたちの見えないところで、わたしたちに知る由もない方法で。
(その過程を“余すことなく”見せていると感じさせられるレベルのフィクションでみせることをしてきたのがももクロの強みだし、ファンたちにその過程を一共犯者として共有させたことがももクロの成功の要因であるのは語りつくされていることだが)
だから彼女たちは、
自分自身の中に起きている変化を、進化を、体現はできるかもしれないけれど、
意識的にインタビューの中で言葉として伝えたり、分析したりできなかったのだと思う。
無意識に彼女たちは強くなる、
というのはそういうことで
ある日朝起きたら、乳歯がぐらぐらしていて少し経ったら抜けて永久歯が生えてきて、
っていうそういうレベルで彼女たちは変化してきたのだと思うのだ。
だからこそ、
彼女たちのインタビューに肩透かし感がいなめなかったのだろうと。
*
だから、今回れにちゃんの特集も正直不安のほうが大きかったのだけれど、
わたしは驚いたのだ。
れにちゃんは闘ってるんだな、と感じたから。
毎日毎日闘ってるんだな、と感じたから。
彼女の敵はなんだろう。
きっとそれは本人にもわかってない。
だけど、一秒前も過去だと言う目に浮かぶのはきっと闘志だろう。
彼女が闘うのは、一秒前の自分かもしれない。
止まらない時間かもしれない。
誰も見たことのない場所かもしれない。
彼女が素敵なのは、
漠然としたそういう闘志を糧に変えられるところだ。
そしてあいかわらず彼女の言葉の端々ににじみ出る眼差しの優しさと神経の細やかさに
胸を締めつけられた。
わたしもこういう風に生きたい。
心底、そう思った。
*
紫のあの子を思いながら凍える雪国にて
夢みた舞台に立つ春を思う
※ずっとアップできなかったので加筆修正してアップすることにする。
春の嵐吹き荒れた国立が5色に染まり、彼女たちはまた、前へ進む。
まだ肌寒い夜風に吹かれ、聖火を背に彼女たちが紡いだ言葉。
驚くことなかれ、これがアイドルだ。
毎度そう思いつつ、心底驚く。
そうだね、
やっぱりアイドルってすごい。
ハロー、ハロー、君に届くかな
雨の雪国。
暗い事務所に一人。
ぽっかりと浮かぶPC画面。
世界に一人になったようだよ。
*
かつて交わった道は、つながったり、離れたりを繰り返す。
共に見た風景をわたしは事あるごとに思い出したりしていて。
あのとき、拭えなかったものや覆えなかったものを数えながら
日々を過ごしていたけど。
なぜだろう。
君とはもうさよならな気がするな。
一つ一つの選択に。決断に。敬意をこめて。
愛しい君に、幸多からんことを。
*
雨は降り続ける。
しとしとと。
ぴちゃぴちゃと。
聴く者の聴かれるがままに。
andymori/革命
熱い atsu-i
どうも、ご無沙汰しております。
雪国はようやく春を迎え、桜が満開でございます。
書きたいことがたくさんある。
ももクロの新しいアルバムのこと、それを伴った西武ドームでのライブのこと、その夜の居酒屋での友人との会話のこと、そして次の日の近年稀にみる体調不良のこと、そしてその中で帰らねばならない我が家の遠さのこと。
それらを差し置いてわたしはこれを書くことにする。
どんっ
朝ドラ「あまちゃん」について。
*
わたしは元来朝ドラをみない人種だ。
ゲゲゲもちゅらさんもみていない。
なぜか。
毎日みるのがめんどーくさいから。
出てる人たちが魅力的でないから。
結局底抜けに明るい主人公がストーリーのすべてを握っていて少しも感情移入できそうにないから。
でも、まあ人ってのは変わるもんだ。
年を取ればいろんなものに無頓着になるし、いろんなものに無駄な情報をくっつけて感情移入をするものだ。
それを人は「まるくなる」と言うのだろう。
これが世の中の真理だ、なんて思っていない。
わたしはなるようになっているだけだ。流れに身を任せただけだ。
ただ、今の自分が興味のあるものや心を打たれるものが確かに存在していて、その潮目のようなものを読み取りたいし、
総じてそれらが世界とどう関わっていくのか(ひいてはそれは自分自身がどうやって世界と関わっていくのか、ということに等しい)を見たいし考えたい。
この欲求も少し前に比べたら随分弱くなったけど、それにヒットしてるのがももクロであったり、朝ドラであったりするわけだ。
*
「あまちゃん」は宮藤官九郎脚本の岩手北三陸地方が舞台のドラマだ。
これは大河ドラマ「八重の桜」と同様、震災の影響を受けた舞台設定だ。
宮城出身のクドカン。舞台は東北。北三陸地方の“海女”の話。
しかしそれだけでは終わらない。
若くて可愛い女の子が海女となり地方のアイドルとなって地域を盛り上げる話。らしい。
なんて胸熱な!
クドカンってだけで見るけど、クドカンが震災を語りアイドルを語るなんて!
このタイミングって本当に、ある意味アイドルと震災の関係=ももクロのストーリーが紅白出場で一段落したことへの私信な気がするんだけどどうでしょう。
実際4週間近くみてみて、なんにせよ面白い。
ヒロインのアキ役の能年ちゃんが文句なしに可愛い。脇を固める人たちがいちいちイイ。
小ネタがいちいち面白い。田舎あるあるも満載。
さらに東京と地方のギャップとか東京への憧れとか地元に帰ってきて馴染めないこととか都会への劣等感とか親子のすれ違いとかそういう胸をぎゅっとされることが詰め込まれてる。
だからいつも笑いながら泣いてしまう。
若かりし頃のアキの母・春子(小泉今日子)が東京に憧れて、田舎を抜け出したくて落書きした「海 死ね」に笑いながら泣いてしまう。
「あの頃の春ちゃんがいたこの町が好きだ!」と言いながら当時の流行歌?「ゴーストバスターズ」を歌う(と言ってもサビの\ゴーストバスターズ/しか歌えない)大吉さん(杉本哲太)に笑いながら泣いてしまう。
舞台は2008年の夏である。
微笑ましく底抜けに明るい人たちを見守りながらもなぜだか泣きたくなるのは、
3年後にあの震災が起き、この人たちも被害を受けるのだろうと思うからだろう。
わたしだけでなく、おそらく世の中の多くの観客が、多くの表現者が、あの震災を無しにして物事を考えることができなくなっているのだと思う。
朝ドラをみない人種だったわたしがこうして「あまちゃん」をみているのもあの震災があったからだ。
そう、人ってのは変わるもんだ。
*
いちいちわたしの胸に迫ってくるエピソードがてんこ盛りなんだけど、
特にわたしがこうしてブログを書きたいと思う理由は、
震災以降わたしがももクロに出会って「アイドル」を知って、教わって、考えて、自分なりに落とし前をつけてきた事柄をこのドラマが表現しようとしてくれているのではないか、と思ったからだ。
わたしが2011年夏にももクロに出会ってからの心境の変化とか救われようとかのめり込みようってのはブログを遡ってみてもらえばわかるのだけれども、
こういうようなことがまったくアイドルに興味のなかった人の身にいくつも起きていて(ももクロ周辺だけではなく、アイドル全般において)、
何年か前まででは考えられないくらい広がって許容されている、という現実がある。
先日まで放送されていたドラマ『最高の離婚』で瑛太演じる主役が傷心中に周りに誘われてでんぱ組.incのライブに行き、がっつり心突き動かされて「うりゃおい」する姿が描かれた。
それをみたわたしはかつての自分を重ねてちょっと泣きながら漠然と「ここまで来たんだな」と思った。
アイドル現場ってものが、中目黒が舞台のちょっとおしゃれな感じのドラマに出てくるようになったんだなと。
しかも描かれ方が従来の「気持ち悪い異世界」ではなく、「救済」に傾いていることにも胸を打たれた。
その流れを「あまちゃん」は継いで、さらに丁寧に描いてくれる。はずだ。
*
東京生まれ東京育ちで地味で大人しくて友達がいなかったヒロインのアキは、田舎に来ておばあちゃんやおばさんたちと触れあい、どんどん訛ってどんどん自分を確立していく。
そんな中で出会ったユイ(橋本愛というなんと胸熱なキャスティング!)と親友になる。
ユイは田舎が嫌いで東京に憧れていて早くこんなところ出ていきたいと思っている。
なんで東京に拘るのか、とアキに問われ、
「夢があるから。わたし東京に行ってアイドルになるの。」と宣言する。
何度だって言う。
舞台は2008年だ。
AKB48が世間的に脚光を浴び、テレビを見ない層や興味のない層にまで知られるのは2010年ころだろう。
今のようにアイドルが身近ではないし、地方の人間(しかも思春期真っ盛りの高校生!)が簡単に自分と結び付けられるものではない。
当然、アキは「なに言ってんのこの人」という態度をとる。
だけどその後もう一度ユイは大声で「アイドルになりたい!!」と叫ぶ。
それを見たアキは(というか心の声はアキのおばあちゃんの夏:宮本信子なのだけど)
(ユイは可愛い。そして自分が可愛いことを知っている。
そのことに対して迷いも戸惑いもないんだ。)
「・・・・かっけー」
と目を丸くする。
アキはいわゆる、「無自覚」な女の子だ。
天然というか、無自覚。
可愛いのにどんくさくてなんか冴えない友達と一緒にいるような。
妙にジャージや制服の着方がダサかったり、授業中に機能重視の全然可愛くないメガネを平気でかけたりするような。
自分を飾り立てたり、異性の目を意識したりしない子だ。
自分のことを恋愛対象として見ているユイの兄・ヒロシ(小池徹平)の視線に1ミリたりとも気づかない。
そんな子であるアキが上記のように思ったか、の信憑性はさておき(もしかしたらアキならこう思うだろうっていう夏のフィルターがかかった心の声なのかなと思ったりもするし)、
わたしはここにものすごく痺れた。
それは、かつてわたしも味わったことのある感覚だからだ。
*
容姿が優れない自分をどうにか自分として受け入れて生きていくために我々はいくつもの自己暗示と試行錯誤を繰り返すだろう。
どうにかして誰かに認めてほしくて、褒めてほしくて、かっこいい音楽を聴き本を読み勉強をしスポーツをする。
自分の存在意義を探すために。
容姿以外の部分で満ち足りた気持ちを味わうために。
好きなものやかっこいいもので自分を飾り立てて自己表現できたつもりになる。
それはそのままの自分で戦うことができないから武器をたくさん纏うことと同じだ。
傷つきたくないから、丸裸の自分では怖いから、いろいろなものを身に纏う。
でも、わたしが好きになったアイドルの女の子は何かで自分の価値をあげようとすることもなく、そのままの自分で自己表現をする子だった。
自分の顔と体を使って衒いもなく迷いもなくまっすぐに自分であろうとする子だった。(かつて「緑と紫についての考察」で書いた)
それに気づいたときの衝撃。
もちろん、彼女たちは生まれながらに容姿が優れているわけで、その時点で他の人間よりも武器が多いんだけど、
その武器を使うことへの躊躇いのなさ、潔さに感服する他なかったというか。
「アイドル」というものが同性から疎まれたり蔑まれたり、「可愛くねーじゃん」とか簡単に言われるのって、そういう部分への妬みとか羨望があるんじゃないかな、と。
特にわたしのような卑屈な人間にとっては、彼女たちの潔さってこっぱずかしくって直視できない種類のものだし、鼻で嗤ってあしらいたくなるものだ。
でもそれを圧倒的な力でねじ伏せられたり、すごい勢いで懐に入られたりすれば白旗を振るしかない。
そうやって今いろんな人たちがいろんなところで「アイドル」を選んだ女の子たちにねじ伏せられているんじゃないかと。
それほど彼女たちのエネルギーや腹の括り方はすごい。
*
だが、アキは卑屈な人間ではなく素直ないい子だ。
劣等感や焦燥感を感じていても、それを歪ませることなくむしろユイに恋心のようなものを感じている。
だからこそ、夏が代弁したアキの心の声はちょっと違うんじゃないかなーとも思ったんだけど、
それはまさにアキがユイに「圧倒的な力でねじ伏せられて白旗振らされた」ことを説明した描写なんじゃないか、と思うのです。
だからわたしは心底震えた。
*
秋祭りで、初代「ミス北鉄」に選ばれたユイが多くの人に手を振って笑顔を向けながら地元のアイドルになっていく姿をみて、アキは「自分も頑張らなきゃ!」と思う。
その夜、アキはユイにサインと握手をねだる。
「サインけろ!今日のユイちゃんみてたら吹っ切れた!勇気もらった気がする!だからその記念!サインけろ!」
ユイは困惑しながらも、おそらく何度も想像してきたであろう「アイドル」の自分とそのファンの会話を思いがけず目の当たりにして「あーここから始まっていくんだなぁ」っていういい表情をしていた。
そして、ひっそり練習していたサイン(ハートが入ったいかにもなやつ)を書き、片手同士の握手の最後にそっと左手を添えてまっすぐ微笑む。
・・・泣かずにいられますか。笑
おそらくアイドルを応援したことのある人ならかなり胸を鷲掴みにされる描写だと思う。
すげーな、クドカン。
「あまちゃん」でもユイ目当てのアイドルオタクや鉄道オタクたちは気持ち悪く・・・というか従来のステレオタイプのまま描写されているが、
アキが言った
「ユイちゃん見てると明日もがんばっぺって思う。きっとあの人たちもそうだよ。」
という記念碑のような一言で、世の中のアイドルを語る潮目がさらに「救済」に傾いたと思う。
これから、そのアキ自身もアイドル側として「発見されて」いくわけなんだけど、どうやら母・春子も「アイドル」に対して黒歴史を持っているようで(繰り返すがキャスティングはキョンキョンである)ますます目が離せないです。はい。
これは単なる朝ドラじゃない!アイドルドラマだ!革命だ!って偉い人が叫んでたけど、まったくその通りだと思います。
今、アイドルがこんなことになってるのってきっと時代の要請なんですよね。
その時代の流れに飲まれて得たものをこういう形で見せてもらえるってすごく喜ばしいことですよ。
おかげさまで毎日、楽しいっす。
雪国はようやく春を迎え、桜が満開でございます。
書きたいことがたくさんある。
ももクロの新しいアルバムのこと、それを伴った西武ドームでのライブのこと、その夜の居酒屋での友人との会話のこと、そして次の日の近年稀にみる体調不良のこと、そしてその中で帰らねばならない我が家の遠さのこと。
それらを差し置いてわたしはこれを書くことにする。
どんっ
朝ドラ「あまちゃん」について。
*
わたしは元来朝ドラをみない人種だ。
ゲゲゲもちゅらさんもみていない。
なぜか。
毎日みるのがめんどーくさいから。
出てる人たちが魅力的でないから。
結局底抜けに明るい主人公がストーリーのすべてを握っていて少しも感情移入できそうにないから。
でも、まあ人ってのは変わるもんだ。
年を取ればいろんなものに無頓着になるし、いろんなものに無駄な情報をくっつけて感情移入をするものだ。
それを人は「まるくなる」と言うのだろう。
これが世の中の真理だ、なんて思っていない。
わたしはなるようになっているだけだ。流れに身を任せただけだ。
ただ、今の自分が興味のあるものや心を打たれるものが確かに存在していて、その潮目のようなものを読み取りたいし、
総じてそれらが世界とどう関わっていくのか(ひいてはそれは自分自身がどうやって世界と関わっていくのか、ということに等しい)を見たいし考えたい。
この欲求も少し前に比べたら随分弱くなったけど、それにヒットしてるのがももクロであったり、朝ドラであったりするわけだ。
*
「あまちゃん」は宮藤官九郎脚本の岩手北三陸地方が舞台のドラマだ。
これは大河ドラマ「八重の桜」と同様、震災の影響を受けた舞台設定だ。
宮城出身のクドカン。舞台は東北。北三陸地方の“海女”の話。
しかしそれだけでは終わらない。
若くて可愛い女の子が海女となり地方のアイドルとなって地域を盛り上げる話。らしい。
なんて胸熱な!
クドカンってだけで見るけど、クドカンが震災を語りアイドルを語るなんて!
このタイミングって本当に、ある意味アイドルと震災の関係=ももクロのストーリーが紅白出場で一段落したことへの私信な気がするんだけどどうでしょう。
実際4週間近くみてみて、なんにせよ面白い。
ヒロインのアキ役の能年ちゃんが文句なしに可愛い。脇を固める人たちがいちいちイイ。
小ネタがいちいち面白い。田舎あるあるも満載。
さらに東京と地方のギャップとか東京への憧れとか地元に帰ってきて馴染めないこととか都会への劣等感とか親子のすれ違いとかそういう胸をぎゅっとされることが詰め込まれてる。
だからいつも笑いながら泣いてしまう。
若かりし頃のアキの母・春子(小泉今日子)が東京に憧れて、田舎を抜け出したくて落書きした「海 死ね」に笑いながら泣いてしまう。
「あの頃の春ちゃんがいたこの町が好きだ!」と言いながら当時の流行歌?「ゴーストバスターズ」を歌う(と言ってもサビの\ゴーストバスターズ/しか歌えない)大吉さん(杉本哲太)に笑いながら泣いてしまう。
舞台は2008年の夏である。
微笑ましく底抜けに明るい人たちを見守りながらもなぜだか泣きたくなるのは、
3年後にあの震災が起き、この人たちも被害を受けるのだろうと思うからだろう。
わたしだけでなく、おそらく世の中の多くの観客が、多くの表現者が、あの震災を無しにして物事を考えることができなくなっているのだと思う。
朝ドラをみない人種だったわたしがこうして「あまちゃん」をみているのもあの震災があったからだ。
そう、人ってのは変わるもんだ。
*
いちいちわたしの胸に迫ってくるエピソードがてんこ盛りなんだけど、
特にわたしがこうしてブログを書きたいと思う理由は、
震災以降わたしがももクロに出会って「アイドル」を知って、教わって、考えて、自分なりに落とし前をつけてきた事柄をこのドラマが表現しようとしてくれているのではないか、と思ったからだ。
わたしが2011年夏にももクロに出会ってからの心境の変化とか救われようとかのめり込みようってのはブログを遡ってみてもらえばわかるのだけれども、
こういうようなことがまったくアイドルに興味のなかった人の身にいくつも起きていて(ももクロ周辺だけではなく、アイドル全般において)、
何年か前まででは考えられないくらい広がって許容されている、という現実がある。
先日まで放送されていたドラマ『最高の離婚』で瑛太演じる主役が傷心中に周りに誘われてでんぱ組.incのライブに行き、がっつり心突き動かされて「うりゃおい」する姿が描かれた。
それをみたわたしはかつての自分を重ねてちょっと泣きながら漠然と「ここまで来たんだな」と思った。
アイドル現場ってものが、中目黒が舞台のちょっとおしゃれな感じのドラマに出てくるようになったんだなと。
しかも描かれ方が従来の「気持ち悪い異世界」ではなく、「救済」に傾いていることにも胸を打たれた。
その流れを「あまちゃん」は継いで、さらに丁寧に描いてくれる。はずだ。
*
東京生まれ東京育ちで地味で大人しくて友達がいなかったヒロインのアキは、田舎に来ておばあちゃんやおばさんたちと触れあい、どんどん訛ってどんどん自分を確立していく。
そんな中で出会ったユイ(橋本愛というなんと胸熱なキャスティング!)と親友になる。
ユイは田舎が嫌いで東京に憧れていて早くこんなところ出ていきたいと思っている。
なんで東京に拘るのか、とアキに問われ、
「夢があるから。わたし東京に行ってアイドルになるの。」と宣言する。
何度だって言う。
舞台は2008年だ。
AKB48が世間的に脚光を浴び、テレビを見ない層や興味のない層にまで知られるのは2010年ころだろう。
今のようにアイドルが身近ではないし、地方の人間(しかも思春期真っ盛りの高校生!)が簡単に自分と結び付けられるものではない。
当然、アキは「なに言ってんのこの人」という態度をとる。
だけどその後もう一度ユイは大声で「アイドルになりたい!!」と叫ぶ。
それを見たアキは(というか心の声はアキのおばあちゃんの夏:宮本信子なのだけど)
(ユイは可愛い。そして自分が可愛いことを知っている。
そのことに対して迷いも戸惑いもないんだ。)
「・・・・かっけー」
と目を丸くする。
アキはいわゆる、「無自覚」な女の子だ。
天然というか、無自覚。
可愛いのにどんくさくてなんか冴えない友達と一緒にいるような。
妙にジャージや制服の着方がダサかったり、授業中に機能重視の全然可愛くないメガネを平気でかけたりするような。
自分を飾り立てたり、異性の目を意識したりしない子だ。
自分のことを恋愛対象として見ているユイの兄・ヒロシ(小池徹平)の視線に1ミリたりとも気づかない。
そんな子であるアキが上記のように思ったか、の信憑性はさておき(もしかしたらアキならこう思うだろうっていう夏のフィルターがかかった心の声なのかなと思ったりもするし)、
わたしはここにものすごく痺れた。
それは、かつてわたしも味わったことのある感覚だからだ。
*
容姿が優れない自分をどうにか自分として受け入れて生きていくために我々はいくつもの自己暗示と試行錯誤を繰り返すだろう。
どうにかして誰かに認めてほしくて、褒めてほしくて、かっこいい音楽を聴き本を読み勉強をしスポーツをする。
自分の存在意義を探すために。
容姿以外の部分で満ち足りた気持ちを味わうために。
好きなものやかっこいいもので自分を飾り立てて自己表現できたつもりになる。
それはそのままの自分で戦うことができないから武器をたくさん纏うことと同じだ。
傷つきたくないから、丸裸の自分では怖いから、いろいろなものを身に纏う。
でも、わたしが好きになったアイドルの女の子は何かで自分の価値をあげようとすることもなく、そのままの自分で自己表現をする子だった。
自分の顔と体を使って衒いもなく迷いもなくまっすぐに自分であろうとする子だった。(かつて「緑と紫についての考察」で書いた)
それに気づいたときの衝撃。
もちろん、彼女たちは生まれながらに容姿が優れているわけで、その時点で他の人間よりも武器が多いんだけど、
その武器を使うことへの躊躇いのなさ、潔さに感服する他なかったというか。
「アイドル」というものが同性から疎まれたり蔑まれたり、「可愛くねーじゃん」とか簡単に言われるのって、そういう部分への妬みとか羨望があるんじゃないかな、と。
特にわたしのような卑屈な人間にとっては、彼女たちの潔さってこっぱずかしくって直視できない種類のものだし、鼻で嗤ってあしらいたくなるものだ。
でもそれを圧倒的な力でねじ伏せられたり、すごい勢いで懐に入られたりすれば白旗を振るしかない。
そうやって今いろんな人たちがいろんなところで「アイドル」を選んだ女の子たちにねじ伏せられているんじゃないかと。
それほど彼女たちのエネルギーや腹の括り方はすごい。
*
だが、アキは卑屈な人間ではなく素直ないい子だ。
劣等感や焦燥感を感じていても、それを歪ませることなくむしろユイに恋心のようなものを感じている。
だからこそ、夏が代弁したアキの心の声はちょっと違うんじゃないかなーとも思ったんだけど、
それはまさにアキがユイに「圧倒的な力でねじ伏せられて白旗振らされた」ことを説明した描写なんじゃないか、と思うのです。
だからわたしは心底震えた。
*
秋祭りで、初代「ミス北鉄」に選ばれたユイが多くの人に手を振って笑顔を向けながら地元のアイドルになっていく姿をみて、アキは「自分も頑張らなきゃ!」と思う。
その夜、アキはユイにサインと握手をねだる。
「サインけろ!今日のユイちゃんみてたら吹っ切れた!勇気もらった気がする!だからその記念!サインけろ!」
ユイは困惑しながらも、おそらく何度も想像してきたであろう「アイドル」の自分とそのファンの会話を思いがけず目の当たりにして「あーここから始まっていくんだなぁ」っていういい表情をしていた。
そして、ひっそり練習していたサイン(ハートが入ったいかにもなやつ)を書き、片手同士の握手の最後にそっと左手を添えてまっすぐ微笑む。
・・・泣かずにいられますか。笑
おそらくアイドルを応援したことのある人ならかなり胸を鷲掴みにされる描写だと思う。
すげーな、クドカン。
「あまちゃん」でもユイ目当てのアイドルオタクや鉄道オタクたちは気持ち悪く・・・というか従来のステレオタイプのまま描写されているが、
アキが言った
「ユイちゃん見てると明日もがんばっぺって思う。きっとあの人たちもそうだよ。」
という記念碑のような一言で、世の中のアイドルを語る潮目がさらに「救済」に傾いたと思う。
これから、そのアキ自身もアイドル側として「発見されて」いくわけなんだけど、どうやら母・春子も「アイドル」に対して黒歴史を持っているようで(繰り返すがキャスティングはキョンキョンである)ますます目が離せないです。はい。
これは単なる朝ドラじゃない!アイドルドラマだ!革命だ!って偉い人が叫んでたけど、まったくその通りだと思います。
今、アイドルがこんなことになってるのってきっと時代の要請なんですよね。
その時代の流れに飲まれて得たものをこういう形で見せてもらえるってすごく喜ばしいことですよ。
おかげさまで毎日、楽しいっす。
問う to-u
ひさしぶりに友達に向けてMIX CDなるものを作ってみる。
今回は一応、マヤのなんとかみたいのもあったし、今の音楽業界に起きている(と同時にわたしの中にも起きている)ロックの崩壊と世界が終わる系のストーリーで作ってみました。
曲名/アーティスト名--アルバム名
『DJ Shiori 2012to2013 World End MIX』
01.Homosapiens Experience (Save Our Rock Episode.1) /avengers in sci-fi--Science Rock
02.売れたいエモーション! /私立恵比寿中学--エビ中の絶盤ベスト ~おわらない青春~
03.デスコ /女王蜂--モテキ的音楽のススメ ~映画盤~
04.つけまつける /きゃりーぱみゅぱみゅ--ぱみゅぱみゅレボリューション
05.姫君Shake! /レキシ Feat. 齋藤摩羅衛門--レキミ
06.女子たちに明日はない /チャットモンチー--生命力
07.オーマイゴースト? ~わたしが悪霊になっても~ /私立恵比寿中学--エビ中の絶盤ベスト ~おわらない青春~
08.東京炎上 /フジファブリック--シングルB面集 2004-2009
09.アイデンティティ /サカナクション--DocumentaLy
10.世界が終わる夜に /チャットモンチー 生命力
11.空のカーテン /ももいろクローバーZ--僕等のセンチュリー
12.墾田永年私財法 /レキシ Feat. 田ンボマスター--レキミ
13.Light Bright /アナログフィッシュ--Life Goes On
14.星の王子さま (バイオリンのための) /毛皮のマリーズ--ティン・パン・アレイ
15.愛のテーマ /毛皮のマリーズ--ティン・パン・アレイ
JCやらアヴちゃんやらきゃりーちゃんやらゾンビやら総攻撃をかけられて、てんてこまいな中、女神が降臨して最後には愛を歌うわけなんですが。
毎度ながらレキシはいい楽曲作るなあと。
これほど聴いていて笑っちゃうアーティストってそういない。
レキシこと池ちゃんはエビ中と番組をやっていた縁で楽曲も提供してたりして、これもかなり良曲。
私立恵比寿中学/頑張ってる途中
最近、ロキノン系のアーティストがアイドルに楽曲提供するのがよくあって、両者にとってとてもいいことなんじゃないかなぁと思っている。
両者のファンにとって面白い発見になるし。
今回は一応、マヤのなんとかみたいのもあったし、今の音楽業界に起きている(と同時にわたしの中にも起きている)ロックの崩壊と世界が終わる系のストーリーで作ってみました。
曲名/アーティスト名--アルバム名
『DJ Shiori 2012to2013 World End MIX』
01.Homosapiens Experience (Save Our Rock Episode.1) /avengers in sci-fi--Science Rock
02.売れたいエモーション! /私立恵比寿中学--エビ中の絶盤ベスト ~おわらない青春~
03.デスコ /女王蜂--モテキ的音楽のススメ ~映画盤~
04.つけまつける /きゃりーぱみゅぱみゅ--ぱみゅぱみゅレボリューション
05.姫君Shake! /レキシ Feat. 齋藤摩羅衛門--レキミ
06.女子たちに明日はない /チャットモンチー--生命力
07.オーマイゴースト? ~わたしが悪霊になっても~ /私立恵比寿中学--エビ中の絶盤ベスト ~おわらない青春~
08.東京炎上 /フジファブリック--シングルB面集 2004-2009
09.アイデンティティ /サカナクション--DocumentaLy
10.世界が終わる夜に /チャットモンチー 生命力
11.空のカーテン /ももいろクローバーZ--僕等のセンチュリー
12.墾田永年私財法 /レキシ Feat. 田ンボマスター--レキミ
13.Light Bright /アナログフィッシュ--Life Goes On
14.星の王子さま (バイオリンのための) /毛皮のマリーズ--ティン・パン・アレイ
15.愛のテーマ /毛皮のマリーズ--ティン・パン・アレイ
JCやらアヴちゃんやらきゃりーちゃんやらゾンビやら総攻撃をかけられて、てんてこまいな中、女神が降臨して最後には愛を歌うわけなんですが。
毎度ながらレキシはいい楽曲作るなあと。
これほど聴いていて笑っちゃうアーティストってそういない。
レキシこと池ちゃんはエビ中と番組をやっていた縁で楽曲も提供してたりして、これもかなり良曲。
私立恵比寿中学/頑張ってる途中
最近、ロキノン系のアーティストがアイドルに楽曲提供するのがよくあって、両者にとってとてもいいことなんじゃないかなぁと思っている。
両者のファンにとって面白い発見になるし。
