大阪への新幹線の中での朝食。藻塩で食べる握り寿司と、エンガワ。醤油を使わないことで服が汚れる危険を回避した!まさい!
うがみやびらん。
DC/PRGの演奏する曲の中に、Circle/Lineという七拍子の曲がある。菊地雅章が1981年に出したアルバム"Susto"からのカバーである。DC/PRGのアレンジでは最後に"Hard Core Peace〜最後の平和を我等に〜"という菊地さん(成孔の方)が作った壮大なアウトロが付いていて、それがこの曲を当バンドの人気曲にしている大きな理由だと思う。そのハードコアピースの中盤に差し掛かりキーが半音上がる所で聴く側も演奏する側も大いに盛り上がり、管楽器のリフを経て終盤のギター/キーボードソロのクライマックスに繋がる。演奏していると、キーが上がるのに合わせてお客さん達が飛び上がるのが見えたりして自分も楽しくなる。客席のカメラに気付いたら、右手が空く瞬間を狙って「ヤットコサ・ピース」をキメる訳だ。
DCPRGが新メンバーで再結成した2010年、10月8日の日比谷野音公演に向けて、スタジオを8時間押さえたリハが3回行われた。ゲスト奏者としてニューヨークで活動するキューバ人2名、サックスのヨスバニテリーとパーカッションのリッチーフローレスを迎えるので彼等にも二回目以降のリハに加わって貰っていた。スタジオノア野方店での最終リハで、サークルライン/ハードコアピースを一通り演奏するとリッチーは上機嫌で「もう一回やろう!」とはしゃいだ。一方ヨスバニの方は終始淡々としていて、その後暫くしたら時差ボケがつらいからと途中で帰ってしまったのを憶えている。そういえばその一回前、高田馬場のノアで見たヨスバニのソプラノサックスのケースの中にはリードが無造作に散乱していたのも思い出す。繊細なんだか大雑把なんだか分からない。
津上研太さんが「俺はこの曲でソロ吹く時は一拍子だと思って吹いてるんだよ。1, 1, 1, 1...って」と言ったのにもまあ、納得はしたが笑ってしまった。それでもあれだけ豪快で華麗なソロを毎度繰り出すのだから流石である。
ニューヨークで"サークルライン"という観光船が運行されている事を教えてくれたのは、私の大学の先輩にしてリズムの師であり、Yalaqweのリーダーであり、Jazz Klaxonの同僚であり、私のバンドのメンバーでもあるパーカッショニストの池宮ユンタ氏であった。もしかしてその船から付けた曲名なのかしらね?なんて話したのももう5-6年前の事だろうか。ユンタさんは私がデートコースに加入してから幾度となくライブに足を運んでくれもした。光栄である事この上無い。
この曲のアレンジは、バンドの歩みと共に少しずつ変わって来た。つい先日スタジオコーストの楽屋で坪口さんから聞いた話だが、第一期の時代、チューバの関島さんが「ハードコアピースの最後がこんなに盛り上がっているのに自分には吹く音が割り当てられていない」と嘆いたのに対し、菊地リーダーが「あーーーーゴメンゴメン!」と言ってチューバ用に追加したのがなんと一番最後のフレーズも終わった後のベースと同じコードの根音"E"2発だったのでズッコケたそうだ。これはまあアレンジ変更とも言えない笑い話だが、第二期でも或る時期からイントロを原曲により忠実に鍵盤で演奏するようになったり、ドラマーが二人いる事を活かして菊地さんの合図で7拍子と4拍子のポリリズムを生成したり(7を4分割するのって超絶技巧ですよ、当然ながら)、一時期はハードコアピースを演奏しなくなってまた復活させたりと、とにかく十年の間に細かい改訂がなされて来た。
第二期DCPRGが始動して3, 4年が経った頃だったか、ソプラノサックス二本の掛け合いの或る音が原曲と半音ずれている事に誰かが気付き、原曲に合わせてレ(実音C)からレ♭(実音B)に改めようということになった。何年も原曲を誤解した状態で演奏して録音までしていたのには驚く。
私のソプラノサックス。1930年製セルマー・シガーカッター銀メッキ、特殊拡張キイ付き、製造番号は12000番ピッタリ!
先日の東京公演では新メンバーのmerlawさんが加わってソプラノサックスが3本に増えた。
研太「ここ(ソプラノサックスの掛け合いの部分)どうするー?」
私「三本でやったら面白いのでは」
研「そうだねそれカッコいいね、菊地さーんここ三本でやるのどう?」
菊地「そりゃそうでしょう!そりゃーーーそうでしょう」
こうして最後のライブで一回だけ披露された幻のアレンジ、3本ソプラノが決定した。常連ファンの皆様にしてみたら、こういった変化も楽しみどころだったのではないだろうか。
アレンジではないが、ハードコアピースの直前の大儀見さんのパーカッションソロはいつも圧巻である。いつだったか、新宿公演だったと思うが、七拍子の中で"TxTTTxTTTxTTxT"という位置(Tが打音、xが休符)に音を入れてソロを展開し、それを溶かして2拍3連、2拍3連、3拍4連のように叩いていたのを聴いて大いに感銘を受け、その柔らかいリズムの乗りこなしに憧れた私は以後自分のソプラノソロにこの楽想を取り入れた。しかし一番凄かったのは最終公演のスタジオコーストだった。特に長く、特に美しく、落涙しそうにすらなった。
この曲は演奏に大人数、しかも複数のソプラノサックスという他に類を見ない編成を要する上、演奏難度もかなりのもので、他にこの曲をライブで演奏出来るバンドというのは今の所まずいないんじゃないかと思う。DC/PRG解散により、色々な思い出の詰まった「サークル/ライン〜ハードコアピース」がステージで鳴る事が当分無くなるのだと思うと、寂しい。
ところで、冒頭に書いた通りこの曲のアウトロには「最後の平和を我等に」という邦題が付いている訳だが、この度加入時に貰った楽譜を発掘してみると...
「最後の平和を」までしか書いていない。書きかけのダイイングメッセージのようでまた笑ってしまった。この楽譜を見たのは最初の野音公演の前のリハーサルまでであとは暗譜してしまっていたが、十年前はこんな所に気付いてはいなかった。解散に際し、また一つ思い出話が増えた。最後の笑い話を我等に。
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【5/29(土) Yalaqwe】
@下北沢Bodeguita
詳細To Be Announced
池宮ユンタ(per)
関根恒太朗(as)
髙井汐人(ts)
ヤマトヤスオ(b)