整体院で直七という珍しい柑橘の飴を頂きました。高知のもののようですね。まさい。生果実とかジュースとかシャーベットとかあったら味わってみたい。


うがみやびらん。


先日初回公演を行ったアフロミックスバンドのドラマーである荒井康太さんと、その後に出演したバンドのドラマー、かの外山明さん!が、ほぼ共通で使ってたドラムセットです。

全シンバルの位置がラックタムより下で、全体に低めで平らに見えます。ハイハットの外側にあるシンバルは椅子の上に置いてあるだけでした。


荒井康太さんのドラムはこの日、躊躇なくソロイストを煽り、そろそろ終わりかなという雰囲気が出たところで更にもうひと盛り上がりさせる、面白い会話を無限に続けようとするような明るく大胆なスタイルで場を沸かせてました。


外山さんはティポグラフィカのメンバー、ポリリズムドラミングの先駆者だけあって、教順さんが影響を受けた事が叩き始め2秒くらいで大いに納得出来ました。


2秒といえば、荒井さんはご自身の故郷の青ヶ島に伝わる環住太鼓や近隣の八丈島の八丈太鼓を聴くと、奏者が「島の子」かどうか約2秒で分かるそうです。でも最近の八丈太鼓の若手名手は島外から来て太鼓に没頭した子達で、島外出身者だとは全然分からない、と言ってました。高齢化が進んでるのは勿論、青ヶ島に至っては無人島化すら現実味を帯びて来ている状況に於いて伝統芸能の継承者が育つのは島の人たちにとって励みになる事でしょう。


それから、青ヶ島は絶海の孤島過ぎて外からの楽器の流入があまりに限られていた為、伝統音楽に音程楽器が無くて歌と太鼓だけ、しかも歌手一人一人が別のキーで歌を回したりするそうです。調声の概念が大きく異なる。


そんな話を開演前に聞いてた場所は、箱の近所にあるマレーシア料理店でした。

昼食に相当するチキンカレーを食べながら荒井さんがドラム同様に無限に続ける面白い話を聞くのは楽しかったな。


ところで、私が足立区で小学校四年生などをやっておった時分の担任は翌年度から青ヶ島に赴任したんですけど、荒井さんと私の学年は同じなので聞いてみたら荒井さんも彼をご存知でした。思いもよらぬ偶然ですな。そういえば青ヶ島の存在を知ったのはその担任が赴任する時だった。


情緒不安定の暴力教師(私の出身校の基準ですらややヤバめ)でしたが青ヶ島では「みんなに好かれたとても素敵な人」だったらしいので、反省して心を入れ替えたか島の空気で性格が変わったかしたのかも知れません。


因みにライブ当日の私の朝食はカツカレーでした。幼少期からの好物なのだ。


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3/26() dCprG

@大阪 梅田Banana Hall


4/2 () dCprG

@新木場 Studio Coast