書籍「イノセント・マン:ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ」 | 酔いどれぐっちの酒と映画と音楽と…

書籍「イノセント・マン:ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ」

を読みました。
 
この本は2014年にアメリカで出版された書籍が、今年9月に日本で翻訳され発売されたものです。

自分は11月の頭には購入したんですが、何たって本の厚さが4センチもある代物なので、読むのに結構な時間が掛かってしまいました。
(「100時間インタヴューズ」と銘打っているくらいなので、それも当然か)
 
小6の時にビリー・ジョエルの「ザ・ナイロン・カーテン」を聴き始めてから約37年聴き続けて来て、それなりにビリー・ジョエルの事は知っているつもりでしたがこの本を読んで初めて知った事が多く驚愕しました。(って言うと大げさか)
 
まずはこの本の出版元であるプレジデント社の宣伝ネット記事で、何とビリー・ジョエルを「CM曲の帝王」と紹介しているトンデモない記事にて、ビリー・ジョエルがドイツ系のユダヤ人の血統であると書かれていた事に驚きました。
(昔スタローンに似ているなんて話もあって、すっかりイタリア系かと思ってました)
 
本書ではビリーの祖父の話から掘り下げていて、両親は下手をするとホロコーストの犠牲になっていたかも知れないと言う話まで出てきて、なかなか初めから読み応えがある感じです。
 
曲のエピソードよりは正にビリーの人生に起こった色々な出来事に付いて記されていて、本の中盤はビリーがマネージャーであった義弟にかなりの金額を使い込みされていた事に関する出来事とそれにまつわる泥沼の裁判劇にかなりのボリュームを割いています。
 
それとビリーの創作活動において奥さんの存在は重要であり、結果としては4回にわたる結婚歴を持つ事になるんですが、その時々の奥さんとの馴れそめや別れた原因なども書かれていて、正直「ここまで赤裸々に話すのか」と思うほどです。
 
特に2番目の奥さんだったクリスティー・ブリンクリーと結婚した時は、彼女がスーパーモデルだった事もあって、糟糠の妻を捨てて若い女に走る「ロック界あるある」かと当時は思っていましたが、この本を読むとそんな単純な話ではない事が分かります。
 
3人目の奥さんの時はビリー・ジョエル最後の来日時と重なっていまして、当時自分は恋人関係かと思っていて、その時の来日公演に行ったのですがアンコールを1曲しかやらず早々に終わってしまい、自分としては「早くコンサートを終わらせてまで彼女の元に行きたいのか」と穿った見方をしていましたが、それもどうやら違うらしい事も分かってきました。
 
現在の4人目の奥さんについては、この本が2014年までの話をまとめているのでこれから結婚すると言うところまでで、翌年2015年にビリーは66歳で結婚して68歳までに2人の子供を授かります
 
え~、ここで重要な話をすると、ビリー・ジョエルは1993年のアルバム「リヴァー・オブ・ドリームス」を最後にポップス系のスタジオアルバムを制作していないのですが、洋楽好きの人達と飲む時によく言うネタとして「68歳にして子供を作るのは良いけど、いい加減アルバムも作ってくれよ」と言うもので(笑)結構受けたりするんですが、この本を読むとビリーは創作活動においてかなりの苦悩を感じていたようで、正に魂を絞り出すようにして曲を作っていたらしく、かなり疲弊していたとの事で、もうこれからは軽々しくこのネタを使う気になれなくなってしました。
 
さすがにビリー・ジョエルが好きな人でない限りはちょっと勧められる本ではありませんが、逆に好きな人にはビリーの人生についてかなり詳しく知る事が出来る本ではあります。
 
読むのにちょっと気合いがいりますが、ビリー・ジョエルが好きな人は読んで損はないと思います。