息子が4月から障害者の子供のための施設で働き出した。
先日は、
ワタシが仕事から帰ったら、
息子は、
自分が帰宅して2時間ほどで、
500mlのビール2缶、
チューハイ、ストロング系3缶を空けていた。
息子は酔いながら仕事の愚痴を言い出した。
上司と社長が、コソコソと自分のことについて話していたそうだ。
息子いわく、
上司と社長はデキナイ自分を非難している、
のだそうだ。
(↑息子が口をつぐんだので詳しく聞いていないけれど、それは事実なのかしらね?
息子が被害妄想から、非難されていると感じているだけなんじゃないか?)
わかるけどね。
息子の気持ちもすごくわかるけど。
こう見えてワタシだって自分に自信なんかないから。
ワタシの今の仕事だって、
早く正確に綺麗にド○スの補正ができないし。
たまに卑屈になりますわよ。
ミスするたんび、ワタシも腐るけども。
でもね、
でもね。
医療や福祉を志す人には得に注意してもらいたいことがある。
極論になるけれど、
障害のある人、
持病のある人、
社会的に弱者である人は、
生きていたらイカンのか?
ってことですわ。
人は目に見えて誰かの役に立たなかったら、存在
が許されないんすか?
息子よ、
オマエが自分に向けているまなざしは、
そういう非常に冷たい、
差別侮蔑やぞ。
同じじゃないかもしれない。
障害と、
息子の不器用さ、慣れるのが人より遅いことは、
違うかもしれない。
だけど、
できない、
ってことをバカにし、イヤがり、
自分の存在そのものを否定する考え方は、
オマエが志した、
障害のある子供たちに関わる仕事をする人にとって、
すんごく危険やぞ。
そういった優位と劣等感を超えて、
そういう自分を愛し、
そういう人たちを愛するために、
自分を練り上げるために、
人は生きていくんじゃないのかね?
愛は条件つきじゃないぞ。
役に立つから、
でも、
顔が好みだから、
でも、
お金くれるから、
でも、
私をいい気分にさせてくれるから、
でもないだろうよ。
なぁんて、
またちょっとカッコいいことを言ってみるけどもね。
自分の弱さもダメさも知りながら、
それでも自分を愛し続けることを諦めるなよな。
54歳のワタシもさ。