守られて守ってまた守られる | 奥歯にものは挟まずに

奥歯にものは挟まずに

認知症の義母をきっかけに、ふざけたブログを書き出して、
義母を見送りました。
イケてて笑える(笑われる)ババアを目指して、日々の暮らしを綴ります。

ワタシは、
人はみんな、
きっと、
いくつになろうと、
心の中に、
小さな子供の自分、
か弱い非力な自分、
が住んでいると思っている。


その子が、
たまに、
ごくたまに、
寂しいよ、
怖いよ、
ワタシを守って、
誰かワタシを抱きしめて、
膝に座らせて、
撫でて、
可愛がって、
大丈夫だよと言って。 
と、
訴えかけてくるときがあるのだ。



見た目もふるまいも充分に大人であっても、
気丈であっても、
賢い人でも、
弱さのかけらなんか見受けられないような人でも、
溌剌と明るい人でも、

このインナーチャイルドは、

いる。

ワタシはそう思っている。



そしてこの子は、
何かのきっかけで現れて、
「怖いよ」と訴えかけてくる。



このインナーチャイルドが現れるのは、
たぶん、
親が弱ってくる頃だ。
もう自分は子供ではないんだと自覚する頃に現れる。
誰かから守られていた自分が、
誰かを守るようになって、
ワタシを忘れないで、
と、
その子は訴えかけてくる。



親が弱ると、
親と、
このうちなる幼い自分、を、
なだめなければならないのだと思う。
親にも、
うちなる幼い自分にも、
大丈夫だよ、と、
ナデナデしてあげるというか。


これが、
なんと表現したらいいのか、
とても切ないのだ。
大人ってこんなに悲しいものだったんだな、
と、実感するというか。


この感じを、
ここ数年、
ワタシは味わってきたと思っている。
夫や子供がいても、
忙しくしていても。


そんなときは、
ひとりで、
しみじみと泣くしかないんだなぁと思う。



3、4歳の頃の自分になって、
誰かの膝に座って、
頭を撫でてもらいたいや。
絶対的な安心感に包まれたい。



なんだかわけのわからない独り言を記事にしちゃったわぁw
ワタシらしくないかもしれない。



でもこれ、
この感じ、
わかる中年?
わかる初老?
はいっぱいいると思うな。


こんな記事を読むと、
きっと娘は笑うだろう。
だけど子供たちよ、
あなたたちだって、
きっといつか、
この感じ、
味わうと思うよ。


そしてワタシは、
きっといつか、
あなたたちに守られる側にまわるんだろうな。