ポンコツはダメじゃないと呟く母 | 奥歯にものは挟まずに

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認知症の義母をきっかけに、ふざけたブログを書き出して、
義母を見送りました。
イケてて笑える(笑われる)ババアを目指して、日々の暮らしを綴ります。

無職の息子は、
先日ソーラー発電の営業の仕事を受けて、
もうすぐ最終面接だそうだ。
採用されるかはわからないが、
息子はそこで働くことにまだ迷いがあるそうだ。
(これはワタシの思い込みなのだが、そういう営業ってブラックの象徴の気がする。)


その話とはべつで、息子は派遣会社に登録し、工場に働きに行った。

息子が帰宅したので、どんなところだったか、ワタシは根掘り葉掘り聞いた。

力仕事をしたようだ。
「相変わらず自分はポンコツだったけど、働く喜びは感じたよ。」
と息子は明るく言った。

ワタシは息子にあれこれ尋ねながら、
息子が言う、
「ポンコツ」
が気になって、
しまいに泣けてきた。

ワタシ自身が、
自分の子供をポンコツだと認めること、
ポンコツは悪だと思っていること、
に気がついて、
とても悲しくなったのだ。

そう、ワタシ自身が、
誰より、
差別侮蔑の塊なんだろう。

ワタシが息子をポンコツだと思っているくせに、
自分をポンコツ扱いする息子が情けないし、
ワタシが息子をポンコツだと思うこと自体が良くはない。
けれど、息子は世間的にいわゆるポンコツだ。
作業的なことは人より遅いし不器用なのは確かなのだ。
それをどう受け止めたらいいのよ?
事実を歪曲して受け止めるのは違うだろ。

それを、
悪いこと、
ダメなこと、
としているのはワタシだ。




ワタシは今までにいろんなパートをしてきた。
結婚して専業主婦から初めてのパートは、
飲食のランチタイムのパートだ。
時間的に都合が良かった。
ランチタイムのパートは3カ所くらいを、全部で3、4年した。
洋裁、お直し屋に行ったこともあるが、出来高制だったので、稼げないのですぐに辞めた。

その後ランチタイムの飲食の調理を6年して、

次はバッグ屋で販売、靴屋で販売、

貸衣装屋で馴染めなくてノイローゼになりそうになってすぐ辞めて、

紳士服量販店で5年働き、

ブラックの塊のような貸衣装で1年半、

そして今のウェディ○○のアトリエに至る。

ワタシの場合は、
なんとなくオシャレとか綺麗とかが気になるんだよね。
でも服の販売はイヤです。w
そこの服を着なくちゃならないし、売り上げがある。
バカバカしいわ。
好きなものを好きなように着たいわい。


もし成功することが約束されているとしたら、
何をするかと聞かれたら、
ワタシはファッションデザイナー、
と答えます。w
(オニのようにデザインばっか考えなければならないし、原価とか計算したり、
企業デザイナーだと、すぐにデザイナーを下されたり、そんなにいいものでもないらしいけど。)

息子に同じ質問をしたら、
「…わからない。」
だってさ。

歌手とかスポーツ選手とか、
軽いノリで答えてほしかったわ。

そんな夢見たことを言ってる場合じゃないのはわかってるけども、
結局息子には何もないんだわ。
どう生きていくのかが、
さっぱりわからないんだと思う。

好きなもの、コト、に、
なんとなく近寄ることをするのか、
仕事は生活のため、と割り切るのかも、
まだ心が決まっていないらしい。


ワタシは紳士服量販店で働いているとき、
じつはそこの正社員たちをバカにしていた。
大学を出てまで、やりたい仕事か?と。
モノを売るって、最初は誰でもできるのだ。
だけど、続けることは、
それは、どんな仕事でも大変で、奥が深いものだから、何年も何十年も続けることはすごいことだとは思う。



ワタシ自身が鼻持ちならないやつだよねぇw
なんちゅープライド高くてイヤミなやつw
息子が無職になったことで、
ワタシはそれだけはわかった。

自分自身は怠け者で横着者で、勉強や努力は嫌いなくせにw



子供は親の評価を上げるためのものじゃない。
立派な家や外車やブランドバッグじゃない。
(できることなら持ちたいけれどw)
それだけは心して、
息子の人生を見守りたいよね。


息子はワタシに、
「泣かせてごめんな」
と言った。
いやいやいや、
人としてクズだから泣いただけよw
ワタシこそ、
クズですまぬ。
w



ちょっと強がりだけど、
ポンコツはダメなことじゃない、
と呟いております。