我が家から去った修造 見送り祭りの終焉 | 奥歯にものは挟まずに

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認知症の義母をきっかけに、ふざけたブログを書き出して、
義母を見送りました。
イケてて笑える(笑われる)ババアを目指して、日々の暮らしを綴ります。

お義母さま宅へ行って、
介護用のレンタルベッドを返し、
(掃除もしたし、シーツを洗って干した。)
それからお見舞いにいきました。

お義母さまはお元気でした。 
まだ熱は微妙にある感じですが、よく喋るし、朗らかな感じでした。

ワタシはとっとと帰ってきました。

今日は主治医が旦那(お義母さまの息子)を呼び出しました。
旦那は仕事を早めに切り上げて、
お義母さまのお見舞いと、
主治医と今後の方針を決定して帰ってきました。

旦那は、
けっこう調べていたようです。
日野原重明さんのこととか。
高齢者は、枯れるように逝くことがベストだと。

旦那〜、やるやないの〜。
最近進歩したねw


 
旦那は、
ワタシに、通常の生活に戻れと言い、
自分も、
もう毎日お見舞いには行かない、
この2ヶ月で、
母親と充分話せたから、
心残りは無くなった。
医者が言うには、
母親はやはり心臓がいちばん弱っていて、
これは、
いろいろ治療するより、
ある時心臓が止まりました、
というカタチが本人にとって一番ラクだそうだ。
母親の意識がなくなったら、
点滴も止める決意はした。
最後、見送ってあげたいけれど、間に合わなくてもエエ。
自然に心臓が止まるのが一番なんやから。
あの先生、ヨソでは見れないから、ウチで看ます、って言い切ってくれたし、
安心して任せよう。
先生に、ポートや、胃ろうを強く勧められたらどうしようかと思ったわー。
ポートはもうあかんて。
肝臓が弱って黄疸が出たやろ、
今回復してきて、
お母さん大したもんやって先生感心しとったけど、
ポート作ったら、感染源になるからって。
胃ろうってな、診療報酬が高いみたいや。
オマエも母親に充分してきたし、
応援はもうエエで。
今までみたいに、週1か、月2回くらい行って、濃い時間を過ごせたらいい。

あちらの世界があるんだかないんだかわからんけど、
母親の親たちやお父さんも待ってるし、
オレかて57や。
あと20年もしたら、オレかてあっちに行くねん。
そんな寂しないわなぁw

と話してくれました。
(ね、みなさん、
やっぱりあちらの世界があったほうが便利じゃない?
また会えると思えば、いたずらに寂しがらなくてもいいじゃない。
ねぇw)



11月に呼吸困難を起こしてICUに入ったお義母さまに対して、
当初は、
修造(なんか熱いヤツの代表w)
が我が家に取り付いておりましたが、
修造は去って行きました。
(ワタシは嫁なので、
ワタシが修造を追っ払うのは、
ちと問題がありますが、
修造は自然と消えたw)



淡々と、
粛々と、
でも優しい気持ちは忘れずに、
その日を迎えたいと思います。
ワタシの会社にも連絡せな。

祭りは終わっても、
日常は続きます。
地球は回る。
次は、
葬式祭り。
でもそれも終わるのです。
そして地球は回る。
えへへ。