昨日は実母の命日でした。
(実は忘れていた…てへぺろw)
ボーイミーツガール。
母は、田舎の小さな小学校で、一つ年上の父のことは知っていた。
母の叔母が、父の叔父と結婚したために、二人は遠い親戚となり、
この叔父叔母の家で2人は仲良くなり、交際に発展した。
父は船乗りだった。
父の母親は早くに亡くなり、
実母の妹が後妻となり、歳の離れた兄弟たちがいた。
母と父が交際して、母は妊娠した。
母はすぐ結婚して産みたかったのだが、父は家にとって、大事な働き手。
父はまだ小さい兄弟たちのことを考えて、結婚を渋った。
母は泣く泣く子供を堕ろした。
母は父の家に出向き、このことを、父の両親に告げたんだそうだ。
(それを聞いたアタシは、母に、なかなかの意地だねぇ、と突っ込んだよ。
母は、どうしてもこのことを知っておいてほしかったのだ、私だけが悪いわけではない、と、アタシに言っていた。
悲しかったね…、その当時の母よ。)
いっときは別れるか、となったらしいが、
めでたく父と母は結婚した。
兄が産まれ、私が産まれた。
弟も産まれ、
弟が2歳の時に、
父は船から転落し、冷たい海で行方不明となって亡くなった。(はず。生きていたらミステリー。)
いろいろあって私達も成長し、
母も悠々自適な?おばあちゃんになった。
私の出産の時に、堕胎が影響して、母は大量に出血し、輸血をした。
この輸血で、母はC型肝炎のウイルスに感染し、
何十年もかけて、やがて肝臓ガンとなった。
母は60を過ぎてから、ラジオ派治療というものを何度も繰り返したが、
そのたびにちゃんと回復はしていた。
ところがなぜか胆管が壊死して、
母はガンが原因ではなく亡くなった。
70歳でした。
女の一生。
いろいろあるよね。
母の人生がどうだったのか、自分でどう思っていたのか、
アタシにはもうわからない。
アタシが今思うことは、
母は、アタシがシアワセであることを、心から喜んでくれる、第1番の人であったと思う。
今でもきっと。
アタシは誇らしく写真の母に報告している。
今こんなにシアワセです。
あなたという礎があったからだと、アタシは思っていますよ、と。
アタシは子供達がシアワセであることを、1番に喜ぶ人であり続けよう。
お母さんて、そーゆー生き物なんだね。
お義母さまもきっとそう。
お義母さまもお母さん。
お義母さまも女性。
人生でお母さんになれること、
(我が子を産まなくても、誰かのお母さんとしての役割をする女性もたくさんいる。)
なんてありがたいことなんだろうと、
今アタシは思っています。
読者のみなさま、
たまにはアタシだってイイコト書きたいのっw
どーしても、ちょっと軽い表現になってしまうけどもw
どうも身内をワイドショーネタみたいに扱ってしまうわw
誰かと出会って、
発情して、
親となったり、
いろいろあって、
やがてみんな、
土に還るんだね。
お母さんを大好きな人も、
そうじゃない人も、
みんなお母さんから産まれて来る。
お母さんは、ほとんどの人にとって、特別な人だ。