【時の流れるスピード】
確か学生の頃
「良い短期のバイトあるぜ?」
と誘われて「工場のライン」のアルバイトをした事がある
ベルトコンベアが部品を流してきてその部品を二つ合わせる もしくは パッケージのはみ出しを削るなんて仕事だった。
いわゆる単純作業で「時間の流れ」は遅かった。
「あと30分で休憩だー」なんて時計ばかりみていた。
でも「これでギター🎸買うんだ!」なんて思うと俄然楽しかったりした。
さて
就職してもただの「数合わせ」の現場だとやる事は少ない、、、「お前来るだけで金貰えていいな?^ ^」なんてからかわれたが20代の僕には「役目の無い時間」は「地獄」だった。
ラッキーな事に暇な時間を持て余していた僕に
隣りの職場の方が仕事を叩き込んでくださって
その方々の会社で雇って頂ける事になった
めちゃくちゃ忙しくて
残業代がどうのと言うより
なんとかプロジェクトを進めたい!
の一心でよく会社に泊まっていたりもした(ちゃんと代休をあとで頂きましたよw)
しかも
同じ職場に通う事も苦手だと気付いた僕には
とてもあの仕事はあっていた気がする。
その上
夢中でやると何故かお給料は知らないうちに上がっていた。
楽しかった。
朝会社につくと気付くと22:00だったが
特に現場の調整役を任せて頂いてからは
苦にはならなかった
「工夫」が許されたからだと思う。
「やりがい」って宝物だ。
しかし
あの「地獄」(つまらない時間地獄)からは解放されたが30歳手前で
頭をよぎった事がある
それは
40歳になっても
50歳になっても
「楽しいか?」と言う不安だった
残念ながら
ちょっと無理そうだった
「遊び」が下手な僕は
趣味があまりなかったし
お恥ずかしいながら 仕事=人生 と言う感覚しか無かった気がする
「好きな事」ってなんだろう と
「仕事で旅をしたい」と漠然と思い
そして
「好きな人生」を探した。
すると「苦手」なのに「時間を忘れて没頭する」
学生時代の「熱」を思い出した
そう「音楽」だった。
中学校の通信簿で1番低い通信簿が音楽だった
恥ずかしながら、ドレミファソラシドがまともに言えなかった。
アレルギーのせいなのか、声がガラガラで音程がわからなかったからかもしれないが、何故か僕はみんなができる当たり前にできることができなかった
それでも自分の思いを曲に乗せて、当時の最先端だった録音機器に録音して、曲ができたときの喜びを僕は忘れることができませんでした
「歌が上手くてカッコいいやつ」が「歌手」になるのはわかる 僕はその部類ではなかったけれど
「人生を大事」にしたかった。
会社を辞めさせて頂き
この道に進もうと決心した
もちろん最初からうまくいくわけは無いから、アルバイトをして、今までの人生はどんなに恵まれていたのか、生意気なやつだったのかを痛感した
同僚上司関係会社の人、いろんな方がチームとして支えてくださっていたことを痛感しながら
でもやっぱり「目の前の仕事を目一杯やった」と言う経験はその後の自分を支えてくれた気がする。
教えてくださる先生(色んな場面でアドバイスをくださる先生)
友人・仲間(ちょっといいにくい事も言ってくれる、励ましあえる)
家族(支え合える)
そして
満タンの愛を注いでくださる
フアンのみなさん
その1人1人に
お店でたまたまお隣に
座った方との一期一会も含めて
生き方がなかなか上手ではない僕を支えてくださっている事に日々気付く毎日ですが
それを「歌詞とメロディ」にして
お伝えさせて頂きたいと思うのです。
出会ってくださった「あなた」の日々に
「SIOの音楽」がちょっとでもお役に立てたら嬉しいし
僕はしあわせなのだと思います♪
最近は気付くと「時間」はあっという間に過ぎてしまいます
学生時代は人生がまだ始まったばかりだったから
「時間を無駄に」使っていたかも知れないし
あの頃特有の「不安」が辛かったのかも知れない
ただわかっている事は 「いま」が愛せなたら
「あの頃」も愛せるし
「未来」に「夢と希望」
があったら「今日も明るく」過ごせると言う事は事実だ
テレビにもまだ出ていないし
ヒット曲もまだない
チケットを手売りして
「ホールをいっぱいにするんだ」
なんて張り切ってしまって
ちょっと「痛い」やつかも知れないw
でも「時間はしあわせに過ぎる」ようになりました^ ^
きっと僕の音楽は誰かのお役に立てると思う
自分の人生は自分が一番愛してあげなきゃね^ ^
それを「信頼」して
「必ず人生はうまくいく」と信頼していけば良いと思っています。
苦しい時があるからこその「人生のダイナミズム」だ
そんなことを思う
何気ない2024年の1月15日でした。
長文を最後まで読んでくださり感謝いたします。
SIO