おはようございます
2017年 15年目の別冊UTA-KAI
がスタートいたしました
昨日は その 横浜編 に ご来場いただきありがとうございました
ありがたくも当日 完売 の公演になりました
1番お客さんが多かったタイミングは椅子が探せなかったりしてご迷惑をおかけいたしました
SIO個人的には僕の集客が少なくて非常に悔しかったです 1月この2日間にかけたのですが
チカラ不足を痛感m(_ _)m
しかし 出演者のみなさん が 頑張って集客してくれまして
満席となりました
本当に感謝です
さて
少し 振り返るとね、、別冊UTA-KAI
いまに比べたら15年前はやれることもやりたいことも随分違っていて
まず SNS は 掲示板 とかだったしね^ ^
もちろん リツイート や 拡散 なんて ないから
コメント しかないから
ただ いいね を 押す みたいな 軽い 参加の感覚も無かった
だから SNS も 参加するのに リアル が かなり 占めていた気がするなぁ
YouTube も著作権の問題があって
音楽は使えなかったなぁ、、、
だから コメント だけだったりね、、
動画もSDカードがないから
テープで撮影して、、w
毎年恒例の上野水上野音のイベントも
音響も 現在の デジタルミキサー が ないから
みんなで 「せーの」って 運んでいた
大きさは いまの 6倍くらいかなあ、、
重かった^ ^
スピーカーも いまの 4倍くらいの大きさ
重さだったなw
じゅなきゃ 鳴らなかったんですよ
ミュージシャンももちろん総出で運んだ
今じゃ 日本が誇るトップスター の ス◯マ◯◯◯チや
笑っていいとも 出演経験もある 東野◯◯くん
そんな アーティストも そんなことをしてくれたりしたなあ、、、
フライヤーも いまの ような 大量格安印刷なんてないから
コピーして 裁断機で切って
お金無くて無くてw 経費がだから
めちゃめちゃかかるわけですよ、、
下北沢の某CLUB25◯ ライブハウスのスタッフも出演者のスタッフさんも 一緒になって
準備をした
僕自身 お金も本当になくて
一食 100円とかで暮らしてたなあ
ミュージシャンはみんな バイトしてたしね
今とは違って
ライブの度にイベントに30人40人お客さんを集めても
ギャラなんてほとんど無かった
そんな時代だった
照明もLEDなんてないから
電気代も高いし 足りないから
発電車入れたり、、、w 追加電源足したり
上野野音も
あんな 名称じゃ 実は無かった
僕 勝手に上野水上野外音楽堂 って呼び出したんですよ あそこ 水鳥のステージ って言うんですよ
正式名称は 上野恩賜公園 水鳥のステージ ですw
最近 公園の看板が 音楽堂ってなってて^ ^
ニヤニヤしたりしてね
そう 東京 で 野音 って言ったら 日比谷野音 だからね^ ^
別冊UTA-KAIも
2007年に1度だけ
周囲の借金抱えるから
やめとけ
の心配の声を振り切って
開催させていただいた、、、
みんな 各20分の演奏時間で
ノルマ100枚とかかけるしかなかった
はじめて出演者にノルマをかけたなあ、、
だけど 最高の思い出でした
(あっ!俺 18歳だったw)
だって あのタイミングしかなかった
よく年じゃ出来なかった
勝負の感どこは間違えれない^ ^
僕は結局メジャーデビューが決まり切らなくて出来なくて 沢山の関係者を情けなくも逆恨みしながらw
けど自力で夢のステージに
忌野清志郎さんが立ってたあの場所に
立てた1日でした
大きな事故があった会場だから 警備費用もかかるから 開催のハードルは高いしねw
やっぱり なかなか もう1度 ってのは難しい
そう 話を戻すと だから
インディーズの そう呼ばれる会場になれば良いって思ってそう勝手に呼ぶようにしたんです
14間もやるうちに 観光連盟さんの後援もいただけるようになれたり
ああ
ツアーにも行ったなぁ
日比谷やって
引退を考えていた
SIOがメジャーの世界に入って
大きなステージに立てないのなら
もう辞めよう って
夢にしがみつくような人生はかっこ悪いし惨めだから、、
けど ツアー に 出たい
全国から集まってくれた
ファンのみなさんに感謝の旅に
今度は僕達がみんなの街にいくよ
その恩返しくらいして引退しても遅くない
それで ツアーに行った
「君がくれた約束は」はその時に作った
サビを僕が 出だしを 石田匠 (exカレイドスコープ 現在は 中島みゆきさんの夜会等でも活躍中)
真ん中を 近藤薫 (exスィートショップ V6さんに提供した楽曲 紅白で流れてましたね?今年)の3人で作った
渋谷テレビジョン いまの オーグループ
O-EAST O-WEST もちろん 昨日のO-SITE の 部長さんがバンを出してくれて ギュッと二台のバンに乗り込んで旅にでた 田◯さん 採算度外視で遂行してくださった
恩返ししたい^ ^
いまの別冊UTA-KAIの旗は日比谷野音の時に作った 3代目の旗で
あの旗を全国10都市で200人希望のイベントにするのが次の夢になったんです
上野水上野音に1000人
全国10都市に2000人
合計年間述べ3000人の集まれる
プラットホームが作りたかった
日比谷野音が満席で3000人のキャパだから
同じ数字を出したかった
そしたら
何かが小さくとも変わると思ったんですよね
インディーズでもみんなが活動していけるようになると思った
偉そうだけど
そんな小さな道を作りたかった
実際 10周年の時には 上野野音には800人 ツアーには11都市 合計 3000人近い人数の方に集まっていただけたんです
当時の出演者スタッフにも感謝ですm(_ _)m
もちろん 時代がかわれば
状況もかわる
沢山 出演者さんからも
ご不満をいただくようになり
もうそれはすべて僕のチカラ不足なのですが
ツアーはキッパリ辞めて
現在は上野水上野音と横浜編の年に2回のペースの開催にしました
一昨年の上野水上野音は
本当に 出演者12組み集まらなくても
開催する気持ちでスタートしました
だけど 会場は変えたくない
千人集まれる会場でやりたい
だって また 僕は 日比谷野音に立つから^ ^
小さな会場しかやらなくなってしまえば
初年度の気持ちに負けるくらいの気持ちしかないなら
発起人として
失格 だしね^ ^
同じ気持ちがあったから
もう1度はじめたんです
仲間はみんな出世しちゃうしね^ ^
もちろん 辞めた仲間も沢山いる
実は裏方になってる仲間もいる
長くなりましたが
そんな別冊UTA-KAI
15年目ですm(_ _)m
なんでもしてあげたくなっちゃうような
真っ直ぐなアーティスト陣とスタッフ
お客様に囲まれて
15年目 流石に 「恩返し」をはじめてもいい頃かと思うんです
僕は14年間イベントを作ってきたってよりも
14年間も 守られてきたんです^ ^
誰かの為にがんばる
人はなかなか自分の為には頑張れない
そんな気がするんです
何かしてあげたい
そう思わせてくれる出演者のみんなに本当に感謝です
口々に
お客さんがあったかい
そう ステージから帰ってくる
嬉しいなあ、、、
集まってくれたお客さんが
楽しんでくれたか
それだけなんですよ
もちろん 不備 至らない事 沢山です
申し訳ないm(_ _)m
しかし
出来ることはすべてやっていきます
O-SITEのスタッフ陣が素晴らしかったなあ
音も照明にも受付にも 愛が あった
本当にありがとう
僕が一番キツかった時
手のひらを返すように人が離れて行ったころ
そう
自分が一番悪いんです
それを気付かせてくれた彼らにも感謝ですね
新しい一歩を踏み出す
愚直にも
新しい一歩を踏み出す
それを常に自分に突きつけてくれる
この
別冊UTA-KAI というイベントに
やっぱり 感謝です
ありがとう
くじ引きあてよう^ ^
上野水上野音のくじ引きをあてよう
同じ会場でも
やる 開催する人間の覚悟により
会場も楽器のようにその響きを変えるんです
僕次第です
誰かの為に
自分の為に
夢は叶える為にある
ありがとう
今年もよろしくお願いいたします
2017.1.9 別冊UTA-KAI 発起人 SIO