ありがとうございました
4月3日 津田沼駅PARCO(船橋側w)島村楽器
4月8日 街角音楽ステージ
4月24日 船橋グランドホテル
5月20日 街角音楽ステージ
5月28日 アンデルセン公園
6月3日 街角音楽ステージ
6月24日 街角音楽ステージ
6月26日 モリシア津田沼&船橋グランドホテル
7月7日 イオン鎌取
7月17日 ファイティング佐倉&そばカフェ301
7月23日 市民まつり(ビューティーカレッジ)・いきいき津田沼夏祭り(モリシア)
7月24日 市民まつり(京成中山&JR下総中山)
そして 路上もやりましたねーー
個人的には正式なのは20ステージ
本番7月24日 夜 船橋きららホール でした
(抜けているスケジュールなどございましたらすみません)
チケットは100枚羽ばたいたものの席をコンパクトな150名仕様にしていただいても
半分くらいの実動員結果になってしまった事 僕は正直悔しいです
ですが 同時に 清々しさもある
3ヶ月間ユーヤタカハシくんと走ってみた
そりゃもちろん経験は僕が何倍も上だから
うまく行かない事の連続だった
彼もそりゃあ戸惑っただろう...
例えば経験あるミュージシャン達と作っているイベント「六弦魂」や「栄でワッショイ」の様にはいかない
それは当たり前でだけれどそれを選んだ理由が一つあるんです
それは
まず僕が船橋で音楽活動を続けようと思った理由が「迎えてくれた」からなんです
あんな大きな都市でミュージシャンが沢山いるような「62万人」も居る都市で県外のミュージシャンを大歓迎してくれたんです
そしてその中の中心人物が亡くなった
彼と僕は約束したんですよ「SIOさん船橋をさあ〜音楽があふれる街にしたいんだよそれで活気のある街にしたいんだよ、船橋に力貸してよ」そう言ってくれた彼に約束したんです「また来ます」って
このホール運営にめちゃくちゃ力を貸してくれた「優一」もその仲間の一人だ
書ききれないご縁が沢山あるんですこの街には….
だから毎回一時間以上かけて通いました
寝てないな。。なんて思いながら電車に揺られても「楽しかった」
それは
「次世代へ繋げたい」その一言に尽きる訳です
そんな時 佐倉市出身のかれに出会い「千葉」ということでこのチャレンジが始まったのです
そんな精神が気持ちの最初だった
だからかな、、、そんな思いで初めたイベントだったからかな?
沢山の素敵な千葉の地元愛に溢れる音楽を愛するみなさんと出会え、再会出来た
中には悲しい別れを知ってしまう事もあった(ファンの方が亡くなられていたのです)
でもそこから新しいご縁をいただいたりもした、当日スタッフをしてくれた仲間も本当に素晴らしかった
そんなイベントだったのです。
そして そして とにかく僕を信じて応援に駆けつけてくださったみなさん
千葉での僕の動員力のなさを遠征の皆さんが助けてくださいました。
どの会場でも「SIOさんのお客さん素敵な方ばかりで嬉しくなっちゃいます」そう沢山言っていただきました(ユーヤくんを応援しているお客様たちも随分良く接してくださいましたありがとうございます☆)
いつもいつも頭が下がる思いです
今回改めて思いました
みなさんのその「期待」だけはずっと守って行きたいとそう思うのです。
確かに満席には出来なかった
だけれど僕は満席のつもりで唄いました☆
きっとそれはみんなも見えていただろう未来の姿だし僕はまた一つ超えられた気がしているのです
ミュージシャンとしてね。。また一つ超えられた気がするのです
無謀に思えても チャレンジする事で それが例えば「失敗」とされる結果でも
「成功」さえ引き込めればそれは「成功の卵」であって「失敗」なんかじゃないんです
僕はそう思うんです
あきらめの悪さが良くも悪くも僕の性格なんですw
絶対うまくいきますよ!
だって今僕の心の中には「清々しさ」があるからです
ふふふ
またチャレンジします!
必ずね!
4ヶ月間ありがとうございました
走り抜けました
出会えた皆さんに最大級の感謝を!
そして 「またね」の約束を♪
大声で伝えたいです
ありがとうございました
みんな大好きです
またねーーーー♪
4月3日 津田沼駅PARCO(船橋側w)島村楽器
4月8日 街角音楽ステージ
4月24日 船橋グランドホテル
5月20日 街角音楽ステージ
5月28日 アンデルセン公園
6月3日 街角音楽ステージ
6月24日 街角音楽ステージ
6月26日 モリシア津田沼&船橋グランドホテル
7月7日 イオン鎌取
7月17日 ファイティング佐倉&そばカフェ301
7月23日 市民まつり(ビューティーカレッジ)・いきいき津田沼夏祭り(モリシア)
7月24日 市民まつり(京成中山&JR下総中山)
そして 路上もやりましたねーー
個人的には正式なのは20ステージ
本番7月24日 夜 船橋きららホール でした
(抜けているスケジュールなどございましたらすみません)
チケットは100枚羽ばたいたものの席をコンパクトな150名仕様にしていただいても
半分くらいの実動員結果になってしまった事 僕は正直悔しいです
ですが 同時に 清々しさもある
3ヶ月間ユーヤタカハシくんと走ってみた
そりゃもちろん経験は僕が何倍も上だから
うまく行かない事の連続だった
彼もそりゃあ戸惑っただろう...
例えば経験あるミュージシャン達と作っているイベント「六弦魂」や「栄でワッショイ」の様にはいかない
それは当たり前でだけれどそれを選んだ理由が一つあるんです
それは
まず僕が船橋で音楽活動を続けようと思った理由が「迎えてくれた」からなんです
あんな大きな都市でミュージシャンが沢山いるような「62万人」も居る都市で県外のミュージシャンを大歓迎してくれたんです
そしてその中の中心人物が亡くなった
彼と僕は約束したんですよ「SIOさん船橋をさあ〜音楽があふれる街にしたいんだよそれで活気のある街にしたいんだよ、船橋に力貸してよ」そう言ってくれた彼に約束したんです「また来ます」って
このホール運営にめちゃくちゃ力を貸してくれた「優一」もその仲間の一人だ
書ききれないご縁が沢山あるんですこの街には….
だから毎回一時間以上かけて通いました
寝てないな。。なんて思いながら電車に揺られても「楽しかった」
それは
「次世代へ繋げたい」その一言に尽きる訳です
そんな時 佐倉市出身のかれに出会い「千葉」ということでこのチャレンジが始まったのです
そんな精神が気持ちの最初だった
だからかな、、、そんな思いで初めたイベントだったからかな?
沢山の素敵な千葉の地元愛に溢れる音楽を愛するみなさんと出会え、再会出来た
中には悲しい別れを知ってしまう事もあった(ファンの方が亡くなられていたのです)
でもそこから新しいご縁をいただいたりもした、当日スタッフをしてくれた仲間も本当に素晴らしかった
そんなイベントだったのです。
そして そして とにかく僕を信じて応援に駆けつけてくださったみなさん
千葉での僕の動員力のなさを遠征の皆さんが助けてくださいました。
どの会場でも「SIOさんのお客さん素敵な方ばかりで嬉しくなっちゃいます」そう沢山言っていただきました(ユーヤくんを応援しているお客様たちも随分良く接してくださいましたありがとうございます☆)
いつもいつも頭が下がる思いです
今回改めて思いました
みなさんのその「期待」だけはずっと守って行きたいとそう思うのです。
確かに満席には出来なかった
だけれど僕は満席のつもりで唄いました☆
きっとそれはみんなも見えていただろう未来の姿だし僕はまた一つ超えられた気がしているのです
ミュージシャンとしてね。。また一つ超えられた気がするのです
無謀に思えても チャレンジする事で それが例えば「失敗」とされる結果でも
「成功」さえ引き込めればそれは「成功の卵」であって「失敗」なんかじゃないんです
僕はそう思うんです
あきらめの悪さが良くも悪くも僕の性格なんですw
絶対うまくいきますよ!
だって今僕の心の中には「清々しさ」があるからです
ふふふ
またチャレンジします!
必ずね!
4ヶ月間ありがとうございました
走り抜けました
出会えた皆さんに最大級の感謝を!
そして 「またね」の約束を♪
大声で伝えたいです
ありがとうございました
みんな大好きです
またねーーーー♪