もんの凄く楽しいライブだった
秋休、ひまり、秋風センチメンタルがそしてそのフアンの皆さんが物凄く『別冊UTA-KAI』っていう『イベント』を愛してくれてる事に本当に『感謝』している。
本当に有り難いし『かけがえのない』ものだと思う。
10周年の最後に増刊号を決めたのはもう別冊UTA-KAIをやらないような気持ちがあったからだった
メリット
なんて言葉を一度も使わず
僕達の街へ別冊UTA-KAIを!と言って、しかもトップを切ってくれた秋風センチメンタルと神戸→徳島→福山を旅したひまりと秋休と開催した。
そのことが嬉しい。
本当にありがとうございました
10年間やって良かった!!彼らのおかげでみんなのおかげでそのことが言える。
ありがとう。
さて
帰宅予定の月曜日
ひまり
と寄り道をしてきました
南三陸町へ
2011/5月に別冊UTA-KAI山形→仙台、そして翌日歌いに行った『ホテル観洋』を見てきた。
当時避難所だったホテルは水がきて営業してるって聞いていた、横断幕作ってお客さんを迎えていた、何にも無かった海には網や浮き、養殖場が出来ていて漁船がいた
流された志津川駅の近くで食事をした
地元漁師さんが
自慢の定食を出してくれた
その壁には
昔の南三陸町の写真と津波の写真とが並んでいた
僕はやっと『町がそっくり消えた』っていう事実を知れました
もちろんあの時よりは
瓦礫の撤去は進んでいた
ただ
壊れた建物をキレイに壊しきって瓦礫の山になっていただけだった
商店街をプレハブで再建していた
町の人はもちろん負けてなんかない
豪気な天丼は港町の粋を感じさせてくれた
仙台からも随分早く行く事が出来た
だけど
この写メが実際でした
あの有名な『防災センター』には献花がひっきりなしに行われていた
他人の為に自分を投げ出せる人への感謝と尊敬と祈りが溢れていた
今日を一生懸命生きなきゃね。
ひまりの2人が帰り道
『今年はSIOに始まりSIOに終わりました』と言ってくれた
そう言えば今年の『餅つきライブ』がスタートだった
「餅ついて石巻に持って行こう!」なんて言ってた(笑)
けどさ
「SIOに」って
それは違うと思うの
地元じゃないけど
仙台が第二の故郷の二人が『ひまり』が
宮城県に何かしら『音楽の熱』を持って行きたがっただけで、僕達はお互い『共感』出来たって事だったんだと思う。
彼らの熱に共鳴したんだと思う
素晴らしい活動を続ける
秋風センチメンタル、秋休、ひまり
に大きな拍手を!
別冊UTA-KAI2012これにて終了!
※別UTA-TVの編集が行われております!乞うご期待!
SIO