僕は「デザイナー」という職業の方と話すのが好きだ

「デザイン」するという言葉が好きなんですね

一度言っていただいた事があるんですが「SIOさんは アーチストでしょ?僕なんかたかだかデザイナーなんですよ アーチストをデザインして社会に表現出来たら嬉しいんです」って。

彼は「街をデザインする事」が願いだと言っていました、雑誌やお店のデザインもするんですが建物なんかのデザインも彼はする 彼らしい空間というか彼らしい気遣いがやっぱりそこにある。

DTPという職業や工程を否定するわけではないけれど

レイアウトだけしてるのはどうにも その 「感触」が無い。

アーチストとプレイヤー(例えばうちだと GオバタやB.みやんやD.ヒデのこと)との関係にも近い

確かに「阿吽の呼吸」に至るまでには時間がかかる 

伝え手は「極力願いを伝えなきゃ」駄目だ

「わかってもらえるはず」 なんてのは 傲慢でしょ?

ただ 事細かに伝えるより  核心だけを出来るだけ伝えようと思う

その人の「気遣い」が「デザイン」なのだ と思うから

「全部 言っていただければデザインしますから!」 って言われるとね.....

ちょっと 苦笑してしまう。

今の時代PCとソフトが使えればある程度出来ちゃう。

僕のスタッフは優秀なので簡単なDTPくらいはこなす

しかし デザイナー に依頼する意義をはき違えはしないし
もちろん 報酬を率先して出来るだけ支払おうとする

コピーが簡単に出来る時代 ひな形が沢山あって パクる 事を なんとも思わない
センスや手先の器用な人がやればいくらでも「物」は出来る

「真似をする」事は 「勉強する」 ってことで それはとても大事な事だけれど

やはり「デザインする気概」を失って欲しくない

丹誠込めて作ったCD音源を どんなデザインで包むかは とても重要だし
丹誠込めて作った日本酒がどんなデザインの瓶で店頭に並ぶかは重要だ

お金でそれを換算しだしたら費用対効果は「ぱくる」方がきっと高いし
望むクライアントも多いと思う

ただ やっぱり 気概を持ってもらいたい と思う。

ヒトの手はやはり あたたかく 温もりがあり しっかりとした手応えがあるものだと思うのです。