今年も日野市障害者青年学級の合宿に参加して来た。

随分..昔 その言葉を知って 随分っても...20年くらい前かな....

地元の地域活動をしている「先輩」に教わって

障害で残念なことに早くに亡くなってしまった友人の為にも活動をしている方で

「コシオ君ね 僕は思うんだけれども10年先20年先にもっとああゆう子供達が普通に暮らせる街に世間になったらいいと思うんだ」

と教えてもらって

自閉症 ダウン症 の子供が駅でうまく行かなくてもウロウロしていても マクドナルドでゆっくり接客していても ちょっとバスの中で大きな声を出しても
みんな怒ったり好奇の目ではもう見なくなったと思う。「ああそうか...そりゃ仕方ない」となっていると思う。
 
随分かわったと思う。

僕自身最初中学生のコロかな....びっくりして どうやって歩けない言葉が伝わらない彼らとコミュニケーションをとったらいいかわからなかった。


だけど 僕には音楽があったから

少しずつ 話す事や伝える事が出来る様になった

毎年2回必ずではないのだけれど 地元に唄いに行く事 そして 清里高原に彼らとでかけるようにしている

音楽が特別といういみではなく

僕にはなにかコミュニケーションに際して 特技があったという意味だ

それは....思いやりが沢山ある とか 料理が好き とか 本が好きとか
なんでも良いんだ  「特技」=「自分
の好きな事」があれば

それは 相手に伝わるからね。


病院関係や施設やそういった事を専門にしているかたや 日々職業に携わる方々とは違うけれど

普通の人として

普通に細く長く関わって来た

うまく関われない苛立ちも含め 自分の不甲斐なさも含め それでも 今後とも
関われる限り参加したいと思っている

彼らと向き合うと一番に痛感する事は 「命」だ

僕より断然に命の危険性と戦いながら生きている

僕達は この健康や命が永遠の様に勘違いしたりする

そうじゃないのにね........

誠実にやれることやっていこうと思います

僕は善人ではないし ほんと だらしない取るに足らないやつだけど

けど がんばって 夢のある人生を
送ろうと思う

若いスタッフさんにも沢山教わる

ひた向きさ 今しかない って感覚

大人になると忘れてしまいがちになる感覚

彼らのせめて 「先輩」として

なにかを伝えられる人間であれますように

小さくても 「先輩」に頂いたもの

「後輩」に伝えられます様に.......!!

ありがとう

SIO