安部公房の小説は脱日常性から始まります。固執している現実を喪失することによって、自己を問い直すことが可能となるのです。

 
『砂の女』では戸籍をなくし、『壁』では名前をなくし、『闖入者』では部屋と主権を乗っ取られ、その他、顔をなくしたり(『他人の顔』)、妻をなくしたり(『密会』)、生活をなくしたり(『箱男』)、壮絶な手法で読者を「喪失」という「箱」の中に閉じこめます。

この作品では、「故郷」を喪失します。
 
作品は、2冊のノートで構成されています。全体のプロローグと、第一のノートの冒頭を記します。
 
 
≪亡き友に≫

 
記念碑を建てよう。
何度でも、繰り返し、
故郷の友を殺しつづけるために・・・。

 
第一のノート

 
終わりし道の標べに

 
 終わった所から始めた旅に、終わりはない。墓の中の誕生のことを語らねばならぬ。何故に人間はかく在らねばならぬのか?・・・。
 
 
徴兵から逃がれてやってきた満州の地で、様々な勢力争いに振り回される「私」。

 
ほころびはじめた私の心。何かしら確証を得ようと軽はずみな心から、凍りついた粘土塀に押した手形は、まるで毛編みのジャケツのほころびに指を突込んだようなものだった。輪郭を消し去ろうと、内部から拡がってきた氷の軍勢は、はや私の心臓を霜の結晶でおおい始めている。
しかも私は≪かく在る≫という事ができる。なぜ?いまいましい意識という火の胡桃!

 
故郷を捨ててきたはずなのに、この手形は切なくも2次的な故郷となってしまいます。

 
キーワードの「故郷」は二元的です。与志子という吸引力をもつ物理的な故郷を捨て、自己を自ら征服するべき旅にもかかわらず、妄念が影の如く「私」を慕ってくるのです。

 
しかし、とっさに、私は二つの故郷を見極めていたように思う。ひとつは、われわれの誕生を用意してくれた故郷であり、今ひとつは、いわば≪かく在る≫ことの拠り所のようなものだ。今の陳の行為も、その疑いをさしはさむ余地のない単純さによって、ある郷愁をそそるのだ。もしかすると、その標識には≪故郷のない真理はない≫と書いてあったかも知れぬ。
 
「故郷」という幻影の源は、愛した女性・与志子です。
友人との駆け引きの末に、友人とつきあっていた与志子を奪い同居することになった主人公は、彼女の意図してかどうかもわからぬ瞳の投げかけに惑ったり、そして友人と与志子に逢い引きされ裏切られて苦しんだりします。
「故郷」に心を征服されるか、「故郷」に代わって自らが征服するか、彼にとって与志子から逃げることは、実存をかけた闘争です。

 
 おまえの美しさのせいだったろうか?たしかにおまえは美しかった。だがそれは、あるみにくさにも通ずる、一種独特な美しさだった。おまえの前では、身じろぎも出来ない。おまえが動くのを見るのも不安だ。そんな無用の美しさが、食料の配給券に神経をすり減らさなければならない時代に、憧れよりも反撥を感じさせたとしても、無理はなかろう。
 ふとこんな詩を想い出していた。その詩句は、ある古代の石像の胸のあたりに、小さな、今は何処の国にも通用しない言葉で刻まれていたそうだ。

 
 この石の身をとがめるのか
 しかし私を刻んだ石工の
 寸厘も慄かなかった手をとがめてはいけない
 石よりもつめたい
 石工の鑿の長い道のり
 その暗黒の道をとおって
 私は生まれたのだ

 
 むろん、美しさとは、常にそんなものなのかもしれない。有用な美しさなら、機械だけで沢山だ。ただ不都合なのは、おまえだけが私の美のすべてになり、私を占領しそうになっていたことだった。
 
<中略>
 
影?・・・・・私の逃走中、従者のようにつきまとって離れなかった、私の影・・・・・またの名を故郷と言う。私は身をふるわせた。ああ、この愚かな目覚めを待つために十年もの放浪が必要だったとは・・・・・。
 失われた喪失・・・・・喪失の喪失・・・・・それはもはや、虚無でさえないということだ。
 ふと私の前に蒼ざめた男が立ちはだかる。すぐに幻覚であることは分かったが、べつだん驚きもしなかった。男は見覚えのある、確実な動作で私の上に身をこごめ、大きさも背たけも分らぬ声で囁いた。
「出掛けようぜ。あんまりゆっくりしていると、また故郷の苔が生えてくる。」
 私は黙っていた。答えようもなかったし、また答える必要もなかったからだ。すると男は身を起して微笑んだ。
「じゃ、ひと足先に出掛けるよ。」
 いいとも、このあとはいずれ一本道だ。私はうなずき、こよなく孤独で、自由だった。
 こうして、私の旅は終わったのだ・・・・・。

 
エンディングです。

 
 では、ここはいったい、何処なのだ? すでに、見捨てられ、もはやこれ以上は見捨てる余地もない、大地の瘤・・・・・おかげで、皮肉にも、とどまりながら、しかも歩きつづけなければならないという、こっけいな矛盾に気を病む必要はもうなくなった。ここはもはや何処でもない。私をとらえているのは、私自身なのだ。ここは、私自身という地獄の檻なのだ。いまこそ私は、完璧に自己を占有しおわった。もはや私を奪いにくるものは何もない。おまえの思い出さえ、すでに私には手がとどかないものになってしまった。手をうって快哉を叫ぶがいい。いまこそ私は、私の王。私はあらゆる故郷、あらゆる神々の地の、対極にたどり着いたのだ。
 だが、なんという寒さ! なんという墜落感! まもなく日が沈む。そろそろ書いている字も読めなくなってきた・・・・・・・・。
 さあ、地獄へ!