薬でもあり食でもある薬菜を食べさせる店に入ったおれ。
食べるうちに、汗は出るは、鼻水は出るは、鼻血は出るは、涙は出るは、黒い粘液は出るは、便は出るは、性欲は高まるはで、いかにも効能ありげな料理です。
その表現力が読む者を圧倒していきます。
今回はその表現力の一部を味わっていただきます。
 
 薬菜各種献立
 
鼻突抜爆冬蛤(肥厚性鼻炎治癒)
味酒珍嘲浅蜊(肺臓清掃)
冷酔漁海驢掌(肝臓能賦活)
煽首炸奇鴨卵(咽喉疾患治癒)
睹揚辣切鮑肝(視力回復)
焦鮮顎薊辛湯(鼻中隔彎曲症治癒)

 
        他健康薬菜百種
 
店頭に貼られている手書きのメニューに、のどが鳴り、中に入ってメニューを広げてみるおれ。百種とあったとおり、一から百まできっかり書いてある。
 
   菜単

 
1 姜苦葱酸鹿肝(血圧低下)
2 饌禁焼精香飯(脳動脈硬化治癒)
・・・・・
 
 
まずは鹿葉茶。店の主人の孫娘が茶托に湯気の立つ茶碗をのせて出てきた。
 
「このお茶も、何かの薬なの」
「食欲増進のお茶なんだって。胃腸の働きがよくなるのよ。中国山西省の呂梁山脈に九十年も長生きする蜜天鹿という鹿がいて、そのあたりにはこの鹿葉という草しか生えていないから、その鹿はこの草ばかり食べているんだって。胃腸は万病のもと。長寿の源。イエイエ(*)がそう言ってたわ。だからこれ、鹿葉茶」
「もっと欲しいな」ひと息に呑み乾し、その味のよさに驚いておれはそう言った。「高貴な味だ」
「でも、一度にあまり呑むといけないんだって」
 奥で主人が孫娘を呼んだ。「青娘」
「はあい」娘は茶托を持って奥へ入った。
 たちまち腹が鳴りはじめた。「空腹になりかけていた」程度だった筈なのに、おれは一瞬、餓死の恐怖に見舞われた。約二週間、獲物にありつけなかった野獣の気持というのがちょうどこういうものではないのかとおれは想像した。しかしその空腹には一種の爽快感が伴っていた。
 
(*)イエイエ  漢字変換できませんでした。おじいさんという意味だそうです。
 
 
最初に出てきたのは、アゴアザミのスープ。鼻に効くスープである。
 
 熱くて辛いスープをふうふう吹きながら飲むうち、最初のあいだは味がよくわからなかったが、旨味が口いっぱいに拡がりはじめた。一種の焦げ臭さがなんともいえぬ香ばしいコクになりはじめ、スプーンを動かす手がとまらなくなってきた。葉や根を焼いてから煮つめ、漉したものらしく、スープは透明であり、ふちがぎざぎざの薊の若葉が一枚浮かべてあるだけだが、これはむしろ飾りなのであろう。
 飲み続けるうち、やたらに洟が出はじめた。ティッシュ・ペーパーで拭きながら飲み続けたが、次つぎと出てくるのでとうとうティッシュ・ペーパーがなくなってしまった。テーブルの上には紙ナプキンもない。おれは仕方なく、ハンカチを出して洟を拭い続けた。
 
 
鮑の肝は眼に効能がある。
 
 唐辛子のような赤い粉で包んだ鮑の肝をひと口食べて、その辛さに驚いたものの、これは肝の苦みを消すためのものであるのだろう。片方でスープをすすりながら食べるうち、赤い粉は唐辛子でないことがわかってきた。これはむしろ、何やらニンニク類に近いものである。おれはニンニク大好き人間であり、そのあまりの旨さには思わずのどが鳴った。こいつは是が非でもこの調味料の名を訊かなければと思いながら食べるうち、どろりと大量の洟が出てしまった。もうハンカチでは追いつかない。

 
「この赤いものは、調味料かい。薬かい」次つぎとティッシュ・ペーパーを出して鼻の下を拭いながら、おれは訊ねた。「ただの調味料ではなさそうだね」
「あなたよいこと聞いてくれたな」丼鉢を置き、店主は破顔した。「フランスの薬科大学にいる時、わたしが栽培した新種のナス科の植物の種子で、わたしが辣切と名づけたものよ。このカロチノイドがクロアワビの一種の地中海産のホノヤマダカという鮑の、ふつう肝と呼ばれている内臓の塩化カルシウムに作用すると、猛烈な効果を発揮して、それは視覚領域全般に及ぶね。お前もうすぐ涙ぽろぽろよ」
「本当だ。眼が痛くなってきた」
「ははあ。あなた洟が出るか。スープの方も、これまたなかなかほんとにほんとによく効いたな」
 
蛤の油炒めが出される。油の成分が鼻に効くが、主人曰く、「この料理、ちょっとばかり、きついぞ」
 
「いただきます」説明を聞いているうちに矢も楯もたまらなくなり、おれは蛤をむさぼり食った。いったんさっと油で揚げた蛤を酢に漬けてあり、美味とも珍味とも言いようのない旨さである。

 
 出されたものはほとんど食べ終っていたのだが、この時突然、流れ続けていた洟に赤いものが混りはじめ、どっと皿の上に噴出した。
「わっ。鼻血だ」おれは叫んだ。「どうしましょう」
「心配するな。それ鼻血でなく血膿だ。お前健康たから料理よく効いているのだよ。この空の丼で受けていなさい。わたし料理作ってくるから」主人は平然として奥へ入っていった。
 丼はたちまち血膿でいっぱいになってしまった。娘の介抱を受けながらさらにスープ皿を血膿であふれさせた時、おれはぎゃっと叫んだ。「眼が見えなくなった。あいてててててててて。眼が痛いよう。痛いよう」
 奥から顔を出したらしい店主の大声がした。「もと泣け。もと泣け。涙を出す、よいのだ」
 眼の痛みは鼻の奥へと抜け、おれはさらに何やらどろどろとしたものを鼻から流し続けた。娘がけんめいの働きで、何度も丼や皿を、中の汚物を捨ててきてはとり換えてくれているらしい。
「お客さん。がんばれ」
「はいな。わたしがんばるよ」ふざけて見せながらもおれは身もだえ続け、さらに丼やスープ皿三、四杯分の汚物を排出した。
 急に気分がよくなり、おれは眼を見ひらいてかぶりを振った。もう洟も涙も出ず、鼻の奥の僅かな痛みを除けば顔の中心部は爽快感に満ち、頭が冴えている。娘はおれの正面にすわり、気遣わしげにおれを見つめていた。まん丸の黒い瞳におれが映っている。
「君がこんな美人だとは知らなかった」と、おれは彼女に言った。
「そんなに眼が悪かったの」と、彼女は言った。「あんなにたくさんの悪いものが、眼の奥、眼の下、鼻の奥、鼻の横、きっといっぱい詰まっていたのよね今まで」
 そうに違いないと思い、おれは大きく頷いた。「それが全部出た」
 
料理はまだまだ出ますが、読み進めるうちに、いつの間にか、中国料理店の油ぎった匂いに包まれている自分に気づきました。現場にいないのに服にまで匂いが染み付いてきそう。。。
この小説の紹介は、この辺にとどめておくことにします。
 
 
「眼が見えなくなった。あいてててててててて。眼が痛いよう。痛いよう」
 奥から顔を出したらしい店主の大声がした。「もと泣け。もと泣け。涙を出す、よいのだ」

 
これからは私も「あいてて」の「て」を8回書いてみます。痛いよう。痛いよう。と2度書いてみます。

 
作品ではもっともっと「おれ」がのたうち回り、体から毒気が消えていきます。それは読んでのお楽しみに。