誰にも束縛されず、誰の指図も受けず
自由に生きたいと考えたことはありますか?
自由に生きると言葉だけ聞くととても素敵に思えますが、
よくよく考えてみると自由に生きるのは
とても難しく覚悟のいる事だと気づかされるのです。
自由に生きるにはどうするかの一例をご紹介いたします。
『責任は自分自身にある』
自由に生きるには責任は自分自身で負いましょう。
自由とはどんな事でも出来る反面、
何か問題が起きた時に誰も助けてはくれません。
全て自分の行った行為から発生した問題ですから
自分自身で解決しなければいけないのです。
会社組織に組み込まれていれば、
組織が救いの手を差し伸べてくれるでしょう。
家族と言う集団生活をしていれば、
家族が助けてくれるかもしれません。
しかし、自由気ままに生きていた場合、
困った時だけ救いを求めていては
真の自由とは言えないのではないでしょうか。
自由に生きたいのであれば、
「何事も自己責任」これを忘れてはいけません。
自由に生きている人こそ、
自分自身を律さねばならないのです。
『自由と我が儘を混同しない』
自由に生きるには自由と我が儘を混同してはいけません。
自由である事はわがままである事では無いと心得ましょう。
自由とは何者にも縛られない人生です。
ですから、意見の相違や考え方の違いが生じた時に
どの様な行動を取っても良いでしょう。
しかし、自由を我が儘と履き違えてしまうと全く違う事が起きます。
我が儘はどんな状況下でも自分の我を相手に押し付ける行為です。
考え方の違いがあっても相手が屈服するまで
我を通す事は自由ではありません。
それは我がままです。
自分が自由に生きたいと思ったら、
相手の自由も尊重するべきでしょう。
自由である事と我が儘は全く違う事だと言うのを知りましょう。
『自由は不自由だと言う事を知る』
自由に生きるには自由は不自由だと言う事を知りましょう。
矛盾している様に思いますが、そんな事はありません。
自由に生きると言っても
今の社会生活をしている場合自由はありません。
社会生活を捨てると言っても
この世界のどこに行っても社会規範はついて回ります。
社会規範が日本よりもゆるい所に行き自由に生きようと思ったところで、
そこで生活するためには様々な制約をクリアしなければなりません。
それに伴い時間もお金も掛ります。
自由に生きたいと思ったら実は
とても不自由な生活を暫くは強いられることになるでしょう。
『精神的な自由は誰にも邪魔されません』
精神的な自由を求めるのであれば誰にも邪魔はされないでしょう。
頭の中でいくら妄想をしても誰にも咎められる事はありません。
精神的な自由はとても簡単に手に入れる事は出来ます。
『誰からも批判されない代わりに誰からも期待されません』
自由に生きるためには誰からも批判されない代わりに
誰からも期待されません。
自由気ままに生活している場合、
人間関係のしがらみも少なく充実した生活を夢見る人は多いのですが、
人間関係のしがらみが無い分、今度は誰からも期待されなくなります。
「君に任せておけば大丈夫」「期待している」「頼りになる」
他人からの評価が自由に生きていると少なくなります。
人から期待、頼られてやる気が出る、
「褒められて伸びるタイプ」の人は
自由に生きた時に孤独感を感じ耐えられないかもしれません。
自由に生きるためには、自由を手に入れる代わりに
今あるものでも何かしらを捨てなければいけません。
心の自由を手に入れるのであれば、
捨てるものも少なく済みますが、
これはとても難しい事です。
心が自由を感じる瞬間と言うのはとても刹那的な物で、
継続して得られるものではありません。
一瞬の自由を感じる事に満足感を覚える事が出来るのであれば、
それもまた自由に生きていると言えるでしょう。
しかし、真に自由な生き方を考えるのであれば、一度、
自分の考える自由に生きる為の
ライフプランを立ててみるといいかもしれません。
文字にして書き出してみる事で、
現実と照らし合わせ実現可能な物なのかどうかを
真剣に精査して見てはいかがでしょうか。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
応援よろしくお願い致します。
↓

人気ブログランキングへ