「感動を与える」という言葉は、
時に「みなさんに感動を与えたい」
というように使われることがありますが、
このような「与える」の使い方が気になる、
という声を耳にすることあります。
「感動」以外にも、
「元気を与えたい」
「勇気を与えたい」
「夢を与えたい」
というようにも使われますが、
なんだか偉そうに聞こえる、
上から見下しているような感じに聞こえる
というような印象があるようです。
なぜそのように聞こえるのか、
まずは「与える」という言葉の
意味を見てみます。
あた・える 〔あたへる〕 【与える】
1. 自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。
現在ではやや改まった言い方で、
恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる。
「子供におやつを―・える」「賞を―・える」
2. 相手のためになるものを提供する。
「援助を―・える」「注意を―・える」
3. ある人の判断で人に何かをさせる。
(ア) 相手に何かができるようにしてやる。
配慮して利用することを認める。
「発言の自由を―・える」「口実を―・える」
(イ)割り当てる。課する。
「宿題を―・える」「役割を―・える」
4. 影響を及ぼす。
(ア)相手に、ある気持ち・感じなどをもたせる。
「感銘を―・える」「いい印象を―・える」「苦痛を―・える」
(イ)こうむらせる。
「損害を―・える」
「デジタル大辞泉」(小学館)より
「元気(勇気・夢・感動)を与えたい」
というのは、上記の4(ア)の
「相手に、ある気持ち・感じなどをもたせる」
の意で使われています。
しかし、違和感がある、気になるというのは、
おそらく、1の
「恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる」
という部分が影響しているのではないかと感じます。
ですからたとえば
「子どもたちに夢を与えたい」など、
子どもに対して言うような場面ならば
不自然さはなくなりますし、
また仮に目上から目下でなくとも
「選手として元気を与えたい」などのように、
実際に勇気や元気を与えるような
立場にある人の発言であるならば
違和感を覚えるということも
ないのかもしれません。
「与える」という言葉は、
どちらかと言うと自分から
相手に対して言う場合には使いにくく、
受ける側が「勇気を与えていただいた気持ちだ」
のように使うほうが自然だと
言えるのかもしれません。
やや慣用的に使用されることも多く、
間違いとまでは言えない言葉であっても
「言葉が与える印象」にも
注意したいものです。
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